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スタート  作者: 円周
10/30

第10話

「智弘さん、こちらへ……」


おばあ様の部屋に呼ばれた僕は、冷たい畳の上に正座していた。


「先日の水泳大会、優勝したそうですね」

先日僕が参加したのは予選会。

そこで入賞、もしくは基準タイムをクリアすると、全国大会に出場する事が出来るんだ。


躾に厳しいおばあ様は、僕の言動や行動が目に余る時、決まって自室に僕を呼び入れ長いお説教を述べた。

しかしその時は、それまで習い事感覚でしかなかった水泳を初めて真剣に取り組んで、その結果得た勝利に酔っていた。

そして滅多に触れられる事の無い水泳を話題にされたことが、さらに僕を浮き足立たせていた。


「はい、今度全国大会に出場します」

嬉しそうに報告する僕を、おばあ様は表情一つ変えず、冷ややかな目で見詰めていた。

「そうですか……。ところで智弘さん、来年の3月に何があるか……分かっていますよね?」


おばあ様の言葉に、浮かれていた僕の気持ちは一気に沈んでいった。


「お兄様の中学受験……です」


そうだった……。

僕は表舞台に出てはいけない人間なんだ。


「大事な時期に、お前の水遊び如きで将弘さんの邪魔しなければ……と思っていましたが、分かっているなら何も言うことはありません。 お下がりなさい」


それは……『大会に出てはいけない』ということ?

もう泳いじゃいけないってこと?


「失礼します……」

僕は溢れそうになる涙をぐっと堪えると、勤めて冷静な振りをしておばあ様の部屋を出た。



僕の家は、この辺りでは名の通った旧家。

2年前におじい様が亡くなってから、表向きは僕の父が当主という事になっているけれど、実際にこの家の全てを取り仕切っているのはおばあ様。

杉浦の家では、おばあ様の言葉が全て、おばあ様の言葉は絶対。

そんなおばあ様が、跡継ぎである長兄の進路を心配しているのも知ってる。

今が大事な時期だっていうのも分かってる。


だけど……中学受験の邪魔になるからといって、僕の全国大会出場を祝うどころか、出場すら許してくれないなんて……。

杉浦家の次男だからという理由だけで、ずっと我慢を強いられてきたのに、まだ我慢しなくちゃいけないの?



「くっ……ふえっ……」

やっとの思いで自分の部屋まで辿り着くと、僕は声を押し殺して泣いた。


唯一の楽しみだった水泳まで奪わないで……。

僕の居場所を取らないで……。

口に出せない願いを、心の中で何度も何度も繰り返した。



僕にとって、スイミングは数あるお稽古ごとの一つだった。

だけど泳げるようになって、級が上がって、祐太と張り合いながら練習するのが楽しくなって……。

祐太が頑張ってるから、僕も頑張った。

そしたら速く泳げるようになったんだ。

だからこの前の大会で、一番速く泳げたのに……。


『僕は要らない子なんだ……どんなに頑張ったって、誰も僕を見てくれないんだ』

痛いくらいの孤独を感じたら、胸が張り裂けそうなほど悲しくなって、涙が溢れて止まらなくなった。

涙が出なくなるまで散々泣いて、泣き疲れて眠ってしまったその日以来、『頑張るのは僕らしくない』と自分に言い聞かせ、目立たないようにすることを決めた。



どうしても出場したかった大会は、体調不良ということを理由に当日棄権を申し出た。

僕がおばあ様に言われた事など知らない筈なのに、

「今日の大会楽しみにしてたんだけど……具合が悪いなら仕方ないわね」

と、珍しく母が優しかったのを覚えている。


そして唯一僕の欠場を残念がってくれたのは、祐太とその家族だった。

その日祐太は大会に出場したけれど、『思ったような記録が出せなかった』と後で本人から聞かされた。



大会後の休日、僕は祐太の家に遊びに行った。

すると祐太のママさんが、

「トモ君残念だったわね。今度はちゃんと健康管理して、ウチの祐君と一緒に全国行きましょうね」

と言って手作りケーキを出してくれた。

そこには、『次こそがんばれ!!トモくん・ユウくん』 とチョコレートでデコレーションがされていた。


「ありがと……ママさん」

突然のプレゼントに驚きながら、切り分けられたケーキを口に運ぶと、目の前のケーキがぼんやり霞んで見えた。

「へへっ、祐太ん家のケーキ、なんか少ししょっぱいよ……」

袖口でこしこしと涙を拭いながら、ママさんの気持ちが込められたケーキを頬張った。


僕は滅多な事で泣いたりしない。

そんな僕がぼろぼろと大粒の涙を流しながらケーキを食べてる。


そんな姿を不審に思ったのか、

「トモ君……何かあったの?……ユウ君ママに話してくれるかな?」

と、僕の目線にしゃがみこんで祐太のママが優しく問いかけてきた。

「俺だって聞いてやるから、何でも話せ!」

祐太まで一緒になって心配そうに僕を見詰めてくる。


そんな二人に見詰められたら、僕は全てを話してしまい衝動に駆られた。

だけど『やっぱりダメだよ、心配かけちゃう』と、喉元まで出かけた言葉をジュースと共に流し込んだ。



「あーあ、信用無いんだ……ショックだなー。トモ君もユウ君もママにとっては大事な息子なのになー」

悔しそうな顔して僕を見詰めるママさんの顔を見たら、胸の奥がきゅうっと痛くなった。


『大事な息子……』

その一言で僕は全てを話す気になった。


「あのね……僕もう水泳できないんだ……」


黙って僕の話を聞いてくれたママさんは、全てを聞き終えると、

「よし、ママに任せなさい!」

と言って、胸をドンと叩いた……。


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