【45章】見えない傷の癒し方
分からないうちは、とにかく押し隠した。
「……?」
里琉は、真っ白な石造りの高い建物を振り仰いだ。
一見静かだが、あの中では激戦が繰り広げられているはずで。
「今、誰かの悲鳴が聞こえたような……気のせいかな」
皆が無事だといいが、そうそう簡単な話でもないだろう。
さて、と泉を見る。
「イシュト達が来る前に、やってしまわないと」
水質は浄化しなければいけないらしいが、浄化装置を作るまで待ってもいられない。
フィリア曰く「今すぐにどうこうなるわけではないが、そろそろ危険かも」というレベルだそうで、ならば里琉の血を使って浄化した方がよほど早いだろう、と判断したのだ。
ただし、どのくらいの血が必要かは、里琉にも分からない。
それでも、血の一滴で一リットル以上は浄化出来るのが分かっているので、多少献血に近いレベルの出血があれば、ある程度は浄化が出来るはずだ。
その間に浄化装置を作ってもらえば、事足りるであろう。
里琉は袖をまくり上げて、むき出しの腕に、取り出した短剣の刃を当てる。
そのまま勢いよく切り込もうとした時だった。
「何をしているんですかっ!?」
見知らぬ少女の、悲鳴のような声が聞こえて、里琉は驚く。
「……だ、誰……」
振り向くと、まだ子供にも思えるような背丈の少女が、震えながらこちらを睨みつけていた。
「…………まさか、あなたが……テファ?」
「ど、どうして」
狼狽えるその姿は、ラバカ大臣によく似ている。
娘だと聞いていたが、本当に親子なのだと分かる程だ。
「……いいえ、それよりも何故ここにいらっしゃるんですか!? 制圧は管理局のはずです!!」
しかし、すぐに立ち直る姿もそっくりで、再び彼女は問いかけて来る。
(まいったな。私の血の事を知られるわけにもいかないし……どう誤魔化そうか)
ひとまず短剣はしまうと、里琉はテファに向き直った。
「話は聞いてるよ。女官カーエの申し出によって、今回の隊に世話係補助として入れられた下働きの女官だよね。こんな所に居る暇はないはずだ」
職務怠慢か、と責める里琉に、同じく責めるような声でテファは返す。
「……あなたさまこそ、どうして……管理局内に行かないのですか!?」
今回、里琉が出来る事はオアシスの浄化くらいなものだ。
人員の大半は管理局に割かれ、この泉にわざわざ来る人間は居ない。
そう、人間にはこのオアシスの水が使えないと、分かっているはずだから。
「しかも泉へ来て、今、ご自身を傷つけようとなさっていたのでは!?」
「……その目的を聞いてどうするの?」
血に関する情報は、ユジーやイシュトに教えていない。
それだけは伏せていろ、と周囲が止めて来たのだ。
各々思う所はあるだろうが、里琉としても別に構わないし、知られた方が面倒というのは確かにあった。
だが、ここまで無関係だった目の前の少女には、別の行為に見えたらしい。
「まさか……まさか、あなたさまはその血に毒を!?」
「え」
全く真逆の事を言われて、里琉は固まる。
「知っております。あなたさまは、奇跡のような存在だと。陛下のお心を正し、姫様の病にも似たお心を癒したと。しかし……実は、そうして油断をして――この国を滅ぼそうとなさっていたのではありませんか!?」
見事なまでに、見当外れの推論だ。
だが、里琉の正体を知らないのならば、当然の結果なのかもしれない。
「……私が、そんな事をする理由があると、そう言うつもりなの?」
「…………アリスィア」
「!」
「あなたさまは、アリスィアの仲間なのではありませんか?」
出て来た名前と疑われた関係性に、里琉は珍しくも怒りが湧いた。
「アリスィアが戻ってきたことを知られない為に、泉に毒を流そうとしたのでは!?」
「あなたは、何も知らないからこそ言えるんだ」
「!」
驚く程、冷たい声。
テファはきっと、何も知らずに動かされている。
そう分かっていても、里琉はあんな存在と同列にされるのが許せなかった。
「何しにこの泉に来たの? 私を見たからだよね。私とアリスィアの共謀を疑っているのなら――今すぐ、あなたにはするべきことがあるはずだ」
この際、裏切り者として捕まるのは承知で、テファを遠ざけるしかないだろう。
だが、テファは首を横に振った。
「いいえ。あなたさまから、目を離すわけにはまいりません」
「止める? いいよ。だけどあなたにそれが出来るとは思えない。だって、あなたの言っている事がもしも真実なら、あなたはむしろ、私の仲間として動かなきゃいけないはずだからね」
びくり、とテファの体がはねた。
青ざめて引きつるその表情は、怯えを隠しもしない。
だから、里琉は短剣を再び引き出し、鞘を抜く。
「どっちに転んでも、あなたには私を止められない。それとも、止めるだけの方法がある?」
「お、お止め、下さい。て、テファは……アリスィアの、仲間などでは……っ」
「じゃあ、行って。あなたの仕事は、私を告発する事だ」
その間に血を流す事を認められるのなら、彼女は行ける。
だが。
「も、戻れません!! テファには、重大な……役割が、あるのです!!」
青ざめて震えながら、彼女はそれでも拒否を示した。
「あ、あ、アリスィアは、言いました。あなたさまには、毒の血が流れているのだと。それを阻止するか、あなたさまが流した血を浄化する為に、薬を……使わなくてはいけないのだと」
「何だって?」
里琉の血の事を知っている上で、嘘を彼女に吹き込んだ、ということか。
「アリスィアは、あなたさまが泉に行くのを見ていました。テファは、もう、二度と……失敗は、許されないのです!!」
思い詰めたようにこちらに駆け寄り、テファは里琉へ掴みかかろうとした。
それを避けながら、里琉は片手で彼女の細い腕を掴み返し、止める。
「ひっ……!!」
「最初から、そのつもりだったんだろうね。私が血を流しても、その薬があれば意味なんて無い。あっという間に――この国を滅ぼせるから」
「な……?」
青ざめ震える彼女は、果たして自分のしようとしている事が分かっているのだろうか。
否、あのアリスィアが正直に教えているわけがない。
「その薬が本当に薬か、誰が確かめるの? それとも私が飲んでみせればいい?」
「しょ、証拠隠滅など、させません!!」
「アリスィアの事を、信じてる?」
率直な問いかけにテファは、びくっと怯えた。
その反応で信じてると即答されても、普通に洗脳を疑うレベルである。
だから里琉は、確信を持って彼女に囁いた。
「……あなたがしようとしていることは、裏切りだよ」
「っ」
「私を信じるか、アリスィアを信じるか。その二択だ。もし私を信じてくれるなら、その薬を渡して」
「あ、あなたさまも、信用出来ません!!」
「分かってる。今この瞬間だけでいい。……終わったらイシュトに……この国の王様に、堂々と言えばいい。私は信用出来ない人間だって」
なんてことを、と彼女が呟く。
だが、今のイシュトなら聞いてくれるはずだ。
下働きの、ドジな女官の言葉だとしても。
「その薬だけは、使わせない。それが、私の信じる答えだ」
まっすぐテファを見てそう告げた里琉に、しばらくして彼女の、震えた唇が言葉を紡ぐ。
「……たすけて……ください」
彼女が胸元から探り出したのは、小さな小瓶。
「泉を浄化するお薬だと、信じたかった。でも、テファは…………アリスィアを信じられないのです。五年前、テファを利用して陛下を陥れ、アルナさまを娼館送りにしたあの方を、信じる事など、出来ないのです!!」
――やはり、彼女も被害者の一人だったのだ。
頷いた里琉がその小瓶を受け取ろうとした瞬間。
「え? ――きゃあああああ!!!」
テファの頭が、後方に引っ張られた。
結んでいた髪が、その後ろに居る人物の手に掴まれている。
「本当にあんたは、何度言ったって逆らうんだから……」
歪んだ声と、歪んだ笑顔。
何より、その風貌は。
「……カーエ……いや、アリスィアか!」
「ひっ!? いや、いやああああっっ!!!」
怯えて暴れるテファの手から小瓶を奪い、アリスィアは言った。
「そうやって他人に縋って許してもらえてるんだから、腹立たしいったらないわ。五年前も今も、他人に責任を押し付けている裏切り者」
「力で無理矢理従わせてるあんたが、それを言うんだ?」
「弱者は強者に逆らえない。そんな事も分からないっていうの?」
「本当の意味で強い人間なら、他人を力で従えたりなんかしない!!」
言いながら、ふと里琉は気付いた。
――イシュトは今まで一度も、力で里琉を従わせていない事に。
(……何だ、やっぱり、正しいじゃんか)
「何を笑っているの? この子がどうなってもいいのなら、縊り殺されるのを見ていなさい」
テファを引き寄せ、その首に腕をかけるアリスィア。
だが、里琉は迷いなくその腕を狙って、短剣を放った。
ドスッ、と容易くそれはアリスィアの腕に刺さるが。
「残念ねぇ。痛くないのよ」
凶悪な笑顔を見せるアリスィアは、吹き出す血もそのままに、テファの首を絞め上げ始めた。
「ひ、うぐ……っ!」
細く小さい体は、少しばかり浮き上がっていて。
「……少しずつ、息の根を止めてあげる。奇跡なんて、その女には無いのよ。奇跡はあのお方の為にだけ存在するの。あのお方が要らないと言ったものは、全て要らないんだから」
アリスィアは恐ろしい程穏やかな声で言いながら、少しずつ腕の力を強めている。
考えあぐねている暇は無い、と里琉が自ら止めようとした瞬間だった。
ドスッ!
「っぐ!?」
びく、とアリスィアが動きを止め、次いで力が緩んだのか、テファがそこからすり抜ける。
同時に落ちた小瓶を拾い、テファはふらふらとよろめきながら里琉の方へ歩いた。
「り、リル、さま。……げほっ、これ、を」
差し出す小瓶を受け取った里琉の目の前で、テファがくずおれる。
その背後から、起き上がったアリスィアがぬうっと里琉の前に手を伸ばしていた。
「お前さえ――居なければ!!!」
咄嗟に足を一歩引いた途端、水音がした。
そう、ここは――泉の淵。
狂気に染まった笑顔が、腕が、里琉をそのまま泉へと突き落とす。
衝撃と重くなる感触がまとわりついて、里琉を水底へ沈めていった。
同じく衝撃で蓋が外れた小瓶から、液体が流れ出してしまう。
その近くに居た魚が、途端に白い腹を上に向けて浮いて行くのが見えた。
(毒――……そうか、やっぱりこれは、アリスィアが作った……)
早く血を出さないと、と思った里琉だが、そういえば短剣はさっき、アリスィアに投げつけてしまったのだった、と思い出す。
(まずった。あれしか持ってきてない……!)
今から浮いて短剣を取りに戻って、そうしてからではきっと遅いはずだ。
遠ざかりつつある水面を見つめて迷う里琉の目の前に、きらりと何かが光る。
「……!」
みるみるうちに形を見せたそれは、まさしく求めていたもので。
「っ!」
ごぼ、と息を吐き出しながら、里琉はそれを掴み、今度は躊躇なく手を切りつけた。
水に混ざる血が、次いで赤い光となって、泉全体に広がる。
たった一瞬の出来事なのに、泉の中は別世界のように澄んでいた。
(……はは、すげえ効力。誰だか知らないけど、短剣投げてくれて、助かった)
息を吐き切ってしまったせいで、多少苦しい。
否、それだけではないだろう。ここはもう底だった。
わずかに薄暗い世界、里琉は自分が生きているかどうかも分からなくなる。
このまま目を閉じれば、全部夢だった事になるのではないか。
そう思った矢先、ちかりと何かが光るのが視界によぎった。
「……?」
重い頭を動かしてそちらを見ると、そこには驚いた事に、クラスター状の透明で大きな石の塊があって。
しかもそこから水が湧き出しているらしく、更に周辺は他よりももっと澄んでいた。
水の中なのに、そこだけ生きていけそうな程の清廉さだ。
(……そうか、この泉……最初から、石に守られてたのか)
石そのものが浄化装置の役割を果たすのは、よくある事。
里琉はふと水面を見上げて、死んだはずの魚が元気そうに泳いでいるのを見つける。
(おいおい、よく生き返れたなあの魚)
仮死状態だったのかもしれないが、驚きの生命力だと思う。
だからこそ思い出した。自分の体が今は、簡単に死なない事を。
(……そうだった。まだ、終わりじゃない)
浄化も済んだし、この泉に大人しく沈んでやる程、里琉はお人好しでもないから。
アリスィアはどうなっただろうか。テファは無事だろうか。
そう思いながら光煌めく水面を、里琉は目指す。
ややして、ばしゃんっ、と音を立てて外の世界に戻ると。
「リル!!」
驚いたことに、イシュトの声が届いた。
「……あ、結構岸遠かったんだ」
軽く手を振って、岸へ向かって泳ぐ。
さすがに泉に脱ぎ捨てられないのでそのまま泳ぎ切って岸に上がると、随分消耗していたのか息が上がっていた。
「……っ、アリスィアは!?」
イシュトに助けられながら問うと、彼はすぐ答える。
「今しがた、破壊した。頭のチップに電気を通したから問題ない」
「テファは無事!?」
「無事だ。それよりお前はまず着替えを……おい!」
言われずとも、と里琉は濡れた上の服を脱いで絞る。
「当分死なないって知ってるだろ。制圧の方に戻って」
「…………その状態のお前を残す方が不安だ」
王としての仕事を優先しろ、と言ったのに、イシュトは遠慮なく里琉の腕を掴み。
だが、里琉はそこで走った鋭い痛みに短く悲鳴をあげた。
「いっ……!!」
「!?」
驚く彼が里琉の腕を見て、そこにある傷と滲む血を確認する。
「おい、これはどうした?」
「……あれ、治ってない……?」
おかしいな、と疑問を抱いた里琉は、試しに持っていた短剣で再び別の場所を軽く切る。
やはり、傷は消えなくて。
「あちゃー……効力切れた……」
さすがに水の中に一定時間沈んだ挙句、深い傷を負った場合は無理があるらしい。
「アリスィアにやられたのか?」
「ううん、自分で……あっ」
「……リル。一応訊く。何でそんな事をした?」
イシュトには、里琉の血の話をしていない。
なので、里琉が何故怪我を負う必要があったのか、彼には分からないのだ。
だが、どうしようかと迷っている里琉の視界に、それどころではない光景が映り。
「イシュト! アリスィアが!!」
「!?」
振り向いたイシュトは、驚愕していた。
「何故だ!? あいつは確かに俺が壊したはずだ!」
「はっ、残念だったなぁ、王様よ! 俺はプロトタイプなもんでね。ちょっとやそっとの電流じゃ、大した刺激にもならないんだよ!」
見知らぬ男が、カーエの体を抱き上げて笑っている。
「待て! そいつをどうするつもりだ! もう破壊している!」
「この女のチップだけは持ち帰れって言われているんだよ。だが時間が無い上、チップを取り出して特殊容器にしまっている暇もないようだからな。あばよ!!」
そして、そのまま軽やかに、そして想像以上のスピードで逃げて行った。
「くっ……!!」
「…………持ち帰る? じゃあ、あれもリカラズの……」
「ああ。キメラだ。…………くそっ、ようやく仕留めたというのに!!」
悔しそうなイシュトは、里琉の腕を掴んだままで。
(あれ……? アリスィアを破壊したのに……私は消えない。じゃあ……もしかして)
「私は……リカラズに行かなくちゃいけないんだな」
ここに存在している以上、里琉の目的は、役割は、終わっていないということで。
ぽつりと呟いた里琉に、イシュトが首を横に振った。
「今すぐ追うのは、お前が危険だ。……例の傷が消える奇跡ももう失われたのなら、尚更だろう」
「だけど、もう少しなんだ。あいつを追ってリカラズに行けば、私は帰れる……!!」
逃したくない。そう思って里琉が抵抗を試みていると、そこに否定が入った。
「無駄だ。私の自治しているエリアはともかく、姉上が統治するエリアは、完全に統制されている。外部者が入った時点で、総員から排除攻撃を食らうだろう」
ダリド王子の冷静な言葉。それは、里琉の行動目的が遂行不可能だという証拠で。
「少々時間を頂きたい、リル殿。貴殿が確実に姉上と王妃を排除できるよう、こちらで準備を整えたいのだよ」
「そんな……もう、すぐ目の前にあるのに」
「だからこそ、だ。……リル殿、焦ってはいけない。貴殿は今回、泉の浄化に集中したんだろう。赤い光の目撃証言を聞いている以上、成功した事は分かっているよ。だから今は、休むといい」
「…………はい」
もう少し、後少し、というところで、砂のように零れ落ちて、里琉の目的はまた少し遠ざかってしまった。
それでも。
「制圧は完了している。キメラばかりのあの場所では、電波障害及び命令変更であっという間だ。……今頃は、全てのキメラの破壊が行われているだろう」
「…………じゃあ、オアシスは……守れた?」
「ああ。お前のお陰だ、リル」
「おや、我々は?」
「……礼を言う。リカラズの者がいなければ、手間が倍に増えていただろうからな」
「ふむ、少しばかりまともな思考に戻ってきたようだ。アリスィアをその手で壊したからだろうか?」
彼らの会話を聞く限りでは、決して停滞などしていない。先へと少しずつでも進んでいると分かって、里琉は安堵した。
「……まだ、足りないんだろう。分かっている。あいつの洗脳を受け続けた俺が、そう簡単に自我を取り戻せるわけではない」
「その調子だ、レダの王。それともう一つ、するべきことがあるのでは?」
何だろう、と思っていると、不意にイシュトが気まずそうにこちらを見て。
「……すまなかった。お前を、随分と傷つけていただろう」
しゅんとしながら、謝ってきた。
「え、あ、えっと」
「目に見えなくても、お前は自分が傷つきながら、俺達の事を案じてくれていた。……結果として、お前に無理を強いた事になって、すまない」
「…………い、いいよ。私はほら、見ての通り少しくらいなら大丈夫で……いたたた!」
気にするなと言いたかったのに、彼は掴んでいた腕に力を込めて。
「痛いのなら、そう言え。傷を隠すな」
自分の方が痛いような顔をして、そう告げる。
それが心配しているのだと分かっても、里琉は。
「……嫌だ」
小さく、首を横に振ると、彼の手を振り払った。
「言ったはずだ。誰も傷付かない結果が欲しいって。私はこの世界の人間じゃない。私が傷つくのは、この世界には関与しない事だ。だから、私が傷ついたとしても、それでうまくいくのなら、それが正しいんだっ!!」
「そんな事を、俺達は望んでいない!」
「……どちらの言い分も、間違いだ。リル殿だけが傷つけばいい話でもないし、かと言ってリル殿が何の傷も負わずに世界を救えるなどと、思ってはいけないのだよ」
ダリド王子が、里琉とイシュトの言い争いに口を挟む。
「……でも、私はその為に……」
「勘違いしないように。貴殿が傷つくだけで世界が救われるのなら、それは奇跡ではなくただの犠牲だ」
「……!」
「だったら、極力傷つける事の無いようにするのが正解じゃないのか」
「貴殿もだ、レダの王。リル殿が大事な存在だとしても、守ろうとするのではなく、必要とするべきだろう。リル殿がこの世界に居る限り、この世界に平穏は訪れないのだから」
そして明確かつ冷静な指摘に、二人して黙るしかなかった。
「さて、リル殿はまず着替えと手当てをしよう。それからレダの王、貴殿は指揮を執る側だ。……ここで女性一人にずっとかかりきりになってはいけない」
「…………分かった。そいつを頼む」
苦々しく、イシュトはその場を立ち去った。
結局仲直りした気がしないのだが、もしかして、これが本来あるべき関係なのではなかろうか、と里琉はふっと思う。
そして、戻った先で着替えと手当てをしている間に。
「リルさま、ご無事でしたか……!?」
テファがやってきて、涙目でしがみついてきた。
「申し訳ありません! どうか、テファに何なりと裁きを!」
「……い、いや、だってテファは脅されてたし、逆らえなかったんだよね?」
「そうですが、やはり大臣の娘として、このままでいいはずがないのです!」
やはり、思い詰めるタイプのようである。
どうなだめるべきか、と思っていると、そこにフィリアがやってきた。
「安心なさい。あなたに関してはちゃんと調査済み。前王妃様があなたに焼き菓子を作らせたの、覚えてる?」
「は、はい。何故か砂糖をどっさり入れるよう指示されまして……」
「あれはね、当時の王子への悪戯もあったんだけど、何より、あなたを直にちゃんと観察したかったのが目的だったのよ。あなた、王妃様に見張られてたとはいえ、焼き菓子自体はちゃんと焼けてたそうじゃない?」
「は、はい。王妃様は美味しいと仰って下さったので……テファ、覚えております」
「そういうこと。あなた、アリスィアに行動を抑制されて、ドジを踏むように操られてたの」
そんな事が、と思ったが、今更驚きはしない。
元より、そうでなければ説明がつかない事もあったのだ。
「あなたは別にドジでもないの。あなたがドジを踏んだとしたら、それは……あなたの足を引っ張りたい誰かが、ドジを踏ませてるだけよ」
「そんな……!?」
驚愕しきりのテファに、里琉は頷いてみせる。
「アリスィアがその最たる存在だったし、彼女はもう居ない。テファ、もう誰にも怯えなくていいんだよ」
「……ですが、テファ、まだお約束を果たせていないのです。アルナさまとの大事なお約束なのです!」
「約束?」
「強い女になるのです。テファは……アリスィアに逆らえませんでした。ちっとも、強くなれないままです……! 悔しいです!」
アルナというのは、もしかして五年前、娼館に行ったという女官だろうか。
だとしたら、きっとその約束は、テファを守る為で。
(……すごい人だったんだ。全部背負って、本当の意味で誰も責めずに、希望さえ与えた人……)
「テファ。だったら尚更、ここで諦めちゃ駄目だ。約束を果たしたいのなら、私が手伝う。メーディアさんに掛け合って、テファがもっと強く頑張れるようにするよ」
「あなた、また安請け合いして!」
「さっきはテファを守り切れてなかったんだ。ここでまた放置なんて、出来ないよ!」
「……あ、あのう。そのことなのですが……実はあの時、アリスィアの背中に、短剣がどこかから刺さったようでして」
話を聞いていたテファが、おずおずと告げてくる。
「その後すぐに、陛下がいらっしゃったのです。リルさまがアリスィアに突き飛ばされたところを目撃したらしく……ああっ、そう、アリスィアの薬を持ったまま、リルさまが落ちてしまわれて、その、テファ、とっさに……短剣を!!」
更に続けていた説明の途中で、テファがあの短剣を投げ込んでくれたと分かった。
「えーと、何で投げてくれたの?」
「あのう、リルさま……最初にご自分を傷つけようとなさってましたよね。アリスィアはリルさまの血が毒だと言っていたのですが、アリスィアの言葉を信じなくて良いのなら、リルさまの血はむしろ浄化する側なのだと思いまして……勝手な判断でしたが……その、投げ込んだ後、泉が赤く光ったので……」
「目撃証言って、テファか! ……すごいじゃん。信じてくれて、ありがとう!」
殺されかけてパニック状態だっただろうに、よく判断してくれた、と里琉はテファに抱き着いた。
途端にテファは真っ赤になって恥ずかしそうに言う。
「り、リルさまがテファを守ろうとしてくださったのが、分かったからです。で、ですから、そのう」
「ん? 何?」
「ご、ご迷惑かもしれませんけれど……リルさまにご恩返しをしたくて! これから、リルさまのお傍で、どんな雑用でも致します! ですから、テファをリルさまの為に、働かせてください!!」
がばっ、と土下座するテファは、とても大臣の娘とは思えない程に必死だ。
「……えーと、あの、私そういうつもりはなくて」
「本当に雑用で良いのです! テファは、リルさまにお仕えしたいんです!!」
「あなたつくづく、懐かれるわよね。女官長様もテファの現状を聞いて呆れていたし、使えない女官を下働きにして、テファを昇進させようかしら、って言ってたわよ?」
「え、い、いつの間に」
「この間から。大体、アリスィアみたいなある意味大物の悪人に目を付けられてたのよ? それも、五年も前から。王妃様がそこを見逃すわけないじゃない。だから一度観察したわけだし。良い機会だから、傍に置いたらどう?」
いいのかな、と里琉は困惑する。
近いうちに居なくなる身だ。逆に、テファにとってはいいのかもしれない。
「……そうだね。じゃあ、慣れるまでって事で」
「ありがとうございます!!」
ぱっと顔を輝かせるテファは、まるで拾われた子犬だ。
困ったことに、里琉は子犬が好きである。
(あ、イシュトもそれっぽいかも)
ふと思ったが、口にはしない方がいいだろう。
そこに。
「リル殿! 泉に落ちたと聞いたのだがっ!?」
制圧隊の正面突破側の指揮を執っていたファクール隊長が、バタバタとやってきた。
「……見ての通り元気ですし、ご心配なく」
「また無茶をしておいて、心配するなというのは無理な話だ! 大体君は俺が認めた唯一の――」
「はいはい、友人、ですよね?」
余計な事を言うな、と笑顔で制してやると、彼はぐっと詰まる。
それを見ていたテファが、じとん、とファクールを見て呟いた。
「女性ばかりの場に足音荒く踏み込んでおいて、騎士ですか……?」
「む、君は……ああ、噂は聞いているぞ。度重なるドジの末、大変な失態をやらかして降格させられたとかいう」
「……何故でしょうか。他の方々に言われても、仕方ないと思っていたのですが……あなたさまに仰られると、随分と腹立たしく……」
「だが、事実だろう。それで今度はどんなドジを踏んで、リル殿に迷惑をかけたのだ?」
うわあ、と里琉は眩暈をおぼえた。
なるほど、彼がモテない理由はここに尽きるだろう。
「…………イシュトよりデリカシーがない……」
「なっ!?」
「まったくです! 陛下はお優しく紳士なお方ですのに!!」
「なっ、まさか君は陛下に!?」
「あなたさまこそ、リル様をお慕いしてらっしゃるんですか? お噂は聞いております。強い女性にしか興味が無く、適齢期が来ているはずにも関わらず、何故か縁談が一通も来ないとか。カラム大臣様がお気の毒ですわ」
「ラバカ大臣様のお嘆きを知らない君が言うか!?」
ここに来た目的をそっちのけに、テファと言い合いを始めるファクール。
それを止めもせず眺めながら、フィリアがぼそっと呟いた。
「私からしたら、どっちもどっちなんだけどね」
ファクール隊長は確か、今年で二十歳。リルと同い年だった気がする。
(同年代の男子は女子より幼いって聞くからなあ……私にはイシュトくらいでちょうどいいのかも)
そう思ってから、はっと気づいて慌てて否定をこじつけた。
(いやいやいや、ここまで仲悪くなっといて有り得ない! 私はとにかく帰らなきゃなんだから!!)
そして団長とイシュトが止めに入るまで、テファとファクールの言い争いは続いたのである。
知った後は、否定した。




