【2章】罪の色は火に消えて
少しでも、小さくした。
しかし、冷静になるのも割と早かった。
「よし、状況を整理しよう」
靴下は履いているが、靴がない。
加えて現在は夏も過ぎていた為、長袖。加えて、石の為にはめていた、手袋。
装備として考えれば、この上なく初期同然だろう。いや、それ以下かもしれない。
「……とおーくに、何か見えるけど、蜃気楼……かな」
周囲を見渡して確認したが、東の方にわずかに大きな影っぽいものが見えるくらいで、あとは何も分からない。
地面の状態とこの天気、温度からしても砂漠だろう。
ただ、こういう地域は紛争が多い。下手をすれば巻き込まれてそのまま死ぬ。
「いやいや、だからってここで餓死とか勘弁して!!!」
頭を抱えて里琉は叫ぶが、ふと視界の端に映った緑に気付いた。
「……あれ、これって……アロエ?」
よく見る多肉植物のアロエそっくりなそれに、里琉は手を伸ばす。
この際、これでも少しは足しになるのではなかろうか。
だが、表面にある棘が邪魔して、いくら手袋越しでも掴む気にはなれない。
「刃物なんて持ってねえよ!!」
ちくしょう、と地面を腹いせに殴ると、その傍にあったのは――妙に滑らかな白い破片。
陶器とも違う表面のそれなら、棘くらいは落とせるのではなかろうか。
そう思って、里琉は地道に食料確保に勤しむ事にした。
ここは炎天下。日差しを遮るものが何も無い今、時間をかければ熱中症や日射病の恐れは非常に高くなるだろう。
「とにかく、何とかここから動くか。……蜃気楼みたいな建物目指してるうちに、日も暮れるだろうし」
その為にもまずは水分補給、と刺をちまちま削りながら、里琉は頬をふくらませた。
「あーあー、あの変な石さえあれば戻れたかもしれないのに。つーかあれ結局何?」
疑問に答える声はなく、黙々と作業を遂行する里琉は、やっとアロエを切り離した時、安堵の声を上げた。
「よかった、これで一時的にしのげる!!」
だが、中身は妙に赤い。透明だが赤い。
加えて甘い匂いがする。本当にあのアロエなのだろうか。
「……いやいや、これはアロエ。美容と健康にいいとされてる、あのアロエ」
半ば言い聞かせるようにしながら、あぐ、と一口齧って――里琉は目を丸くした。
「甘っ!? え、何これ超美味い!!」
本来のアロエは無味無臭だ。市販の物は刺身に出来るくらい、何の味もしない。
だからこそ心配だったのだが、予想以上に別物だったようである。
二口、三口、と齧り、自分に何の異常もないことを確認した里琉は、とりあえず一つ食べきってしまうことにした。
「こんなのあるんだー! すごいなー! これだったらスイーツにそのまま使ってもいけるんじゃね?」
食べながらもう一枚分を切り取る作業に入り、里琉は頷く。
「よし、これなら何とかなりそうだな。足の怪我だけ気をつけて行こうっと」
とにかく建物に避難さえすれば、助かる余地はあるかもしれない。
立ち上がり、歩いて数分もしないうちに暑さで頭が軽くクラクラしてくる。
「……これ脱ぐとTシャツ一枚だけど……仕方ない」
薄着過ぎるのもまずいかと思ったが、ここは砂漠でしかも人など誰も通らないようなので、何も気兼ねは要るまい。
そう思って上のシャツを脱いで、頭にバサリとかぶれば、なるほどすぐに効果は実感出来た。
「夏場に影の中に居る猫の気持ちかな、これ」
日差しが遮られるだけで全然違う。
そうして急場しのぎの状態で歩き続けること数時間後。日が落ちると同時に昇ってきた月を見て、里琉は目を丸くした。
「でかっ!? つか青い!?」
気温が下がったので長袖を再び着ながら、青白い満月を見つめる。
自分の国では見れないものだ。きっと何も無い砂漠ならではの風景だろう。
それはともかく、これだけ大きいと明るさも段違いである。
昼と遜色ない世界の見え方に、里琉は安堵してそのまま歩き始めた。
頭上は星が眩く散りばめられ、何がどの星座かすら分からない。
「……街の明かりがないってだけで、こんなに沢山見えるもんなんだな」
少し肌寒さを感じながら呟き、歩みを進める。
こんなにもおかしな体験をしているというのに、不思議と心は落ち着いていた。
目の前には小さい村のような場所。恐らく、その向こうにある大きな塀と更に奥にある大きな建物らしき影。
間違いなく、どこかの国に入っていると感じる事が出来たからだろう。
ひとまず、何とかこの日の宿だけでもと思いながら村へと足を踏み入れた時、違和感を抱いた。
「……?」
まだ日没になったばかりなのに、人が居ない。
どの家にも明かりがなく、まるで廃村だ。
否、もしかしたら本当に廃村かもしれない、と思い直す。
「ええー……マジかよ」
どうしよう、と思いつつ近くの家の扉をノックしようとし――扉が布だと気付いた。
「……え、うわ、無用心」
上にベルが付いているから、これがきっとドアベルなのだろう。
人が居たらまずいので、一応鳴らしてみる。
――りりりん。
小さな音のはずなのに、やけに周囲に響いて聞こえ、ぞっとした。
「…………出ないな」
他所を当たろうかと思ったが、やはりどこも明かり一つない、石の家ばかり。
夜なのであまり鳴らすのも申し訳ないと思い、里琉は思い切って布の扉を開けた。
「ごめんくださいっ」
――奇妙な事に、家の中は少しだけ暖かく、だが誰ひとりとして居ないのが空気で伝わってきた。
「……出かけた……にしては、おかしいよなあ。どうしよう……ってか、火つきっぱなし!!」
竈の中に赤く燃える火を見付けて、里琉はぎょっとする。
鍵もない上に火もそのままとは、何とも恐ろしい。
「え、何、どういうこと!?」
上にかけてあるらしい鍋の中身は、ぐらぐらと煮え立って今にも蒸発しきりそうな程だ。
「……これおかしいよ、絶対」
何かあったのかもしれないが、このままではこの家は火事になってしまう。
「ほ、ほっとくわけにもいかないし……水!」
里琉は真っ暗な状態で竈の火の明かりだけを頼りに、近くにあるだろう水を探すと、瓶の中に入っているのを見付けてそれを柄杓ですくい、竈の火へとかけた。
じゅうっと音がして、だが火は完全には消えていないことに首を傾げる。
「あれ? おっかしいなぁ……」
何度もかけても、火は消えない。
「……で、でも、このくらい小さくなれば、多分大丈夫……」
次は鍋だと思い、どこかに厚手の布がないか探すが、火を弱めたせいで更に見えない。
「…………うーん、あ、そうだ。この水足そう」
水を増やせば少しは保つはずだと思い、里琉は鍋の中に水をそのまま注ぎ足しする。
とりあえず、家主が長時間ここに居ないままなのは理解した。
問題は、これで他の家がどうなっているか、だろう。
「……ここが良くても、他の家が火事とかだったら……」
最悪、何かがあったら自分の責任にされてしまう。
ぞっとして、里琉は慌てて外に飛び出し、近くの家から順番にめぐる事にした。
――一軒目。消火。
――二軒目。異常なし。
――三軒目。消火。
――四軒目。消火。
――五軒目。異常なし。
そうして順番に巡っていき、恐らく最後の家の中、里琉は最後であろう鈴を鳴らし、やはり返答がないままなのを確認して入った。
「おじゃまします!」
ばさっと布を上げて中に入り――ぐっ、と吐き気がこみ上げる異臭にたたらを踏んだ。
「うぐっ!?」
竈の火は燃え盛り、鍋はもはや焦げた臭いしか出さない。そしてその臭いに混じって照らし出されたのは――死体。
「…………っ」
かたかたと体が音を立てて震える。
消火しなければ、早く誰か助けを呼ばなければ。
そう思った時に誰もいるわけがないと気付いて、頭をゆるく横に振る。
「……はは。おいおい、冗談じゃないっての……」
どう考えても、里琉が一番怪しいのはわかりきっている事だ。
ほんのわずか、一瞬だけ、黒い考えが頭をよぎる。
――このまま、この家だけ、何も見なかった振りをして。
だが、直後にはっとして頬をぱしんと叩くと呟く。
「……駄目だ。とにかく、火を消して、それで……」
震える体を動かしながら、同じように火を消し、焦げた鍋に水を入れて発火を防ぎ、その上で、部屋の中を軽く探して見つかった毛布らしき布を、死体にかけてやった。
ひざまずいて手を合わせ、外に出る。
途端に冷たく鋭い空気が汗だくの体を急速に冷やしていくと共に、思考にも冷静さが戻る。
「…………どう、しよう」
このままここから出ても、行くあてなどない。
かといって、翌朝になったときに自分の身の保証など、誰もしてくれるわけもなく。
「……いいや、もう」
ふっと息を吐いて、里琉は隣の家に入る。
誰もいなくなったこの村で、自分は出来るだけのことをした。
そう思っていれば、何一つ後ろめたいことなどないのだと、そう自分に言い聞かせて。
「……私が出来る事は、もう、ないしな」
ごろん、と勝手に床に転がって、里琉は勝手に借りた毛布をかぶる。
わけの分からない状況の中、それでも疲労と睡魔は容赦なく里琉を襲った。
だから、翌朝。
「団長!! 生存者がいます!!」
その声で起こされるとは思ってもみなかったし、見知らぬ男達がどかどかと入ってきて、寝ぼけた里琉を囲んだ時、里琉はパニックに陥ってうっかり叫んだのであった。
「わ、私、犯人じゃありませんっ!!!」
――非常に気まずい空気が流れたのは、言うまでもない。
どうやら王宮騎士団という存在に発見・保護された里琉は現在、王宮に向かう馬車ならぬ鳥車に乗せられていた。
正直、どう見ても鶏なのだが、大きさが乗り物レベルなので、きっと鶏の親戚か何かだろう、と里琉は思っている。
だが、そんなことよりも現状は想像以上に深刻だった。
「確かに閉鎖的な国ではあるが、お前の言う国なんて聞いた事がない」
団長と呼ばれた大男はガルジスと名乗り、里琉を事情聴取と保護の為に王宮へ連れて行く事にした人物である。
だが、里琉を見る目は疑念に満ちていて、里琉もなんと答えていいかよく分からないまま言い返す。
「私だって、レダなんて国、聞いた事ないです……」
有名な所でなくとも、砂漠に隣接している国はそう多くないのだ。
「ウミとやらも存在しないぞ、この世界には」
「…………」
ガルジスのその言葉に、割と脳内は終了のお知らせを響かせている。
よもや海を知らない国に来るとは、思ってもみなかった。
無いわけがない。地球の七割を占めるのは海なのだから。
「どうも、お前はおかしな奴だな。着ているものも見た事がない」
「ただのジーンズとシャツです。あと靴下。これは手袋」
「……駄目だ、何を言ってるかさっぱり分からん」
大男が頭を抱える姿は何とも情けないが、通じるはずの言葉が通じない里琉とて、また頭を抱えるばかりである。
ちなみに靴下と手袋は泥だらけ穴だらけで、もはや使い物にはならない。
服も砂埃と汗で汚れているし、早々にお風呂に入って着替えたいくらいだ。
「まあいい。王宮に着いたら俺よりも頭のいい奴がわんさか居る。そいつらに任せて、今はあの村の事情を話そう」
「あの……一体どうして、誰も居なかったのに火が点きっぱなしとか、死体とか……」
とりあえず明らかな疑問を口にすると、ガルジスはそれに苦い顔で答えた。
「犯人も目的も、一切が不明なんだ」
「……え」
「ただ、この村には調査が入る予定だった。ここ数年、この村は人が増えたり減ったりを異様に繰り返していたからな。……本当なら、今日がその調査の日で、俺達はその調査の為に人を外に出さないようにするのが仕事、のはずだったんだ」
確かにそれはおかしいと思うだろう。
だとしたら、村人が全員逃げたのか、あの死体はどうして殺されたのか。
疑問は減ったそばから増えていくばかりだ。
「……あまりにも、違和感が多すぎる。人一人居ない村の中、死体は一つ、生存者はお前だけ。本来ならお前も疑わしいんだが……わざわざ死体のある家の隣を選び、朝まで寝こけるような奴だ。逆に潔白じゃなきゃ出来んだろう」
「……そう、ですか」
自分の考えを否定されて、里琉はほっとする。
「むしろ死体に毛布をかけたり、家々の火を消して回っていたりした跡を見る限り、それをしたのはお前だと思った」
「それは……でも、自分が疑われたくなかったから……」
「疑われたくないのなら、普通はあの村から離れるだろうな」
それも考えて、だけど出来なかった自分のあの時を思い出した。
きっと、既に全て終わってしまった後だったのだろう。
ひたすら歩いていた里琉とすれ違う人々は誰も居なかったし、鍋の様子からしても、大分時間が経っていた。
心のどこかで、自分は関係ない、と考えてしまった結果なのかもしれない。
「どこの家でもいい。休みたかったんです。それだけ、です……」
見知らぬ人間を無条件に助けたいと思うような、正義感の強い人間などではないのだと言うと、ガルジスはふと笑って言った。
「だが、お前が家々の火を消して回らなければ、今頃村は焼け落ちていた。あの死体が無残に焼け焦げる事もなく、安らかに眠れるようしてあったおかげで、俺はお前を信用出来た。……人間ってのは、咄嗟の判断で自分をさらけ出すもんなんだぞ」
その時の思考よりも、行動した結果が信用に繋がる、ということだろうか。
だとしても、里琉にはとても喜べない。
「あの村は、どうなるんですか」
「ん? ……廃村だろうな。ああなっては、誰も寄り付かん。いずれ片付ける人間を派遣しなければならないだろうが、お前は気にするな。……むしろお前には、今後の処遇を気にして欲しい」
結局はあれで終わりなのだろう。
里琉がしたことが大惨事を免れたとして、それで元通りになるわけがない。
だが、処遇と聞いて里琉は情けなくもびくりとした。
「……お前の素性が謎過ぎて、とても中央宮には置いてやれんからな。離宮ならば少しは話が分かる奴も多いだろうから……ひとまずそこで休んだ方がいい」
「……帰れますか。家に」
「…………ニホンとかいう国が分からんからな。ウミというのも、どこの事やら」
「ないわけがないんだ。私の住んでいた国も、世界に広がる海も、絶対にあるはずなのに」
「……あいつなら何か知ってるだろうが……お前の事を教えるわけにはいかんしな。とにかく、死の砂漠を越えて来たってことは、オアシスも無かったはずだ。今のお前がぴんしゃんしてても、どこで倒れるか分からんし、ちゃんと手当てを――」
心配してくれているであろうガルジスの言葉に、だが首を傾げる。
「え? 水分補給ならその辺に生えてたアロエで凌ぎましたよ」
「……は?」
「えっと、ほら、棘のついた緑の葉っぱで、中が透明だけどちょっと赤いやつ。あれ甘くて美味しかったです」
あれはそのうちまた食べたいとまで言った所で、ようやく里琉は彼の顔色に気付いた。
「……どうかしたんですか?」
「おい。本っ当に、それを食ったのか? 嘘でも誇張でもなく?」
真っ青になりつつも真剣に問われ、頷くと。
「…………お前、本当に人間か?」
失礼な発言が返されて、むっとした。
「人間です。何なんですか。あの植物、実は食べられないやつでしたとか言うつもりですか」
「そのつもりだ! あれはな、死の砂漠にしか生えない、毒の植物の代表格だぞ!!?」
ふざけたことを言うな、と言いたかったのはお互い様のようである。
「……生きてます。ぴんしゃんしてます、このとおり!」
「普通は死ぬんだ!!」
「嘘ついてません! 食えって言われたら喜んで食べます!」
「そういう話じゃないんだ! ……リカラズのキメラじゃないだろうな!」
「はい? キメラってあれ? 動物を組み合わせて作った、何か凶暴な?」
「何だその化物は! キメラと言ったら、人間を超特化させたリカラズの兵器だ!」
――いよいよ、根本的に何かがおかしい。
ぐるぐるし始めた頭の中、ここはもしかしたら全然別の世界なのではないかとすら思い始めてきた。
「どうなんだ、お前、リカラズの――」
「知らない。……聞いた事もない。レダとか、リカラズとか、こんな世界……私は知らない」
不安たっぷりの声で、里琉は呟く。
確証は何も無い。だからと言って否定しきれるものもない。
「……待てよ。リカラズなら、腕に……」
腕、と言われて、着ていたシャツを脱ぐ。
直後、彼は目を瞬かせた。
「……お前、女だったのか。リル」
確かに、見えにくいような体型ではある。
だが今この状況で言われても、あまり寛容にはなれず、里琉は低く呟いた。
「どいつもこいつも、男ってのは……」
「いや待て、紛らわしい背格好してるお前も問題だぞ。それより腕を見せろ。リカラズの奴らは、生後半年で刺青を赤子に入れるような奴らだ。もしもそれがあれば――……ないな」
慌てて本来の目的である刺青の確認をしたガルジスは、あっさりと疑惑を消化した。
まっさらな腕にそんなものは入れていない。入れたら家族が泣く。
ジト目でガルジスを見て、里琉は低く告げた。
「私はただの人間。それは確かだし、赤ちゃんに刺青をするような国じゃない。あとうちの国、キメラ実験は禁止されてるから」
「そ、そうか。すまん。……だが、やはりそうなると、お前の出自は一体どこに」
「地図でも見せてくれればいいよ。世界地図くらいあるだろ」
シャツを羽織り直し、里琉はふてくされて窓の外を見た。
いつの間にか市街地に入ったらしく、行き交う人々が見える。
中にはこちらをチラチラと見ている者も居て、目が合ったりすると慌てて逸らしていた。
「人見知りが多いね」
「警戒されているか、お前が犯罪者だと思われているかのどちらかだな」
「どういうことだよ」
「今乗ってるこいつは、軍専用の鳥車だ。これに乗る一般人は、大抵が犯罪者か被害者だからな」
「そんなに悪人面なつもりはないんだけど?」
機嫌はよろしくないから笑顔ではないが、だからって勝手に犯罪者にしないでもらいたい。
しかし、見たことのない服装ばかりだ。
加えて随分と質素でもある。
「……お金ないの? この国」
自然と出てきた言葉が、率直な感想だろう。
「…………何でそう思う?」
はっとしたようなガルジスの声に、里琉は窓の外を見ながら答えた。
「服。一般人でこのレベルなら、きっと買うより自分で作る方が早い。それって経済が回らない事を意味してるだろ。……何、合ってた?」
「……お前、実は貴族なのか?」
だが奇妙な問いかけをされて、さすがに彼の方を見ると、ガルジスの表情は困惑に満ちていて。
「貴族じゃなくてただの一般人。大学生」
「よく分からんが、お前がただの人間じゃないことは分かった。お前が本当に毒が効かないのであれば、ますますお前の存在を中央宮の奴らに知らせるわけにはいかん」
次いで、至極真面目な顔でそう告げた彼は、まっすぐ里琉を見据えて言った。
「帰れる目処が立つまで、お前はこれから向かう、離宮という場所に隠れて過ごせ」
「……いいの? 王様とか、そういう偉い人には教えなくて」
王宮というからには、恐らく王が居る。
その許可を得ずに勝手に素性の知れない人間を住まわせたら、それは彼も危険ではなかろうか。
だが、彼は首を横に振ってその理由を言う。
「言えば、お前は殺されるか、死ぬまで利用され続けることになる。助けた意味が無くなるような真似はしたくない」
「……そう。分かった」
どうせ他に出来る事もない。
里琉は短く承諾を返し、再び窓の外を見る。
緑が少ない、痩せた土地。
傍から見ると襤褸をまとったかのようにすら見える、民の格好。
だがそれは、大きな門をくぐるまでの間だけだった。
門の向こうは、別世界のように、人々が様々な色のきちんとした服を着て賑わっていたのだから。
「……何この違い」
「呆れただろう。これが、この国だ」
「王様、殴っていい?」
「まずお前が殺される。殴るより先にな」
何ともとんでもない王が居たものだ。
貧富の差は、大きければ大きい程に溝を生む。
いずれこのままでは、内乱が起きるだろう。
巻き込まれたくはないので、早々に帰国させてもらいたい。
「誰か王様殴ってくれないかな、私の代わりに」
「……それが出来れば、こんなことにはなってない」
「どうして? 誰も止めないなら、滅ぶよ?」
「…………あの王を多少なりとも動かせるのは、宰相だけだ。だが、あいつはその分仕事を大量にこなし、全てに手が回ってはいない。大臣達も、自分の管轄で手一杯だ」
現状はちっとも芳しくないどころか、悪化の一途らしいと里琉は肩をすくめた。
「そう。その王様は何も見てないってことか。何で王様になったんだろうね」
「……最初は、きちんとしていらした。だが、あの日を境に……完全に荒んでしまったらしい」
「あの日?」
どうやら何かあったらしいが、ガルジスは首を横に振るだけで教えてはくれない。
そうしているうちに、今度は別の門が見えてきた。
「あれが、レダの王宮への入口だ。お前はとりあえず離宮に連れて行くが……先にこいつを全身に巻け」
椅子の下にあった引き出しからガルジスが出したのは、シーツのような大きく白い布。
「その格好は目立つ。怯えた振りをして、被害者を装え。いいな。なるべく顔を上げるな」
「わ、分かった」
見られることを考慮するなら、当然の措置だろう。
里琉は素直に従い、頭から爪先まですっぽりと白い布に身を隠す。
やがて鳥車が止まり、扉が開いて。
「お疲れ様でした。しかし、随分と早いお戻りですね? ガルジス団長」
物腰の柔らかそうな、だが鋭い叱責にも似た声に、里琉は思わずぎくりとした。
「残念なお知らせがあります、ユジー宰相殿。……件の村には、たった一人の生存者と、たった一人の死体、それ以外は誰一人として残っておりませんでした」
ガルジスの硬質な声に、警戒しているのだと分かる。
彼の影に隠れていた里琉の前へ、その宰相と呼ばれた相手が近づいて言った。
「この子供が?」
(ちょっと!!?)
確かに彼らよりは低い背だが、子供扱いされるのは心外である。
しかし、ぐっと我慢して、口元付近まで布をしっかり持ってきて表情を隠した。
「ああ、すみません。怯えているのであまり近づかないでやって下さい。これから、離宮の方で保護してもらいます」
「何故、離宮へ? 中央宮にも腕のいい薬剤師はいますが」
「……どんな傷を癒す薬剤師が居ようとも、心の傷までは癒せないでしょう。ましてや、命の危険があるような場所ではとても、回復など望めないかと」
「……なるほど。あの事をまだ根に持ってるようですね。まあ、いいでしょう。あちらにもそれなりに人手はありますし、ある程度の回復を待って、話を伺いに行きます」
「いえ、それもこちらでしておきます。宰相殿は仕事がただでさえ多いのですから、こういった雑事は我々にどうぞ、お任せ下さい」
あくまでも、里琉との接触を図らないように便宜を立てるガルジスに、里琉は内心株が上がった。
「珍しいくらいに気が回りますね」
「……あの惨状を見たら、誰だって同じですよ。たった一人村に残されたんです。回復には、それなりの時間が必要とされるでしょう」
「でしたら、その子供は離宮の者に任せて、あなたはすぐに報告を」
「ええ。分かっております。ではすぐに伺いますので、後ほど」
軽く苛立った声を出すガルジスは、おざなりに礼をして里琉の背を軽く押す。
里琉は一応宰相とやらに小さく頭を下げ、そのままガルジスと一緒に歩き出した。
結局顔は見てないが、声からして随分若いので驚いている。
「……若いのに、王様より役に立つんだね」
「おい、お前騙されるな。あいつはああ見えて、もう五十だぞ」
ガルジスがそれに訂正を返し、今度は別の意味で驚いた。
「ご、ごじゅう!?」
「しっ。……とにかく、見た目で惑わすような奴だ。出来るだけ会わないように、部屋に篭るなりなんなりしてろ。いいな」
とにかく関わるなと言わんばかりの言葉に、里琉はだが頷く。
助けた意味が無くなるような環境に置かれるくらいなら、確かに大人しくしているべきだろう。
そのまま離宮に行くと、びっくりした顔の女性が出迎えた。
「団長様!? どうなさったのですか、こちらへ来るなど!」
「……人を一人、保護して欲しい」
「保護、ですか……?」
「ああ。女だから、まずは一度、体の汚れを落として、新しい服を与えてやってくれ。それから多分、食事もろくに摂ってないだろうから……」
「お、お待ち下さい。私ではとても……女官長様の許可がなくては!」
矢継ぎ早に告げられ慌てる女性の言葉に、ガルジスは小さく舌打ちする。
「じゃあメーディアを呼べ。とにかく、こいつだけは……」
「何を騒いでいるの」
柔らかくも厳しい声に、思わずびくっとして里琉は身じろぐ。
それを支え、ガルジスが告げた。
「ちょうどいい、メーディア。保護した女が居る。端的に言う。匿え」
「……なんですって?」
「勘違いするな。俺の仕事で、たった一人だけの生存者を見付けただけだ。……離宮ならば、便宜も図れるだろう」
「それは、出来るけれど……大丈夫なの?」
「ああ。詳しい話は後だ。宰相に呼ばれているからな。あと、そいつに関してあまり追及はするな。……それも後できちんと時間を取るから」
「……全く、あなたという人は。いいでしょう。彼女は私が預かりますわ。話は後ほど」
「助かる。じゃあな、メーディア」
よく分からないが、ここでガルジスとはお別れらしい。
だから、里琉は彼が行ってしまう前に、と声を上げた。
「ガルジスさん! あの……ありがとうございました!!」
歩き出しかけていた彼は、一旦それで振り向き、頷く。
「ああ。お前はまず、ゆっくり休め。いいな」
「は、はい」
そして今度こそ立ち去った彼を見送った後、ぽんと肩に手が乗せられて。
「……あなたの名前は?」
「り、里琉、です」
「そう。リル、まずは――湯浴みと着替えよ」
優しくも有無を言わさぬその迫力に、里琉はただ従うしかなかった。
けして消える事は無いけれど。




