第13話
久しぶりの居残り練習による過度の疲労と、純から告げられた言葉。
祖母によって抑え付けられてきた日々と、そこから解放された後の自分……。
色んな考えが頭の中を駆け巡り、やっと眠りに就けたのは明け方近くになってからだった。
机の上に突っ伏して、抜けない眠気と疲れの残る身体を休めていると、どこからともなく素っ頓狂な声が聞こえてきた。
「と・も・ひ・ろくーん!」
この学校で、こんなアホな声で僕の名前を呼ぶ奴なんて一人しかいない。
「……祐太か」
半分呆れながら顔を上げると、デカイ身体に似合わない、かわいらしいチェック柄の弁当包みを手にした祐太が立っていた。
「いつまで寝てるんだよー、トモはホント寝坊助なんだから。ほらほら、ランチタイムだよーん」
「え……?」
……いつの間にそんな時間?
慌てて辺りを見渡せば、弁当片手に、祐太のアホな声に苦笑を浮かべるクラスのヤツらの顔が見えた。
「あのな祐太、アホ丸出しな態度ばっかりしてると、女にモテなくなるぞ」
祐太って、背は高いし、身体はぎゅっと締まってるし、何気に顔は整ってるし、性格も明るいから、実はかなりモテるんだ……ただし、かなりのアホだけど。
「えーっ、そんなことないよう!昨日だって告白されたばっかりだもん」
なんて可愛い口調で拗ねて見せても、キモいだけなんですけど……。
「はいはい、祐太君はいつもモテモテですねぇ。羨ましいですねぇ……って、いつの間に?」
祐太と僕はクラスも部活も一緒だから、側を離れることがほとんど無い。
もしそんな事があったとしたら、僕だって気付くはず……。
「ふふふ……これを見なさい」
得意気な笑みを浮かべて取り出したのは、一通のラブレター……今時なんて古風な方なんでしょう。
「誰から?」
「まあまあ、そう焦らないで。こんなトコじゃなんだし、いつものトコ行きますか!」
僕の言葉なんて聞く前に、さっさと教室を出て行く祐太。
「まったくもう……」
オレ様祐太の登場に呆れながらも、カバンからお昼を取り出し、祐太の後を追った。
祐太が向かっているのは校舎の屋上。
ここは通常、ドアに鍵が掛けられていて、一般生徒が立ち入る事は出来ない。
しかし祐太はポケットから鍵を取り出すと、鼻歌交じりでガチャリと鍵を開けた。
「はやく、はやく!」
祐太に急かされながら階下に人がいないのを確認すると、僕は慌ててドアを通り抜ける。
「うわあ……」
ここへ上がると、僕達の住む街が一望できる。
眼下に広がる景色を眺めていたら、夏の気配を感じさせる陽射しがちりりと肌を焼き、吹き上げてくる風が僕の髪を乱していった。
「俺のお陰で楽しいランチタイムだろ?」
そういって僕の目の前で鍵をチラつかせる祐太。
立ち入り禁止である屋上の鍵を、何故祐太が持っているのかというと……。
あれはまだ、僕達が1年生だった時の事。
部室に常備してある、大会用の毛布やタオル類を洗濯して干せとの先輩から命令が下った。
洗濯物を抱え、事務室から借りた屋上の鍵を開けた途端、僕と祐太はここの景色の虜になった。
『よし、トモ。おまえコレ干しててくれ。俺はちょっと出かけてくる』
そんな言葉を残して学校を抜け出すと、祐太はどこかで合鍵を作ってきた。
こういう事に関して、祐太はホントに機転が利く。
マジで祐太サマサマだな……。
僕も祐太も弁当派だから、自販機で買ったペットボトルのお茶とスポーツドリンクで乾杯して、弁当を食べはじめた。
心地よい風が制服の袖口から入り込むと、着ていたワイシャツが風船みたいに膨らむ。
そんな感触を楽しみながら、黙々と弁当を食べてる祐太に問い掛けた。
「ねえ、さっきの手紙って、誰からなの?」
「誰からだと思う?」
胸ポケットから取り出した手紙をピラピラと振って、自慢げに見せ付けてくる。
「分かる訳ないじゃん。でもそんな自慢げにしているってことは……まさか?」
「そう、そのまさか!」
「マジでッ!?」
祐太が愛してやまない女の子の名前は菜々子ちゃんと言って、僕達と同じ2年生の、スラリと背の高いきれいなコ。
「でもさあ、菜々子ちゃんて、ラブレターなんか書くタイプに見えないよね」
ぼそりと呟いた言葉に、祐太の身体がビクリと反応する。
「やっぱそう思う?俺もそう思ったんだよなあ……。ちょっとこれ読んでみてよ」
そう言って渡された手紙を、恐る恐る開いてみる。
「う……」
淡いピンクの便箋には、手紙だというのに、文章と顔文字を組み合わせた、解読不能な文字がびっしり。
……これって、暗号文?
読めそうな文字を拾って出来上がった文章は、≪祐太君が大好きです、付き合ってください ななこ≫ というものだった。
「なあ、祐太……これって菜々子ちゃんじゃないと思うよ。あのコがこんな変な手紙書くと思えないもん……他に≪ななこ≫っていう名前のコいたっけ?」
「さすがトモだな。≪ななこ≫って書いてあるから、俺も一瞬勘違いしたけど、これって多分、1年の藤田奈々子って奴じゃないかと思うんだ……」
「藤田奈々子?……って、いつも水泳部の練習盗撮して、マネージャー達に目付けられている、あのコのこと?」
藤田奈々子といえば、水泳部ではちょっとした有名人。
きつい度の入った眼鏡と、ぼさぼさの髪、高画質で撮れる小型のデジカメを常に隠し持ち、練習する男子水泳部員の写真だけを撮り、その写真を元にして何かをしているらしい……なんて噂を聞いたことがある。
「ふうん……なんか大変そうなコに目付けられたね」
「でも、面白そうじゃん。数いる水泳部員の中からオレを選んだ理由が知りたいなー。なんつって」
僕にしてみたら気味の悪い事でも、祐太にとっては面白い事に思えるらしい。
「面倒な事になっても知らないぞ」
一応釘は刺したからなと、浮かれる祐太を視線で諭すと、祐太の顔が急に真面目なものへと変わった。
「トモ……オレに隠し事してないか?つーかさ、何で急に自主練なんか始めたんだ?」
そう言いながら、胡坐をかいた姿勢の祐太が、ぐっとこちらへ身を乗り出してきた。
そうだよね……やっぱり気にしてたんだ。
自主練なんてした事無い僕が、急にそんな事言い出すんだもん、祐太じゃなくても驚くよね……言い出した自分でさえ驚いてるくらいだし。
「なんかさ、このままじゃいけない気がしてさ……」
ぽつり、小さく呟いた僕は、そのままごろんと仰向けに寝転んだ。
目の前には、雲ひとつない青い空が広がり、遠くを走る車の音や、誰かが弾いてるピアノの音、教室で騒ぐ生徒達の声が、心地よいサウンドとなって聞こえてくる。
「こんな僕でも変われるのかな?……今更だけど」
「今更、なんて言うなよ。だって俺達高2だぞ?この先いくらでも伸びていけるし、いくらだって変れるさ。それに、変わろうって思うだけでも、トモにとっては大きな変化だろ?」
そう言って僕の隣に寝転ぶと、手だけ伸ばして、僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「もう……」
祐太の乱暴な仕草に、口では不平の声を上げるけど、心の中では優しさを感じていた。
……ホント、祐太はやさしいんだから。
不器用で乱暴な友の優しさに、重かった気持ちが少しだけ軽くなる。
「トモ、おまえはさ、昔から何でも一人で抱え込み過ぎ。俺ってそんなに信用無いか?もう少し頼ってくれてもいいんだぞ。っていうか、頼って欲しい。お前の悩んでる姿なんて見たくないし」
そんな言葉を掛けられたら、鼻の奥がツンとして、身体の奥底に溜まっていた大量の水が、僕の瞳めがけて一気に湧き上がって来てしまう。
「悩みなんか吐き出しちまえ。大声で叫んで、全部吹き飛ばしちまえ」
「これ以上何か言ったら泣くぞ……」
そう言う僕の声は震え、既に涙声になっていた。
「おー、泣け泣けどんどん泣け。祐太様の懐は、トモの笑いも涙も、全部受け止められるほど広いんだぞ!」
「そんなこと言ってるから、変な女にしかモテないんだぞ」
「何言ってるんだ、言い寄る女は一人じゃないぞ。掃いて捨てるほどいるんだぞ」
「ふ……どうだか」
「俺はな、恋愛なんかに現を抜かすより、おまえとの友情を育みたいんだ」
おまえとの友情を育みたい……か。
「うわ、キモ……」
「キモって言うな!」
泣き笑いが、いつの間にか本気の涙へと変わっていき、青く澄み渡った空には僕の嗚咽が響いていた。
どのくらい泣いていたんだろう?
散々流した涙はいつの間にか止まっていた。
心地の良い風に吹かれながら、僕はそのまま眠ってしまった……。