【21章】灰色の確信
ほんのわずかな疑惑も染めて。
実に十日ぶり、里琉は再び彼と会う事が出来た。
「イシュト!!」
その姿は少しだけ疲れているようだが、きっと忙しいからだろう。
「……何だ、随分機嫌がいいな」
「昨日、宰相様に、鉱山を見せてもらったんだ!! すごかった!!」
元の世界では絶対、あと何年も先だったであろう、鉱山の見学。
鉱山は想像以上に広く暑く、そして鉱夫たちが必死で働く姿とそれによって掘り出される原石の美しさは、とても価値などつけられないものだった。
「鉱山に興味があるとは、奇特な奴だな」
「そう? でも、本当に素敵なんだ。長い長い年月をかけて生まれた石が、暗い土の中から光の中に照らされる瞬間って、あんなに綺麗なんだね」
少々不謹慎だが、あの瞬間が見れた時、もういつ死んでもいいと思えたほどで。
ユジーはそんな里琉の感激ぶりに、重い溜息をついていた。
代わりに鉱夫たちには珍しがられながらも、また来てくれと言われるに至っている。
「……っと、そうだ! それでね、実は少しだけ、鉱夫の人からお土産もらったんだ。あげるよ!」
持ってきてて良かった、と里琉はポケットから布の包みを取り出す。
「……俺にか?」
驚くイシュトにそれを差し出して頷いた。
「他に誰が居るんだよ。それに……前、鉱石標本くれただろ。私まだあんまり高いものとか買えないからさ、お礼代わりにもらってよ」
ガルジスに一度は伝えたが、やはり直接お礼を言いたいと思っていたので、この機会は逃せない。
少しだけ迷っていたのか、僅かな時間が空いてから、イシュトは包みを受け取る。
「……開けてもいいのか?」
「うん」
鉱夫曰く「加工出来ないクズ石ではあるものの、飾っておく分には綺麗な石」だそうだ。
なので遠慮なくお土産としてもらってきたのは――。
「……夜虹石?」
呟いた言葉で、正解だ。
一見、何の変哲もない黒曜石にも似た石だが、その実、蓄光し暗い場所でその姿を見せる。
「当たり。暗いところで虹色に光る石。イシュトのイメージなんだよね」
「……何だそれは」
「見た目だけじゃ分からない良さを持ってるってこと。それ、夜はちょっとした灯りになるんだって」
虹色とはいえ、夜に見たら幽霊かと思うかもしれない。
だがそれも、正体が分かっていればどうということもないはずだ。
「あ……もしかして、気に入らなかった?」
じっと石を見つめているだけのイシュトに、里琉は少々不安になって尋ねると。
「いや。お前からの礼ならもらっておく。……ありがとう」
そう告げたイシュトは、石を布袋にしまうと、それを胸の内側にあるポケットへと突っ込んだ。
「……さて。俺が居なかった間に、お前はどのくらい上達したんだ?」
次いで剣を抜き、そう問うてくる。
ここからはおしゃべりではない。
里琉も同じく剣を抜いて構えると言った。
「イシュトほどの才能はないよ。でも上達はしてるって言われた」
とん、と軽やかに地面を蹴り、刃を彼の首筋に向ける。
それは難なく防がれたが、狙いは次にあった。
「うりゃっ!!」
重心を後ろに傾けつつ足払いを食らわすと、彼はさすがに予想しにくかったのか、引っかかって体勢を崩す。
剣の重みを利用して前へと重心を戻した里琉は、そのまま剣を振り上げて、再度彼の首元を狙った。
「ちぃっ」
よろけながらも、イシュトはそれを弾く。
「ありゃ」
いけるか、と思ったがやはり経験の差は大きい。
一度バランスを取り戻す為に低くしゃがむと、反動と共に剣を上へ押しやり――。
がいんっ!!
「んぎゃ!?」
あえなく、彼の剣に押し戻されて地面にべしゃっと伏した。
「……確かに才能はあまりないな、お前」
「うう……面目ない」
「だが、身軽さ、柔軟性、切り替えに関してはまだ余地がある」
「ほんと!?」
がばっと起き上がり、里琉は顔を輝かせる。
「だが元より、剣の才はお前にはそこまで必要ないだろう」
「……それは生まれ育ちの問題かな。それとも、私が……女だから?」
特に強くなる必要はない、と言外に言われた気がして、少しだけちくりと心が痛んだ。
里琉の問いにイシュトは、しばし考えて。
「……両方だ。王宮に居なければ、恐らくは知る事もなかっただろう」
そう答えた次に、わずかだけ、びりっとした空気を纏い、続けて問うた。
「何故、お前は王宮に来た?」
(……そうだった。イシュトには、事情を全然話してないんだっけ)
むしろ今更過ぎる程だろう。
確か、村の生き残りで保護してもらった話はした気がする。
となれば、むしろ、王宮から出ない理由が知りたいのだろう。
しばし考えてから、里琉は困ったように返した。
「理由は色々あるけど……他に行くところがないから、かな」
「わざわざ、危険に身を晒してまでか」
「そう。危険に身を晒してでも、出て行くつもりはないよ。あ、でも……」
さすがに出て行かざるを得ない状況になれば、話は別である。
「王様に出てけって言われたら、出てくと思う。この国は王様のだし、王様が私を危険だって判断したなら、処刑するか追い出すか、の二択だろうから……殺されるのはちょっと嫌だし、素直に出て行くよ」
里琉は元よりこの国の人間ではない。逆らうつもりはなかった。
「……追い出す? お前を?」
だが、イシュトは怪訝そうで、かつ少し悲しそうで。
「王様なら、そうしなくちゃいけないはずだ。……ユジーさんが言ってたんだ。私は疑われてるって。正体を突き止めるように命じられてるって」
あの時村に留まらなかったら、もっと平和に過ごせていただろうか。
だが、何もしないという選択肢など、あの時既に捨てていた。
「でもユジーさんは、知ってる。私がどうして、あの村に居たのかを」
「どういう意味だ? お前は壊滅した村の生き残りじゃなかったのか」
「……本当は、少し違うんだ。あの村に私が居たのは、たった一晩だけ。……それも、全部手遅れだった後に来たんだよ」
あの少年は、それでも、村が灰になる事実だけは避けられたと言っていた。
恐らく里琉が来て一番最初に変わった未来なのだろう。
「誰も居なくて、死体まであって、怖かった。でも私は、他に行ける場所なんてなくて――そこに居るしか無かったから、留まったんだよ」
未来は変わった。だが、里琉はこの世界で何をすべきか、今もよくわからない。
まだ重いと言える剣を、だが片手で少しだけ持ち上げると、彼へと向けた。
イシュトが自分を疑うのは正しい。
王が疑うのなら、この王宮でそれをしない方がよほど危険だということだから。
それでも、嘘はつけない。つきたくない。
裏切りたくないから、自分からは裏切らない。
「そんな私を一人のままにしないでくれたのは、あの時助けてくれたガルジス団長やユジーさん、そして他の人たちのおかげだ。私を疑うのも構わないし、どう言ってくれても構わない。でも」
この時ばかりは、イシュトの、長い前髪に隠された目をしかと睨みつけて言う。
「私じゃなく、他の人を傷つけたら、いくらイシュトでも許さない」
尊い自己犠牲だと、誰かは言うかもしれない。
だが、そうではないのだ。
剣を構え直し、里琉は言う。
「疑わしいなら、殺す気でくればいいよ。私は生き延びたいから頑張って避けるけど」
「……そうだな。お前は、確かにそういう奴だった」
ふっと息を吐いたイシュトは、次いで剣を構えたかと思ったら――目の前から消えた。
だが里琉も、そうそう何度も同じ手は食わない。
前方にダッシュをかけ、攻撃を回避した。
ブレーキ代わりに踵で方向転換すると、襲い来る凶刃を寸でのところで受け流す。
ぎぃんっ!
重く鈍い金属の音が響く。
それは確かに、これまでよりずっと重く、そして殺意をまとった剣だった。
これ以上のものなど、里琉には返せない。
だが。
(ねえ、イシュト。私は信じてるんだ)
本当に殺すつもりなら、きっと一瞬で殺されている。
だから、これは。
(いつかイシュトにだけは、全部打ち明けられるって)
――里琉へ対する、彼の誠意。
ひゅっ!!
それは、あと少し力が加わればきっと、無事では済まなかった、ギリギリの一線。
成功確率など一割あるかどうかの、ある種の奇跡。
里琉は初めて、イシュトの顔を間近で見た。
あまり大きくはない彼の瞳は、澄んだ漆黒に驚愕を浮かべている。
だが、里琉とて安堵は出来なかった。
互いの首を狙う銀刃が、そこにはあったから。
どちらかが手を進行方向に動かせば、どちらかの命が消える。
そんな緊迫した状態の中、ぱん、ぱん、と手を叩く音がした。
はっとして、二人は武器を離し、距離を取る。
これまで誰かが介入することなど、一度もなかったのに。
「お見事だな、リル殿」
「パソーテ……大臣」
「この場限りということで、ご容赦願おう。……元より、そうでなくてはいかんのだがな」
「?」
何を言っているのか分からない里琉の横で、小さくイシュトが嘆息するのは分かったが、事情が分からない。
しかしパソーテ大臣はそれを意に介さず続ける。
「その者に間合いを許し、あまつさえ剣を突きつける。……それが出来る人間が、私やガルジス団長以外にも現れたとは驚きだ」
「……攻撃の手は少なくとも最短だが?」
「その最短が、逆にリル殿を引き寄せた、ということになる。真正面からの攻撃にも、種類があるのだ。今のリル殿では随分と無茶であったが……結果的に首が繋がっているようなので、褒めるに値すると判断した」
「ご、ごめん。良かった、殺さなくて……」
今更ながら、体が震える。
この手が、大事な人間の命を奪ってしまっていたら、と恐怖が湧いたのだ。
「怪我、してないよね?」
「ああ。お前は……」
「だ、大丈夫。……って」
先程まで刃が触れていた部分に手をやると、ぴりっと痛んだ。
「あれ……風圧で切れたかな」
指先を見ると、赤い血が着いてしまっている。
血、と気付いた里琉は、慌てて上着を脱いだ。
「リル殿!?」
パソーテ大臣の驚いた声に、構っていられない。
「大変だ、服についてないといいけど。洗っても落ちにくいから、さすがに血はまずい!」
「……待て。そこじゃない」
「そこなんだよ! 下にまだ着てるから大丈夫!」
確認すると、特に血はついていないようでほっとした。
仕方ない、後で絆創膏をエクスにもらおう、と思っていると、ぽいと布が投げられる。
「止血代わりに使え」
「ええ!? だめだよ! 返せなくなる!!」
「やる」
これくらいなら少し放っておけば勝手に止まるのに、と思ってためらっていると、パソーテ大臣が厳しい声でそれに口を挟んだ。
「リル殿。傷は早急に手当せねば、そこから悪化し、死に至る事もある。……出血量の問題ではないのだ」
「……は、はい……でも……」
実のところ、この布は触って分かるレベルで高価なものだ。
元の世界で言うなら、木綿ではなく絹くらいの価値があるはず。
なので危険だと思っていても使う気になれないでいると、イシュトが近寄ってきて布を奪い、強引に傷口へ押し当てた。
「いった!!!」
力がこもっているせいか、痛みが圧迫されて余計に感じる。
しかし不意にイシュトが告げた。
「……詫びだ。お前を疑って悪かった」
「何で? それはいいってば」
「良くない。そもそも、俺は別に疑いたかったわけでは……」
「?」
ふい、と顔を逸らし、イシュトはばつが悪そうなまま、続けた。
「お前が、王に追い出されるかもしれない、などと言うからだ。留まりたいというなら、そう訴えればいいだろう」
「……イシュト?」
「今の王なら、お前をむやみに追い出したりはしないはずだ」
その言葉は不確かなものなのに、何故かはっきりと告げられて。
あれ、と里琉はそこで気付いた。
「もしかして、イシュトって……」
「何だ……」
言ってもいいのかな、と思いつつ、だがここまできたからには尋ねるべきだろう。
そう意を決して、里琉は問うた。
「イシュトって、王様の側近とか、近衛兵とかだったりするの?」
だから、王が仕事をするようになって、護衛などで忙しくなり始めたのかもしれない。
王の近くに居る者は、王を知りながらにして王を厭っていた。
彼もまた王を快く思っていない人間の一人だったし、それなら納得がいく。
「……何故そう思ったんだ?」
「そのくらい強くてただの騎士団員って、さすがにちょっと違和感あったからさ。王様についても何だかんだ言って詳しいし」
「リル殿は陛下をまだ、存じないのだったか」
「そういえば、ホントに何も知らないですね。……うーん、興味ないからかな」
名前の一つも知らないままでいいのだろうか、とは思うが、誰も王の名前を言わないのだから、知っても呼ぶ機会は無さそうである。
「だが、お前は宰相の部下だろう。いずれは会う事になるはずだ」
「その日はどのみち来るんだろ? じゃあ今すぐ急いで知らなくても、やっぱりいいや」
むしろ失礼の無いように、礼儀作法を覚える方が先決だろう。
メーディアの指導は厳しいものの、着実に身についてきているらしく、先日はヴァス大臣からランク上げを告げられていたりする程だ。
「……王が期待通りでなかったら、どうするんだ?」
イシュトは心配しているのか、そんな事を訊いてくるが、里琉はぷっと吹き出して笑いながらそれに返した。
「期待なんかしないよ。王様は王様だもん」
「…………リル殿はまことに、誠実だな」
パソーテ大臣がどこか遠い目をして呟く。
今の会話のどこに誠実さがあるかは、里琉には分からない。
だがイシュトもこめかみを軽く押さえていた。
「当人を目の前にして同じことが言えるか、今から見物だろうな」
どうやらその場に居るつもりらしい。
むうっと口をへの字に曲げた里琉は、イシュトに言った。
「じゃあ見てろよ! 絶対絶対、失望したりなんかしないからな!!」
何だか宣戦布告のようになってしまったが、イシュトは面白そうに目を細めるとそれに返す。
「いいだろう。……ではな」
「うん! あ、今の話、王様に内緒でね!!」
余計な事を言って、疑いを強められても困る。
イシュトは小さく肩をすくめるとそのまま立ち去り、代わりにパソーテ大臣が珍しく肩を震わせているのを見て怪訝になった。
「あの……どうしたんですか」
「いや、なに……今日日ここまで面白い会話が聞けるとは、私もさすがに思わなかったのでな……失礼……」
どうやら、笑っているらしい。
そんなにおかしいことを言ってただろうか、と思ったが、ややしてパソーテ大臣は落ち着いたのか息をつくと里琉に向き直る。
「そこまで言うからには、剣の腕を磨き、礼節をものにし、王の前で恥じぬ自分へとより近づけるよう努力するが良い。ではリル殿、始めよう」
「あれ、それで団長は?」
ふとこの場に居なければならないはずの人物の姿が無い事に、里琉は違和感を抱いて尋ねると。
「……ああ、そうであった。実は……休ませている」
「!?」
パソーテ大臣の苦い声と言葉に、ぎょっとした。
「だ、大丈夫なんですか」
「無論。どうも、紛れ込んだ蠍に刺されたらしい」
「さ、蠍!?」
砂漠の代表格ともいえる毒虫は、ここにも居るようだ。
最悪の場合、死に至るとも言われているのだが、無事で何よりだろう。
「幸い、毒への対処が早かったようで、今は解毒剤を飲んで別の部屋で休んでいる。今朝から兵士たちにはこの王宮内で他にも入り込んでいないか調査をさせているところだ。リル殿も気を付けられよ」
こくりと頷く里琉は、だが内心、苦い気持ちでいっぱいだった。
(私だったら、毒が効かないから身代わりにだってなれるのに……肝心な時に、役に立たないんだな)
自分の身を守るのではなく、大事な誰かから毒を遠ざける事に、この体を利用出来たら。
だが、それは彼の前では口に出来ない。
代わりに、別の言葉を告げる。
「後で、お見舞いに行きたいです。終わったら部屋を教えてもらっていいですか」
「もちろんだ。では気を取り直すとするぞ」
「……はいっ!!」
下ろしたままだった剣を、里琉は再び握り締める。
――強く、ならなければいけない。
自分がここでやれることを、もっと増やす為にも。
ほんの些細な違和感が見えても。




