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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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「お前を愛するつもりはない」と冷たく言い放った旦那様。私があなたを庇って余命一ヶ月だと知った瞬間、氷の仮面を割って子供のように泣き叫ぶなんて知らなかった

作者:
掲載日:2026/04/20

【第一幕:氷の世界と、名ばかりの妻】


「勘違いするな。これは単なる政略結婚だ。私がお前を愛するつもりは、この先一切ない」


 それが、私の夫となった人からの、最初の言葉だった。


 王都でも一、二を争う名門、アークライト公爵家の現当主、ユリウス・アークライト。

 プラチナブロンドの美しい髪に、絶対零度を思わせる氷のように冷たいアイスブルーの瞳。

 その整いすぎた容貌と、一切の隙を見せない冷徹な振る舞いから、社交界では『氷の公爵』と呼ばれ恐れられている御方。


 薄暗い初夜の寝室。

 窓から差し込む青白い月光に照らされた彼は、私を一瞥もすることなく、淡々とそう言い放った。

 彼の声には、怒りも、軽蔑も、そしてもちろん愛情も、何の感情も籠っていなかった。ただ、事実を告げるだけの、無機質な響き。


「はい、承知しております。ユリウス様」


 私は、ただ静かに頭を下げ、小さく微笑んで頷くことしかできなかった。


 私の実家である侯爵家は、長年の放満経営により多額の借金を抱えていた。

 その借金を肩代わりする条件として、魔力も乏しく、容姿も平凡な私が、公爵家へと嫁いできたのだ。

 愛など最初から期待できるはずもない、完璧な政略結婚。


 けれど、彼には言えない秘密があった。

 私は、彼をずっと前から愛していたのだ。


 数年前の建国祭の夜。

 迷子になり、貴族の子供たちからいじめられていた私を、偶然通りかかった彼が助けてくれた。

「名乗るほどの者ではない。だが、泣く必要はない。君は何も悪くないのだから」

 そう言って、泥だらけだった私に差し出してくれた真っ白なハンカチ。

 その日から、彼はずっと私の初恋の人だった。


 だから、彼に愛されなくてもよかった。

 冷たい言葉を投げかけられても、寝室を別にされても、使用人たちから「愛されない飾り物の奥様」と陰口を叩かれても。

 同じ屋敷に住み、彼の淹れるお茶の用意をし、彼の帰りを待つことができる。彼の支えになれるのなら、それだけで私は幸せだった。


 しかし、そのささやかで穏やかな絶望すら、長くは続かなかった。


 結婚から半年が過ぎた、初冬のある日のこと。

 領地の視察に同行した帰りの馬車で、私たちは賊の襲撃に遭った。

 暗闇の森の中、護衛の騎士たちが次々と倒されていく。


「エラーラ、私の後ろから離れるな」


 ユリウス様は剣を抜き、私を背に庇って賊と対峙した。

 その背中はとても大きく、頼もしかった。

 しかし、賊の一人が放った短剣が、異常な軌道を描いてユリウス様の死角から迫るのを見た瞬間、私の思考は真っ白になった。


 暗闇に不気味に光る、紫色の瘴気を纏った刃。

 あんなものを受ければ、ただでは済まない。


「ユリウス様っ!!」


 私は考えるより先に、彼を突き飛ばすようにして前に出ていた。

 直後、焼け火箸を押し当てられたような激痛が、私の右肩を貫いた。


「がっ……ぁ……!」


「エラーラ!!」


 ユリウス様の悲痛な叫び声が響く。

 私は地面に崩れ落ちながら、氷のような冷たさと、炎のような熱さが同時に全身の血管を這い回るのを感じていた。

 賊は怒り狂ったユリウス様と、駆けつけた援軍によってすぐに討ち取られた。


「しっかりしろ! なぜお前が前に出た! なぜ……っ!」


 血だらけの私を抱き起こし、ユリウス様が叫ぶ。

 その瞳には、初めて見る焦燥の色が浮かんでいた。


「……だい、じょうぶ、です。かすり傷、ですから……」


 私は痛みを堪え、気休めの治癒魔法を自分の傷口にかけた。表面の血だけが止まる。

「ほら……痛く、ありませんわ」


 そう言って笑ってみせたが、私の心臓は嫌な音を立てていた。

 体内で蠢く、おぞましい魔力の残滓。

 それは、かすり傷などではなかったのだ。


【第二幕:余命一ヶ月の決断と、別れの嘘】


 数日後。

 私はお忍びで、王都の裏路地にある闇医者を訪ねていた。

 公爵家の専属魔導士に見せれば、事態が明るみに出てしまうからだ。


「……『死の呪い』ですね。間違いない」


 白髪の老医者は、私の肩に残る紫色の痣を見て、重々しく首を横に振った。


「呪いはすでに全身の魔力回路を侵食しています。……持って、あと一ヶ月でしょう。現代の魔法では、これを解呪する方法は存在しません」


「……そうですか」


 私は自分の膝の上で、ギュッと両手を握りしめた。

 涙は出なかった。

 ただ、ああ、やっぱり、という納得だけがあった。


 ユリウス様が助かったなら、それでいい。

 私の命なんて、元々大した価値のないものなのだから。


 しかし、問題があった。

 ユリウス様は、氷のように冷酷に見えて、その実、誰よりも責任感が強く、領民や身内を大切にする人だ。

 もし、私が彼を庇って呪いを受け、あと一ヶ月で死ぬと知ったら?


(……あの人は、一生自分を責め続けるわ)


 政略結婚の妻とはいえ、自分の身代わりで死なせてしまったという事実は、彼の心に永遠の枷をはめてしまうだろう。

 彼には、これから先、本当に愛する人と出会い、幸せな家庭を築いてほしい。

 私のせいで、彼を不幸になんてしたくない。


 だから私は、彼に嫌われようと決めた。

 心の底から軽蔑され、「死んで清々した」と思われるくらいに、最低な女になろうと。


 その日の夜。

 私は、今まで一度も着たことのないような、胸元の大きく開いた派手で下品な真紅のドレスに身を包み、彼の執務室のドアを乱暴に開けた。


「……何の用だ。ノックもせずに」


 書類から顔を上げたユリウス様は、私の異様な出で立ちを見て眉をひそめた。


「もう、限界ですわ。こんな冷たい方との生活なんて」


 私はわざとらしく鼻で笑い、彼を見下ろすように腕を組んだ。

 そして、用意していた『離縁状』を、彼の机の上に叩きつけた。


「他に愛する方ができましたの。さっさとそれにサインしてくださいませ。あなたのその氷のような顔、もう見たくもありませんわ」


「……何だと?」


 ユリウス様の声が、一段と低くなった。

 室内が、文字通り凍りつくような殺気に包まれる。


「私の言葉が聞こえませんでしたの? あなたの相手をするのはもう退屈だと言っているのです。もっと情熱的で、私を愛してくれる殿方を見つけましたのよ」


 心が、ギリギリと悲鳴を上げている。

 嘘よ。嘘よ。私が愛しているのは、世界中であなただけなのに。


 ユリウス様のペンが止まり、その美しい顔が怒りと、そしてほんのわずかな……悲哀に歪んだように見えた。

 絶対零度のアイスブルーの瞳が、私を射抜く。


「……そうか。お前も、私を見捨てて、置いていくのだな」


 ギリッと音を立ててペンが握りしめられ、彼は何も聞かずに、乱暴に離縁状にサインをした。


「出て行け。二度と私の前に姿を現すな」


「ええ、喜んで。さようなら、つまらない旦那様」


 私は踵を返し、執務室を出た。

 ドアが閉まった瞬間、堪えきれなくなった涙が頬を伝い落ちた。

 足から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、私はその日のうちに荷物をまとめ、屋敷を後にした。


 心の中で「愛しています、どうかお元気で」と、血を吐くような思いで別れを告げて。


【第三幕:崩れ落ちる氷と、残された真実】


(※ここからはユリウス視点)


 エラーラが屋敷を出て行ってから、二週間が過ぎた。


「……クソッ」


 執務室のデスクで、私は苛立たしげにペンを投げ捨てた。

 書類の文字が全く頭に入ってこない。


『他に愛する方ができましたの』

『あなたのその氷のような顔、もう見たくもありませんわ』


 彼女が最後に放った言葉が、何度も何度も脳裏をループし、その度に心臓をえぐられるような痛みが走る。


 政略結婚だった。愛するつもりなどないと、初夜に告げたのは私だ。

 それでも、彼女はいつも私のそばにいた。

 不器用で、感情表現が苦手な私のために、いつも温かいお茶を淹れ、仕事が遅くなれば必ず起きて待っていてくれた。

 いつしか私は、彼女のその控えめな笑顔に、静かに惹かれていたのだ。


 だが、それを言葉にすることはできなかった。

『氷の公爵』などと呼ばれ、常に完璧であることを求められてきた私は、他人に甘えたり、愛を伝えたりする方法を知らなかったのだ。


 そして、彼女は去った。

 私の退屈さに愛想を尽かし、他の男の元へ。

 当然の報いだ。そう自分に言い聞かせても、胸に空いた巨大な穴は塞がることはなかった。


 その時だった。


「旦那様! 大変です、これをご覧ください!!」


 普段は礼儀正しい侍女のアンナが、血相を変えて執務室に飛び込んできた。

 その手には、見覚えのない古いノートと、赤黒く染まった何枚ものハンカチが握られていた。


「何だ、騒々しい。それは……血か?」


「奥様のお部屋を整理しておりましたら、暖炉の裏の隠しスペースから見つかったのです! これは……奥様の日記です!」


 アンナはボロボロと涙をこぼしながら、ノートを私の机に置いた。

 嫌な予感が全身を駆け巡る。

 私は震える手で、そのノートを開いた。


 そこには、エラーラの丸みを帯びた綺麗な文字が並んでいた。


『○月×日

 ユリウス様が賊から私を庇ってくれた。嬉しかった。

 でも、彼を狙った刃が迫った時、私は無我夢中で前に出ていた。

 彼が無事で本当によかった』


『△月□日

 闇医者に行った。死の呪い。余命一ヶ月だと言われた。

 帰り道で一人で泣いた。もっと、彼と一緒にいたかった。

 彼のお茶を淹れたかった。彼の声を聞きたかった』


『×月○日

 今日、ついに血を吐いてしまった。呪いの進行が早い。

 体が痛くて、夜も眠れない。

 でも、ユリウス様には絶対に知られてはいけない。

 彼が自分を責めるのだけは見たくない。

 嫌われよう。最低な女を演じて、彼から離れよう。

 彼には、いつか本当に愛する人と幸せになってほしい。

 さようなら、私の愛しい人』


「――――っ!!!」


 ガタンッ! と音を立てて、私は椅子から立ち上がった。

 頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。

 呼吸の仕方を忘れたように、喉がヒューヒューと鳴る。


「あの日、奥様が受けた傷には『死の呪い』の痕跡があったと……専属魔導士様も、なぜあの時気付かなかったのかとご自分を責めておられます……! 奥様は、旦那様の身代わりとなって……!」


 アンナの泣き叫ぶ声が、遠く聞こえた。


「あいつは……エラーラは、私を裏切ったのではなかったのか……? 男などいなかった。私を、庇って……一人で、死のうとしているのか……?」


 パラパラと落ちたハンカチには、べっとりと彼女の血が染み付いていた。

 これを吐きながら、彼女は一人でどれほどの恐怖と痛みに耐えていたのか。

 それなのに私は、彼女を軽蔑し、冷たい言葉を投げつけ、追い出したのだ。


「ああ……ああああっ!!」


 視界が歪む。

 氷の公爵と呼ばれた私の目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。

 後悔と、絶望と、己への激しい憎悪が渦巻く。


「旦那様! どちらへ!」

「馬を出せ!! 今すぐだ!!」


 私は上着も羽織らず、狂ったように馬小屋へと走り出した。

 彼女の実家には戻っていないと報告は受けている。

 心当たりは一つしかなかった。北の果てにある、彼女の母親の遺産である、誰も使っていない古い別荘。


「エラーラ! エラーラァァァッ!!」


 降り始めた粉雪の中、私は血を吐くような思いで馬の腹を蹴った。

 頼む、間に合ってくれ。

 私からすべてを奪ってもいい。命も、魔力も、地位もくれてやる。

 だからどうか、彼女だけは連れて行かないでくれ!


【第四幕:吹雪の果て、溶け出す氷】


(※ここからはエラーラ視点)


「……げほっ、ごほっ……」


 北の地の別荘は、凍えるように寒かった。

 窓の外では、猛烈な吹雪が吹き荒れている。


 私の意識は、もうほとんど途切れかけていた。

 ベッドに横たわる私の体は骨と皮だけになり、髪は真っ白に色を失い、視力も数日前から完全に奪われていた。

 息をするだけで、喉と肺が焼け焦げるように痛い。


(ああ……いよいよ、お迎えが来たみたい……)


 痛みも次第に薄れていく。

 冷たい闇の中に沈んでいく感覚。


 最後に思い出すのは、やはりあの人のことだった。

 ユリウス様。今頃、どうしているかしら。

 私のことなんか忘れて、公爵としての職務を全うしているといいな。

 どうか、笑っていてほしい。


 その時だった。


 バンッ!! と、乱暴にドアが蹴り破られる音がした。

 冷たい風と共に、誰かが部屋に転がり込んでくる気配がする。


「エラーラ!!」


 その声に、私は幻聴だと思った。

 死ぬ間際に、都合のいい夢を見ているのだと。


「……ユリウス、様……? どうして……」


 ドサッとベッドの脇に何かが膝をつく音がした。

 そして、私の震える骨ばった冷たい手を、ひどく温かい、大きな手が両手で包み込んだ。


「すまない……! すまなかった……!!」


 ポタ、ポタと、私の手に熱い雫が落ちてくる。

 それは次第に大粒になり、止まることなく降り注いだ。


「なぜ、なぜ言わなかったんだ! 私のために、君はこんな……こんなになるまで……っ!」


「あ、あ……」


 幻聴ではない。

 あの、決して感情を表に出さず、氷のように冷徹だったユリウス様が。

 私の手を握りしめ、ボロボロと涙を流し、子どものようにしゃくりあげて泣き叫んでいるのだ。

 ぼやけた意識の中で、その事実だけがハッキリと理解できた。


「泣かないで、ください……。私は、あなたの盾になれて、幸せでした……から……」


「馬鹿なことを言うな! 君がいなくて何が幸せだ! 私は……私はずっと、君にどう接していいか分からなかっただけだ! ずっと君を見ていた! 惹かれていた! 愛している、愛しているんだエラーラ!!」


 彼の痛切な叫びが、吹雪の音を掻き消して部屋中に響き渡る。

『愛している』

 その言葉を聞けただけで、私の人生のすべてが報われた気がした。


「頼む、私を置いていかないでくれぇっ! 代わってくれ、神様! 私の命を、魔力をくれてやる! だから彼女を助けてくれ!!」


 額を私の手に押し付け、慟哭するユリウス様。

 私は最後の力を振り絞り、もう片方の手で彼の冷たい頬に触れた。


「……ありがとう、ございます。私も……ずっと前から、愛して、いま……した……」


 言葉を紡ぐ力は、そこで途切れた。

 指先から力が抜け、私の手はベッドへとおちていく。

 静かに目を閉じ、私は深い闇へと沈んでいった。


「エラーラ? エラーラ!! いやだ、あああああああっ!!!」


 ユリウス様の絶叫が、遠く、遠くへ離れていく。


 その瞬間だった。

 ユリウス様の瞳から零れ落ちた涙が、私の胸元に落ちた。

 そこから、眩いほどの『金色の光』が爆発するように溢れ出したのは。


【最終幕:奇跡、そして春】


「エラーラ、少し風が冷たくなってきた。肩が冷えるだろう。ショールをかけよう」

「ふふ、ユリウス様。私はもうすっかり元気ですし、そんなに着込んだら雪だるまになってしまいますわ」


 あれから、一年。

 私たちアークライト公爵邸の中庭には、美しい春の花が咲き誇っていた。


 あの吹雪の夜。

 私の死という極限の悲しみと、失いたくないという強烈な愛の渇望が引き金となり、ユリウス様の中に眠っていた『聖なる魔力ホーリー・レイ』が覚醒したのだ。


 建国以来、数百年現れなかったという伝説の聖魔法。

 その金色の光は、私を侵していた絶対の『死の呪い』を瞬く間に浄化し、私の命をこの世界に繋ぎ止めてくれた。


 奇跡的に命を取り留め、長い療養期間を経て完全に健康な体を取り戻した私は、今、温かな陽射しの下でお茶を飲んでいる。

 ただし、以前の結婚生活とは全く違う状況で。


「駄目だ。君はもう少し自分を大事にしなさい。……あの夜、君が息を引き取った瞬間の絶望を、私は一生忘れない。また私を置いていかれたら、今度こそ私は狂ってしまう」


 そう言って、ユリウス様は背後から私をきつく抱きしめ、私の首筋にすりすりと甘えるように顔を埋めた。


「ユ、ユリウス様……っ、使用人たちが見ておりますわ!」


「見せておけばいい。私がどれほど妻を愛しているか、世界中に知らしめるべきだ」


 氷の公爵の面影は、もはや微塵もない。

 今の彼は、王都でも有名な『超・愛妻家』として、暇さえあれば私にくっついて離れない、過保護で甘すぎる旦那様になってしまったのだ。


 少しでも私が咳をすれば国中の医者を呼び寄せようとし、私が庭を散歩するだけで護衛を十人もつけようとする(さすがにそれは全力で止めた)。

 夜の寝室では、まるで私の存在を確かめるように、何度も何度も愛を囁きながら、私を甘く、深く抱きしめる。


「……本当に、どこにも行きませんよ。私はずっと、あなたのそばにいますから」


 私は後ろを振り返り、彼の美しいプラチナブロンドの髪を優しく撫でた。

 ユリウス様は、氷が溶けたような、蕩けるように甘い笑顔を浮かべる。


「ああ。愛しているよ、私のエラーラ」


 彼が落とした優しいキスに、私は幸福な微笑みで応えた。


 もう、すれ違うことはない。

 凍てついていた私たちの時間は完全に溶け去り、今はただ、この上なく温かで、永遠に続く春の陽だまりの中にあった。


(了)

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