第19話
「いてて……」
教室の椅子に腰掛けようとした途端、下半身から背中にかけて、イタ気持ちいいような感覚が走った。
自分の若さと体力を過信し、いきなり始めてしまった筋トレのせいで、普段使うことの無い筋肉が筋肉痛を起こしていた。
……おっかしーなあ。
自分で言うのも何だけど、普段の練習は休む事なく参加してるから、それなりの筋力はあると思ってた。
「おはよーん!トモトモ!」
椅子に座ってストレッチをしていると、背後から飛びついてきた祐太が、全身筋肉痛の身体を思いっきり抱きしめた。
「うわ、痛いよ!やめて、筋肉痛なんだ」
祐太の腕から逃れようと必死にもがくけれど、10cm近くある身長差と筋肉痛で弱った腕力じゃ、祐太に太刀打ち出来ない。
「ふーん、筋肉痛なんだ」
祐太は僕の筋肉痛のなどお構いなしに、嬉しそうに身体の痛いポイントを突いてくる。
「やめッ、祐太!くすぐったい……いたッ!」
痛みとくすぐったさは紙一重のようで、祐太の攻撃を受ける僕の口からは、支離滅裂な言葉が飛び出していく。
「うんうん、いい感じで張ってるねー!ちゃんと筋トレしたんだ」
もがく身体を解放すると、今度は少し離れた場所から、僕の全身を眺めている。
「俺さあ、オリンピック選手になれなかったら、絶対水泳コーチ兼トレーナーになりたいんだよね。んで、祐太みたいなヘタレスイマーを世界一にするのが夢なんだ」
……へえ、祐太ってそんな事考えてたんだ。
オリンピック選手になるっていうのは、子供の頃から聞いてたけど、トレーナーとかコーチって言うのは初耳だな。
……それより。
「なんだよその、『ヘタレスイマー』って」
確かにヘタレだけど、はっきり言われたらちょっと傷付く……僕は祐太の言葉にむくれて頬を膨らませた。
「気の抜けた練習しかしてこないから、たまにちゃんと練習するとすぐにヘロヘロ、スタミナ切れ。軽い筋トレで筋肉痛。こんなヤツをヘタレと言わずして何をヘタレと言うんだ!?」
自慢の二の腕を見せつけながら、ずいと僕に詰め寄ってくる。
「はいはい、どうせ僕はヘタレです」
「分かればよろしい」
祐太は満足そうににっと笑うと、むくれた僕の頬をむにっと摘んだ。
こんな茶番劇を毎度見せられているクラスメイトの反応は冷たい……いや無反応だ。
しかし、そんな2人に熱い視線を送ってる者が一人だけいた。
「そのやり取り、大好物です!ご飯3杯はいけます!」
廊下の窓越しに、小型のデジカメで2人の姿を収めている人物……祐太にラブレターを出し、水泳部では要注意人物扱いとなっている、藤田奈々子だった。
「大会まであと3日。大会に出る奴も、そうでない奴もしっかり気を引き締めておけ。自分は出ないから、なんて気を抜くな。何が起きてもすぐに対応できるよう、きちんとコンディション整えておけ」
大会が近付き、モチベーションの上がっている部員達に激を入れると、今日の練習が始まった。
今回の大会は、僕が得意とするブレストに、3年の先輩と1年の純が選ばれてしまった。
桜楓の水泳部に入部してからずっと、桜楓高校水泳部として参加する大会では、必ず1種目以上エントリーしていた。
しかし今回のように、完全にレギュラーから外されたのは初めてだった。
今度の大会は、お世話になった先輩方の引退試合でもあるので、どうしても一緒に泳ぎたかったのだけれど、これが僕の今の実力。
一緒に泳げなくても、応援することは出来る。
頑張ってる姿を見せる事は出来る。
とにかく今は、自分に出切る事をやろう……それが僕から先輩達へ向けての餞だから。
朝より筋肉痛は治まってきたものの、腕を上げると少しだけだるさが残っている。
「よし……」
キャップを被り、ゴーグルをぎゅっと目に押し当てる。
「トモ、行くぞ!」
祐太の声を合図に、僕はプ-ルの壁を蹴って泳ぎ出した……。