1・おうじょさまとせいじょさま
わたくしは、王女だった。
誰からも愛される、大事にされる王女だった。そのためなら、両親はいかなるものも犠牲にすると言ったし、実際、わたくしのためだけに人を犠牲にしようとしていた。
それが、お城の隅っこに住んでいた、彼女。
どこかの宗教で、聖女様に祭り上げられていた赤ん坊だった子。
わたくしは生まれる前から、隣国の王子――いえ、王に所望されていた。当時はまだ、王女が生まれてくるかもわからなかったというのに。だから父王も、最初は笑っていたという。
だけど実際にわたくしが生まれ、両親は焦った。
そこに、邪教集団の粛清作戦が重なり、聖女として祭られていた赤子が浮上した。赤子に罪は無いからと温情を与えられ、どこかの教会にでも預けられる予定だった。
両親は、その子を遠縁の娘として、つまり姫として、ここで育てることにした。向こうが求めているのは王女であって、わたくし――実子であると指名されているわけではない、と。
そんな無茶な、と誰もが思っただろうけれど、だからといって日に日に成長する姫君を未だ国内がゆれている、魔王とすら呼ばれている年上の男に渡すことは誰もが納得できず。
わたくしは長女として、彼女は次女として育てられた。
彼女はいつも不自由な世界でも自分の好きなように生きていて、わたくしが来ても迷惑そうなそぶりはあまり見せず、幼い頃はこっそりとお菓子を一緒に食べたこともある。
ばあやは、それはいけないと言ったからやめてしまったけれど。仲良くしていることがもしも両親の耳に入ったら、わたくしではなく彼女が罰を受けると知ってしまったから。
だからわたくしは、いつも彼女に冷たく当たった。
当たることで彼女の世界を、少しでも穏やかにしようと思った。彼女を犠牲にするわたくしにできることは少なく、せめて面倒なことが少しでも減ってくれたらと願いながら。
声高に彼女をなじるわたくしは、きっと誰より醜い顔をしている。
だけど、彼女はわたくしを見てにこにこしていて、だから。
わたくしは、そんな彼女が大好き。
もしもわたくしが王子だったら、彼女を攫って逃げたのにと、思うほど。
ゆえにわたくしは。
「どうしてお前が嫁がねばならないのっ」
「なんということだ……」
そう、両親が嘆き悲しんでも。
「思い直すなら今しかない。今なら俺が何とかしてやる」
兄や弟が、何度も説得に来ても。
普段、必死にこの身へと纏わせている『おしとやかだけど少しおてんばで、誰からも愛される花のような笑みを浮かべるお姫様』のお洋服を、跡形も無く破り捨てて言い返す。
「いいえ、わたくしはかの方に嫁ぎます。それがわたくしの運命です」
捻じ曲げることは許さないと、告げ続けた。
■ □ ■
そんな日を重ね、わたくしはついに魔王と呼ばれる王に嫁ぐ。
相手は二十近く年が離れているけれど、それを感じさせないほど若々しい。魔王だ何だと忌み嫌っているのは貴族階級が多く、市民には国を乱す存在を滅したと評判だと聞いている。
だから、わたくしの婚礼も、驚くほどのお祭り騒ぎ。
わたくしの両親は、まるで葬式を出すかのような沈みっぷりだったというのに。
「姫様」
バルコニーで手を振り終わり、部屋に戻る途中、わたくしを呼び止める侍女がいた。すでに天に旅立ったばあやの孫で、わたくしと共に嫁ぎ先までついてきてくれる幼馴染。
彼女が人払いをしてほしそうなので、わたくしは一度自室へと戻った。
「何かあったの?」
「はい……実は『妹姫様』が」
彼女が告げたのは、あの子が離れからいなくなっていたこと。これといって荒らされたような形跡は無く、本人だけが忽然と姿を消していたという。
いくら離れとはいえ、ここは王城。賊の類が入れるほど、警備は甘くない。
現に彼女には身分は低いが腕の立つ兵士を一人、護衛役としてつけるように言った。適当に脱走しようとしていたと、騎士をまとめている弟に告げ口して。その兵士を弟は前から気に入らないだのなんだの言っていたから、きっと彼がその任務につくだろうと思った。
そして、彼もまた姿を消し、誰もその行方を知らなくて。
「まさか……」
用済みになってしまったから、八つ当たりもかねて消してしまったのだろうか。赤子だった彼女が何をしたと、あの二人は言うのだろうか。わたくしは、目の前が真っ暗になった。
そして気づけば侍女と二人、嫁ぎ先に向かう馬車の中。
わたくし以上に侍女が悲しんでいるから、わたくしは必死に涙をこらえた。
わたくしはただ、彼女を身代わりになどしたくなかった。どこでもいい、自由に生きてくれることを願っていた。そのために彼女を侍女の一人に変装させて、城から連れ出そうと。
他所の国ならばきっと、幸せになってくれると信じて。
――まさか殺しはしないだろうと、家族を信じて。
いっそ、夫となるあの方が、本当に魔王だったらどれだけよかっただろう。
祖国を滅ぼせと、迷わず願い出ることができたのに。