第5話
「なあ、トモーッ」
わざと語尾を上げた鼻に掛かる甘ったるい声で、祐太が話しかけてきた。
土曜日の練習が終わるとほぼ毎週のように、僕は祐太の家で夕飯までの時間を過ごしている。
平日は、部活を終えて家に帰り着くのが20時過ぎ。
それから夕飯を食べて、お風呂に入って、宿題をこなす頃には睡魔に襲われ始める。
だけど土曜日の部活終わりは大体17時頃。
息の詰まるようなあの家に1分でも1秒でも居たくない僕は、わざと祐太の家で時間を潰すんだ。
僕は祐太の部屋でベッドに寝転がりながら新刊の漫画を読んでいて、祐太はベッドに寄りかかりながら、最近ハマッている格闘系ゲームに夢中になってる。
僕は祐太の家で過ごす、このひと時がたまらなく好きなんだ。
祐太とは幼稚園からの付き合いで、今更お互い気を使うような相手じゃないからこうやって好き勝手に過ごせるんだ。
「なあにー」
視線は漫画に向けたまま、僕は祐太に気のない返事をする。
「冷蔵庫からジュースとぉ、台所のカゴの中にあるポテチもってきてぇー」
テレビの画面に視線を釘付けにしたままの姿勢でおねだりをしてくる祐太。
「えー、やだよ、自分で持ってきてよー」
いくら幼馴染の家とはいえ、勝手に冷蔵庫を開けたり、台所の食料を漁ったりするのは苦手なんだ。
それを知っているくせに、わざと祐太はそんな事言うんだ……。
「ねーぇ、今手が離せないの、お・ね・が・い!」
祐太にしたら≪かわいく≫おねだりしてるつもりかもしれないけど、図体のデカイ男のおねだりなんて全然かわいくないって。
それに、僕だって今良いトコロなんだよ……。
「早くぅー!」
どんなに張り合ったって、先に折れるのはいつだって僕の方なんだ。
「はあ……」
読みかけのページを伏せてベッドに置くと、のろのろとした動きでベッドから起き上がった。
「お、トモたん行ってくれるの?やさちいですねーッ」
祐太の発する謎の赤ちゃん言葉はとりあえず無視する事にした。
「あ、そこだ!……クソッ」
祐太が必死で見つめる画面の中では、キャラ同士が激しく戦っている最中だった。
ここが技の決め所!というチャンスを狙って、僕は手にしたリモコンでテレビの電源をOFFにした。
「だーッ!何すんだよッ、トモ!早く電源入れろよ、電源、電源ッ!」
手にしたコントローラーを操作しながら、慌ててリモコンを探す祐太。
「リセットされなかっただけ、ありがたく思えって」
僕はそう言うと、祐太から微妙に離れた位置にテレビのリモコンを置いて、キッチンへと向かった。
祐太の家は共働きで、パパさんはサラリーマン、ママさんはパート勤務。
須賀家の長男である祐太は、中学3年生の妹美佳と、住宅地の一角に建つサイコロの様な家に一家4人で仲良く暮らしてる。
この家に引っ越してくる前は市営団地に住んでいたんだけど、祐太が小学校3年生の時にこの家に引っ越してきた。
「父ちゃんてばさ、こんなちっちゃい家なのにすっげーがんばっちゃったみたいだぜ!35年ローンだってさ」
覚えたばかりの『ローン』という言葉を自慢げに使いながら、祐太は自分達一家の新しい住処、自分だけの城となる2階の部屋などを案内してくれた。
『住宅ローン』の意味が分からなかった僕は、『ふーん、すごいね』なんて知ったかぶりをしながら真新しい家を見て回った。
僕の家は、築100年位経っているんじゃないかと思われるほど古い造りの日本家屋なんだ。
広大な敷地の中には、隅々まで手入れの行き届いた立派な庭と、沢山の部屋を有する母屋がある。
『大きなお屋敷でいいわね』なんて言われるけど、古くて陰気臭いだけで、いい所なんて少しも無い。
シンと静まり返った邸内に響くのは鳥のさえずりと、木々のざわめき。
畳と襖、板張りの回り廊下と障子に囲まれた家……外国の人が見たら、≪わび・さび≫なんて感じちゃうかもしれないけど、住んでいる僕にとってこの家は、重圧と寂しさの象徴なんだ。
広い家の中で、家族同士が顔を合わせることなんて滅多にない。
唯一家族が揃うのは、食事の時くらいかもしれない。
たとえ小さくても、暖かい雰囲気が溢れていて、家族みんながいつでも顔を合せられる、そんな祐太の家は僕にとって憧れだった。
子供の頃から憧れ続けているその想いは、高校生になった今でも変わらない。
だからこうしてしょっちゅう祐太の家に入り浸っているのかもしれない。
祐太の家は1階がリビングダイニング?っていうのかな、キッチンから居間まで仕切りが無くて、開放的な造りになっている。
誰かが居間に居れば直ぐ分かるし、誰かが帰って来ても直ぐ分かる。
僕は階段を下りると、そのままキッチンへと向かった。
気が引けるとはいえ、勝手知ったる祐太の家。
冷蔵庫から500mlのペットボトル2本と、カウンターキッチンに置いてあるカゴの中から祐太希望のポテトチップスを取り出すと、2階の部屋へ戻っていった。
「まったく、たまには祐太が行ってよね……」
ガチャリ、祐太の部屋のドアを開けた僕はその場で固まってしまった。
「う……そ」
目の前には裸で仁王立ちする祐太の姿が……。
……ってなんで裸なの?
よく見ると裸じゃなくて、一応穿いてるけど、それって……。
有り得ない恰好をしている祐太に、僕は手にしていたペットボトルとポテトチップスの袋を落としてしまった……。