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スタート  作者: 円周
12/30

第12話

「センパイ?」


純に話し掛けられて我に返った。


「どうしちゃったんですか?急に黙り込んじゃって……。もしかして疲れてるとか?やりなれない居残り練習なんてするから」

意地悪そうな顔でニヤリと笑う純だが、その声にはほんの少しだけど心配の色が含まれていた。

「なっ、なんでもないよ、ちょっと昔を思い出してただけ……」

動揺する僕の顔を覗き込む純の瞳には、何か言いたげな表情が浮かんでいる。



「そっか・・・だから知らなかったんだ」

純が僕と同じスイミングスクールに通っていた事、僕の事を目差して練習していた事。

今更そんな事言われても……なんて思うけど、その頃もし純と出会っていたら、今の僕はどうなっていたんだろう?

そんな疑問が頭を過ぎる……。


「ずっと疑問だった事があるんだけど……聞いてもいいですか?」

「何?」

何でもずけずけ物を言う純が、珍しくお伺いを立ててきた。

「何であんな速かったのに、大会出なかったんすか?」

「それは……」


兄のため、家のため……なんて言えるはずない。


「速いのはお前の方だろ?全国3位になってるし……」

それ以上の会話を避けるため、キャップとゴーグルを外してプールの水で洗い、プールから上がるというジェスチャーをとった。

「それに、俺はおまえみたいに速くない」

そういい残してプールから上がると、何か言いたげな純を残し、部室へと向かった。



濡れた身体をタオルで拭き、制服に着替えると、眠気を誘うようなホッした温もりが生まれてくる。

ロッカーの小さな鏡を見ながら、制服のネクタイを結んでいると、先程純が口にした言葉が頭の中に浮かんでくる。


……僕と一緒に泳ぐため、全国を目指してきたって!?


僕は今迄、常に人の陰に隠れ、目立つことを避けてきた。

それはおばあ様の意思であり、指示でもあり、僕はそれを忠実に守ってきた。

息の詰まるようなあの家の中じゃ、僕の存在価値なんてこれっぽっちも無い。

だけど、そんな僕でも存在を認めてくれる人がいたからやって来れたんだ。

祐太とその家族という、暖かくて優しい人達がいたから……。


……そんな僕を目指してたって!?


突然そんな事を言われても……むず痒いような不思議な感情を、どう処理してよいのか分からないまま、僕は濡れた水着や小物類をバッグに詰め込んだ。


……どうして?


理解できない純の気持ちも一緒に詰め込むと、人気の無い部室を後にした。

本当に認めて欲しかった≪あの人≫のことを想いながら……。



寒い季節に、凛と赤い色を主張する寒椿の花が萼を落とすように、おばあ様は突然この世を去った。

寝込んだり、苦しんだりすることも無く、あっという間に旅立っていった様は、実におばあ様らしい最後だったと思う。

それは僕が中学2年の冬のことだった……。


杉浦一族の全権を掌握していたおばあ様が亡くなった事により、関連会社の運営に多少の混乱は生じたものの、特に大きな問題が発生することは無かった。

一部の親族の中には、やっと口うるさいおばあ様が居なくなり、あからさまにホッとしている表情を浮かべている者もいた。

目の上の瘤のような存在だった人が居なくなったのだから、そんな顔をしてしまうのも仕方ないか……。


葬儀は本家で執り行われ、僕達兄弟は祭壇の横に並んで座り、訪れる弔問客に挨拶を繰り返していた。


兄の将弘は、祖母の突然の死にショックを隠しきれず、真っ青な顔をしていた。

弟の章弘は、大勢訪れる弔問客を、落ち着かげにキョロキョロと眺めていた。


そして僕はというと……俯き、一人泣いていた。


『もっと僕のことを認めて欲しかった……』

そんな言葉が頭の中を繰り返し駆け巡る。


静かに頬を伝う涙は、悲しみのものであると同時に、悔し涙だったのかもしれない。


「何であそこまでされて、涙なんか流せるの?」

静かに泣く僕を見て、そんな言葉を掛けてきたのは三男の章弘だった。


小学校6年生の章弘は、既に僕より数センチ背が高くなっており、口下手な僕より世渡りも上手くなっていた。

憎めないやんちゃ坊主……兄の将弘とは違った意味で、おばあ様から可愛がられていた章弘。


「おばあ様に可愛がってもらったオレやマサ兄が泣くのは分かるけど……トモ兄ってさ、おばあ様から嫌われてたじゃん。もしかしてうれし涙だったりして……」

「な……ッ」

そうやって僕の涙を茶化そうとする章弘に、一瞬の怒りがこみ上げてきた。

「そんな不謹慎なこと、思うわけないだろ」

「ふん、どうだか……」

そう言う章弘の目にも涙がどんどん溢れてきた。


嬉しい事、楽しい事、悔しい事……人の死に直面して、流す涙の理由は人それぞれあるかもしれない。

理不尽な事を強いてきたおばあ様だけど、別れるのはやはり辛い……。


「悲しいから泣いてるんだ……悪いか?」

ぐっと唇を噛み締め、章弘の顔を見詰めたら、章弘の顔にバツが悪そうな表情が浮かんだ。

「ごめん……言い過ぎた……」

最後まで言い終わらないうちに、章弘の目から大粒の涙が零れ落ちた。


人前で泣くことの無かった僕が、一目も憚らず泣いている。

そんな僕を茶化す事で励まそうとした……不器用だけど、それが弟なりの励まし方だったのかもしれない。


「ううん、気にしてない……」

そっと弟の肩を抱き寄せると、二人で静かに泣き続けた……。



葬儀が終わり、僕の家にも通常の生活が戻ってきたある日の事……。


「智弘、ちょっといいかしら。」

夕食を終え、自室に戻ろうとした僕に声を掛けてきたのは母だった。


厳しい姑の監督下で、愚痴一つ洩らさず、黙々と仕えてきた母の顔は少し若返った気がする。


「こんな事言ったら不謹慎かもしれないけど……おばあ様はもう居ないのよ。だからもう、居ない人の言葉に従わなくていいの。あなたの好きなようにしなさい」

「え……?」


母の言葉に僕は耳を疑った。


「杉浦の嫁である前に、わたしはあなた達の母親。なのに、おばあ様の酷い仕打ちから守ってあげられなかった……ごめんね。これからはお前の思うように生きなさい。誰にも文句は言わせない、例えそれがお父さんだとしてもね」


祖母の死後、一族の主である父を支える立場となった母には、今迄には無かった凛とした強さが備わったようだ。


「ありがとう、お母さん。でも僕は、やっぱり杉浦の家の次男だよ。好き勝手にしろって言われても、何も思いつかないし、これからも兄さんのことは立てていくつもりだよ。お母さんのその気持ちが聞けただけで十分」

そういって微笑む僕に、母は『ごめんね』と繰り返すばかりだった……。


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