鈴の気持ち
野原は、いつもと変わらなかった。春の暖かな風、優しい陽の光、色とりどりの花。
いつものさよいならば、野原を駆け回り、綺麗な花を見つけると持って帰り、しんに見せるのだ。あまり外に出れないしんのために。
けれど、今日のさよいは違った。いつもの様に走り回らずに、木の陰に座りこんでいる。表情も暗く、いつもの笑顔も浮かべていない。
原因は、数日前のしんの告白。
あの日から、しんの側にいるのが辛くなった。だから野原に来たのだ。
「あの時言ってしまいそうだった」
小さく紡がれた言葉は、答える者はなく風に流されていった。
「本当の気持ちは……本当は」
そこまで口にして、「ハッ」と我にかえり首を振る。
「もう言わないて、忘れようて、決めたのに…」
言ってしまいそうになった、あの時…。
ぎゅっと拳を握りしめる。
「決めてたのに。決めてたのに」
自分を戒めるために呟く。
「ずっと隠していくつもり」
後ろから投げかけられた声。知っている声。
「何のこと?」
平常を装いながら返した。
「しん君のこと、好きなんでしょ。もちろん恋情の方。この前、どうして嘘なんかついたの」
「見てたの」
「ええ」
「嘘なんてついてないよ」
笑顔をうかべる。いつもの様に笑ったつもりだった。
「なら、どうしてそんな顔しているの」
いつの間にか正面に回っていたしらゆい。
笑えていなかったのだろうかと、思いまた笑おうとした。
「無理しないで」
と、言いながら優しく頭を撫でられた。そこでようやく自分の頬に涙が伝っているのに気づいた。
「さよい。あなたには、嘘も作り笑いも涙も似合わないわ。でも泣きたい時は泣きなさい、おもいっきり」
涙が溢れてくる。それをなんとか堪える。
「うっ……ヒク、でも」
嗚咽まじりになりながらも必死に伝える。
「でも、嘘をつかないと、いけないん、だ。ふくっ……ボクの気持ちなんて、うっ伝えちゃ駄目なんだ」
「どうして」
「だって、ボクは座敷童子で、…ヒクしんは人で、しかもしんは、体が弱くて本当はもう、もう限界なんだ。……思いを伝えた、て」
「しん君の帰ってくるて言葉を、信じないつもり」
さよいはふるふると首を振る。
「それにしん君はね」
思い出す。ほんの数日前の事を。
『俺は、さよいの事をずっと好きなんです』
朗らかな笑みをうかべて言われた言葉。
『友愛でも家族愛でもなく、俺はさよいを、一人の女の子として好きなんです』
照れなんて感じない物言いに此方の頬が朱に染まる。
『ならさよいにその事を伝えてあげて。あの子…』
『ええ。そのつもりです』
良かったと言いながら、胸を撫で下ろすとしん君は。
『でもさよいは、きっと受け入れてくれないでしょうね』
そうだと、私も思っていたけれど、伝えて欲しい。ぎゅっと手を握りしめる。
『今は』
その言葉の意味が分からずしん君を見ると。
『だって俺は人で、しかも本当は医者に今生きているのが奇跡と言われたんだすよ。けれどさよいは、座敷童子で俺より遥かに長く生きこれからも長い時を生きるでしょう。なら伝えても、一緒に居られないて考えてきっと答えてくれないでしょうから』
感心する程にしん君は。
『さよいの事、理解しているのね。少し妬けてしまうわ。私もしん君みたいな人と出会って恋をしたかった…』
本当にどうして私はあんな男に入れ込んでしまったんだろ。
『そんな事はないですよ』
そうやって謙遜する所だって。
『でも、どうする気なの』
『それは…』
「しん君はあなたの考えていたことなんてお見通しだったわよ。だから彼は、私たちと同じ存在になるつもりよ」
「同じ存在……」
きょとんとするさよいの姿に思わず状況を忘れて、可愛いと思ってしまう。
『俺は別に、さよいとしらゆいさんしか見えてないわけじゃないんですよ。だから、他の普通の人に見えていない存在は見えてるんですよ。だから聞いたんです。あなた方のような存在になるにはどうすればいいか』
確かに、私とさよいしか見えない方が異質だ。
『何人かの優しい方は答えてくれました。彼ら曰く“強い何かしらの思いを持った者は妖怪になりやすい”と、いう噂があると』
それは、たぶん本当だ。事実、私がそうだったから。私の場合は憎しみという醜い感情……。
しん君の強い思い。それは……
『さよいへの思い…ね』
『はい』と、答えるしん君にやっぱりさよいを任せられるのはしん君だけしかいないと思う。私のようにあんな男に引っかかて欲しくない。その点しん君は、優しく誠実な人だから。だから、二人には幸せになって欲しいの。
「しん君は、あなたのことを本当に一途に思っているのよ。私たちと同じ、人ならざる者になってもいいと」
「しんが本当にそんなこと言ったの……そんなの、そんなの、駄目だ!」
さよいは下を向いて叫ぶ。
「しんをボクのせいで、この世に縛りつけるなんて嫌だ!しらゆい忘れたの、ボクらはちょとやそとじゃ死ねないんだよ!」
「忘れたわけじゃないわ。でもそれほどまでにあなたを愛してくれているのよ。…私は羨ましい」
「……っ!」
ばっと顔を上げ、青くなった顔でこちらを凝視する。
「あっ……違うのよ。羨ましいと思うけど、大丈夫。…ねぇ、さよい。あなたはあんないい人に愛されて、これからも変わらずに愛してくれる。それにあなただって好きなんでしょ。思いあえることはとても幸せなことよ。あなたはずっと、人に幸せを与えてきた。そればかり。ねぇ。あなただって幸せになる権利はあるのよ」
胸の前でぎゅっと力一杯握りしめた両手。
私はただ。
「あなたに幸せになって欲しいの。私を恐怖から救い、また幸せな時をくれたあなたに、幸せに笑って生きて欲しいの……!」
私が好きになった人は愛した人は、私を幸せにしてくれる人ではなかった。むしろ私を騙していた。けれどしん君は違う、さよいを幸せにしてくれる人。
「しらゆいーーありがとう」
ぽつりと聞こえた声。先程と異なり、穏やかな口調。
「ボクは……怖かったんだ。はじめてあった頃は、こんな気持ちにるなんて思ってなくて。でもボク、だんだんとしんのこと好きになって」
さよいの目から大粒の涙が流れ落ちる。
「“お兄ちゃん”て呼ぶのも、その気持ちを隠すためで。しんには悪いことしたのかもしれない、思ってくれてるのにその気持ちを踏みにじるようなことをして。ボク…」
私は抱きしめる。優しく、優しくさよいを包み込むように。
「ボク、ボク伝え、るよ。しんに気持ち。もう…偽らないよ」
「ええ。応援しているわ」
腕の中にいるさよいは顔を上げる。泣いて赤くなった目や鼻、流れ落ちる涙。
「ありがとう。ボク、しらゆいの事も大好き!」
とっびきりの笑顔で言ってくれた。嬉しくてこちらも笑みをこぼし言う。
「私も、さよいの事大好きよ」
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野原からとうざかっていく赤い背。
訪れる風は、春の終わりが近づいてくるのを告げるように暖かさを増していく。
「ああもし、私が男であれば、さよいを口説いていたのに。クス。でも、無理よね。私はしん君のようにはできないわ。…私もいつかしん君のように、素敵な人と出会い今度こそ幸せになりたい」
雪女の言葉は、聞くものもいずにまさに雪のように溶けていった。
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