第14話
遠くでチャイムの音が聞こえる。
固いコンクリートの上で眠ってしまった僕の身体は、節々が強張っていた。
「いたた……」
その場でゆっくり起き上がると、身体の動きに合わせて、そこら中がボキボキと音を立て、起き上がった身体からは、掛けられていた上着がパサリと落ちた。
「あれ……?」
ここへ上がって来る時、僕は上着を着て来なかった。
膝の上に落ちた上着を拾い上げると、それは祐太のものだった。
僕に上着を掛けてくれた祐太はというと、大きな身体を小さく丸め、少し寒そうな様子で眠っている。
「ふふ……やさしいんだ」
眠る祐太にそっと上着を掛けてあげると、伸ばした袖口から腕時計の文字盤が見えた。
……14:10!?
「ヤバッ、昼休み終わってるって!」
もう少し眠らせてあげようと思った祐太の大きな身体に手を掛け、ゆさゆさと激しく揺さぶる。
「うーん……チキン棒」
「チキン棒!?」
チキン棒って確か、から揚げを串に刺して売ってるアレだよな……って、寝言まで食い意地張ってるし。
「ちょっと、祐太!寝惚けないで、起きてよ!」
なかなか起きない祐太を起こす為、両頬を平手でパシパシと叩く。
「うーん……なんだよ、トモ。もう少し寝てようぜ……」
「6時間目始まっちゃうよ!」
僕にとって、授業をサボるなんて行為は有り得ないし、やった事もない。
焦りと苛立ちで更に祐太を激しく揺さぶると、
「このままサボっちまおうぜ……」
なんて呑気に言いながら、一度開いた目蓋を閉じて、再びうとうとしてしまう。
「まったく……」
たまにはこんな日があってもいいのかな?
だって今の僕には、考える時間も必要だから……。
ぼんやり遠くを眺めながら、ポツリ、僕は小さく語りだした。
「あの日……おばあ様が亡くなった日あのから、僕は自分の進む道が分からなくなっていたんだ。それまでの僕は、我慢する事、目立たない事、兄を引き立てる事が一番重要だと言われ続けてた。 その言葉に従う事で、僕という存在価値が認められる様な気がしてたんだ。 だけど小さな僕にとって、それは辛く寂しい事だった。 だってそうでしょ?おばあ様の目に写る僕は、≪杉浦智弘≫という人間ではなく、≪杉浦家の次男≫という存在でしかなかったんだから……。それでも僕は我慢し続けた。いつかおばあ様に認めてもらう……それが僕の目標だったから。なのにいきなりその人は居なくなり、『自由に生きていいよ』と言われても、僕にはどうすることも出来なかった。狭い水槽から、いきなり大海原へ放り出された魚みたいなもんだよ。
どこへ向かっていいのか、どうやって進んだらいいのか……進み方が分からないから、僕はそこに留まるしかなかったんだ……。そして……道に迷った僕を導いてくれたのが……祐太なんだ」
そこで言葉を切ると、隣で眠っている祐太の身体がのそりと動いた。
「祐太と同じ高校を受験して、同じ部活に入って、少しでも同じ時間を共有したかった。祐太と一緒に大好きな水泳を続けられるなら、どんな事でもやろうと思ってた。だから、キツい練習にも耐えられたし、合わないフォーム変更も受け入れた。全ては水泳を続ける為、それ以外の感情なんて無かった。なのにいきなり、そんな僕を『目標にしてた』なんて言うヤツが出てきて……正直僕は混乱している。こんな僕の、何を目指して来たのって?」
「なに感傷に浸ってんだよ」
てっきり眠っていると思っていた祐太が、突然むくっと起き上がった。
「トモ、おまえはなあ、自分で思うよりずっと評価されてるんだぞ。結城センパイだってコーチだって、お前が出来る奴だと分かっているから期待しているんだ。我慢してる?そうじゃない。あの練習についていけるのは、それだけの力があるって証拠。
そんなお前を目指すヤツがいたっておかしくないと思うし、もっと自信持っていいと思うぞ。目立ったっていいじゃないか。だって、兄弟を差別するばあさんはもういないんだぞ。お前はお前らしく、堂々と生きていけよ。そんな辛そうな顔なんて見たくないぜ」
ニカっと笑う祐太の顔は、太陽みたいに輝いていて、冷えた僕の心を暖めてくれる。
「悩んでこその青春なんだよ、っていうか青春だから悩むんだろ!こんな俺でも、自分の生き方に疑問を持つ事だってある。どこに向かっていいか分からなくなる。分かんない時は、とりあえずがむしゃらに進むんだ。一生懸命生きていくんだ。そしたら先が見えてくる。そんなもんだよ、青春なんて……」
熱く語る祐太の両手が僕の肩に掛けられた。
……熱い、熱すぎるよ……祐太。
青春語らせたら日本一だと思うよ。
だけど、そんな祐太だから親友になれたんだ。
暑苦しいくらいの気持ちが、嬉しいんだ。
「ぷッ、祐太熱すぎ……」
熱く語る祐太を茶化しながらも、その存在が僕を強くしてくれる、僕を変えてくれるんだと実感する。
「おう、俺はいつでも熱い男だからな。誰が何と言おうと、トモはトモ。俺と一緒に、今を一生懸命熱く生きようぜ!」
熱く生きられるかどうかなんて自信ないけど……祐太とはずっと親友でいたいと思う。
「僕も自由に生きてみたいな……」
見上げた空を、鳥が飛んで行く。
風に乗り、気持ち良さそうに……。
「自分の人生は自分で勝ち取るもんだ」
そう言って立ち上がると、祐太が大きく伸びをした。
太陽に向かって手を伸ばす祐太の姿が、羽ばたこうとする鳥の姿と重なって見えた。
「うん」
僕もゆっくり立ち上がると、太陽に向かって伸びをした。
「はあ……」
肩の力がすうと抜けたら、少しだけ自由になれた気がした。