第16話
メガホン越しのコーチの声をかき消さんとするかのように、バシャバシャと激しい水音が響く。
「もっとキックだ、キック!」
乳酸が溜まって重くなった腕を振り回し、攣りそうになる足を蹴り下ろして、前へ前へと泳いでいく。
「遅いぞ、遅い!休むなッ!」
いつもの僕だったらそんなコーチの怒声が聞こえても、常に一定のペースを保ち、前を泳ぐ人との間隔が開いていっても一向に気にしなかった。
だって、泳げればそれで良かったから……。
速くなろうなんて気持ちで練習してなかったから……。
僕の前を泳いでいるのは祐太。
得意種目はバタフライだけれど、他の種目も実は速かったりする。
筋トレをこよなく愛し、よく食べよく寝る祐太は、パワーもスタミナも部内ナンバーワン、後半バテる僕と違って、常にガンガン泳いでいく。
そんな祐太のペースについて行くのはかなりキツイけど、『たまにはついて行ってみるか』なんて、ちょっと頑張ってみたりする。
……うわ、結城センパイも速ッ!
泳ぎながら隣のコースを見ると、結城センパイが泳ぐのが目に入ってきた。
祐太と、結城センパイ、どちらにも遅れをとらない様に必死でついて行く。
「はあはあ……」
キツイ……いつもこんなペースで泳いでるの!?
練習はまだ中盤だというのに、既に僕のスタミナは尽きかけていて、短い休憩時間の間中、コースロープに凭れ掛かって身体を休める。
「なんか今日のトモは違うな!」
あまり息の上がっていない祐太が、ニコニコしながら話し掛けてくる。
「いつもこんなペースで泳いでいるの?かなりキツイんだけど……」
「トモはサボり過ぎなんだよ。お前だって本当は速いんだから、これ位ついて来れるだろ?」
「無理……スタミナ切れ……」
ぶくぶくと、プールの中に沈んで、疲れてる事をアピールする。
「だったらこれ飲んで元気出せよ!」
そう言って、祐太は特製スポーツドリンクを手渡してくれた。
「何これ……」
透明なボトルの中には、怪しい色の液体が入っている。
「各種アミノ酸に、プロテイン、スポーツドリンク、はちみつ、レモン汁……」
それだけ混ぜて身体に良いのか悪いのか……恐ろしくて飲めないから、飲んだフリして祐太にボトルを返す。
「あ、ありがと……」
「旨いだろ?これ飲んだら、後半の持久力が違うんだよ!」
そう言ってボトルを口に運ぶと、恐ろしい色の液体が祐太の口に流れ込んだ。
「よし、後半行きますかッ!」
足りないスタミナは気合と根性で埋めて、残りのメニューをこなしていく。
「お疲れ様でしたーッ!」
プールに響く挨拶と共に、プールに向かって礼をする部員達。
「トモ、今日は居残りしないのか?」
ヘロヘロになっている僕をからかう様に、祐太が声を掛けてきた。
「ムリ、腹減った……」
今日も居残り練習する純を横目に見ながら、祐太と共に部室へと向かった。
部室のドアに手を掛けたところで、部屋の中の会話が聞こえてきた。
「結城……杉浦に何か言ったのか?」
この声は部長の丸山さんだ。
「何かって……?」
結城センパイの穏やかな声も聞こえる。
「今日の杉浦、いつもと違っただろ?やる気が違うっていうか……」
「僕は何も言っていないよ。でも……やる気になるのは、いい傾向じゃない?必死になってるトモの顔も可愛かったし」
……可愛かった!?
結城センパイの発した言葉に、思わずコケそうになる。
「トモのやる気の源は、僕じゃないからね。いつも支えてくれる、強い味方がいるから頑張れるんじゃないかな?」
やっぱり、結城センパイは何でもお見通しなんだな……。
一人感慨に耽っていると、目の前のドアがさっと開いた。
「失礼しまーす!」
「あ……」
立ち聞きしてる僕を放置して、祐太はさっさと部室の中へ入っていった。
「おう、お疲れ!」
「お疲れ様です」
何事も無かった様に会話を交わしてるから、何も聞かなかったフリをして部室へと入った。
水泳部の着替えは早い。
濡れた髪と身体をセームで拭き取って、身体に貼り付く水着を脱ぐ。
塩素臭さは残るけど、汗はシャワーで流してあるから、後は制服に着替えるだけ。
「トモ、何食って帰るー?」
「うーん、からあげ棒」
ネクタイを締めながら、今日のおやつの相談をしていると、結城センパイが近付いてきた。
「僕も一緒に良いかな?」
「え……あ、どうぞ……」
たまにお店で会う事はあっても、3年生と一緒に帰る事は少ないから、僕は少しだけ緊張した。
「じゃ、俺も!」
僕らの会話を聞いていた部長も便乗して、結局4人で帰る事になった。