06. バットとナイフは愛に敵わず
世界一のかっこよさを目指す鳴紫恋。
今日もただの放課後になるはずだった。
けれど――白石ほのかの胸に残る“ざらつき”が、静かに、確実に物語を軋ませていく。
無言の写真。
消えない視線。
そして、校門前に現れた二つの影。
男ってのは、惚れてる女がピンチの時は駆けつけるもんだろ?
恋の美学が、再び誰かを守るために動き出す。
校門前。
最初に響いたのは、拳が空を切る音だった。
ドン!
不良の一人が、いきなり右ストレートを恋の顔を目掛けて放つ。
恋は首をわずかに傾け、拳が頬をかすめる。その風圧で前髪が揺れた。
「挨拶がわりに殴ってくるなんて物騒なやつだな」
続くもう一人は左フックを繰り出し、恋はそれを軽くバックステップで避ける。
勢い余った不良の体が前につんのめる。
「なあ、教えてくれよ。
お前らを雇ったやつのこと。
今なら正直に言えば許してやる」
攻撃を交わしながら恋は余裕そうに不良たちに話しかける。
不良たちは苛立って舌打ちし、目配せを交わす。
「こいつ……完全に舐めてやがる。
わざと反撃せず、全部避けて情報引き出そうとしてやがるのか……!」
恋は両手を軽く広げ、まるでダンスでも踊るかのように体を揺らす。
苛立ちを抑えきれなくなった一人は、ジャブ、ストレート、右フックのコンビネーション。
しかしそれも恋は全てかわす。
ジャブは首を傾け、ストレートは体を沈め、フックは後ろに体重を預けて。
拳が空を切る音だけが虚しく響いた。
「そんなに当てたきゃもっと速く撃ってこなきゃ。
全部見えてんだよ、お前らの動き。
お前らの将来よりはっきりな」
不良たちは息を荒げ、さらに距離を詰める。
一人が低く唸った。
「てめぇ……もう我慢ならねぇ……!」
今度は二人同時に動く。
正面から右ミドルキック、横から左ストレートの挟み撃ち。
恋は軽くジャンプしてキックをかわし、着地と同時に体を捻ってストレートを避ける。
二人の攻撃が交差する瞬間、その隙間を縫うようにすり抜けた。
「よくよく考えたらニ対一って卑怯じゃね?
二人がかりで一年虐めるなんて最低だアンタたち!」
不良の一人が歯を食いしばる。
「……全部見切られてる……
確かに強いと聞いてたけど、ここまでとは……何だこいつ……!」
恋は首を軽く回し、いつもの笑みを深くする。
「何って……俺はただの、
世界一かっこいい護衛だよ。
お前らみたいなどうしようもない奴らから、か弱い女の子を守るのが今日の仕事だ」
「クソが……こうなったら……!」
何やら片方の不良が背中からおよそ長さ85センチほどの金属製のバットを取り出した。
その様子を見たもう片方も慌ててポケットから折り畳み式のナイフを取り出す。
「……なぁ、翔、覚えてるか? 中学んとき、俺ら、毎日腹減ってたよな」
バットを握りしめる男ーー剛は、
目の前の恋を睨みつけながらも、
心の奥では別の景色が浮かんでいた。
――暗い部屋。
冷蔵庫の中は、ほとんど空。
帰っても誰もいない家。
「給食だけが唯一のまともな飯でさ。
放課後になると、腹が鳴るのをごまかすのに必死で……
コンビニの前で、値引きシール貼られる時間を二人で待ってたよな」
ナイフを握りしてめた翔は、剛の言葉に胸がざわつく。
あの頃の空腹の痛みが、今でもふと蘇る。
(……あの時、剛がいなかったら、俺……どうしてたんだろう)
翔は小さく息を吐いた。
「ああ……あの頃、家に帰っても誰もいなかったしな。
剛んちも電気止まってた日あったろ。
『暗い方が落ち着く』って言ってたけど……あれ、嘘だったよな」
剛は苦笑しながら、心の中で呟く。
(……あの時はあんな強がりを言うしかなかったんだよ)
「……ああ。
俺ら、誰にも頼れなかった。
先生にも言えねぇ、親にも言えねぇ。
ただ二人で、どうにか明日をやり過ごすしかなかった」
翔はナイフを強く握りしめる。
胸の奥が熱くなる。
(剛も……ずっと苦しかったんだよな)
「だからさ……今回もちゃんとお仕事完遂して報酬をもらわないとな。
“普通になる”ために」
剛の視線が恋に向く。
その目は、怒りよりも、悔しさと焦りで濡れていた。
(……俺たちは、ただ普通になりたかっただけなんだよ)
「……てめぇみたいに全部持ってる奴には、分かんねぇだろ。
俺たちはもう、後がねぇんだよ。
負け犬にはもう二度と戻らねぇ……!」
翔も剛も、
“勝ちたい”んじゃない。
“これ以上、落ちたくない”だけだった。
翔は震える手でナイフを握り直す。
その瞳には、恐怖と、捨て身の決意が混じっていた。
恋はただ、静かに首を傾げた。
いつもの笑みが、少しだけ柔らかくなる。
「へぇ……負け犬か。
悪いけど、俺はその言葉、嫌いなんだ。
……その言葉を口にした瞬間、人は本当に負けるんだよ。
自分を納得させるための、安い言い訳だ。」
恋の目が、わずかに細くなる。
「そんでお二人さん?そいつ(武器)に頼る=アンタらも負けを認めたってことでいいか?
ならここからは……俺の拳で語ろうか」
「……うるせんだよぉ!!」
そう叫びながらナイフを握りしめ、翔が飛び込んでくる。
刃が弧を描き、左肩を狙う。
しかし、恋はいとも簡単に左手で翔の手首を掴み、捻り上げながら右膝を翔の腹に叩き込む。
「グハッ……!!」
ゴッという重い音が鳴り、翔が苦しそうに膝をつく。
「ナイフ持っただけで速くなったわけじゃないよな?」
恋は余裕の表情で翔を見下ろす。
それを見た剛が吼えて突進。
全力の横薙ぎ。
恋は体を沈めて下に抜け、掌底を脇腹に打ち込む。
剛はよろめくが、すぐに縦薙ぎを振り下ろす。
恋は冷静に振り下ろされる金属バットを、真正面から拳で叩き潰した。
バキン!
金属がへし折れる、乾いた音。
バットが折れた瞬間、剛の表情から血の気が引いた。
「馬鹿な!金属だぞ!拳で砕いたのか……」
折れたバットの破片が地面に転がる音が、やけに大きく響く。
剛の中で、押し込めていた何かが一気に噴き上がった。
(……なんだよ、これ……
俺らが今まで相手にしてきた“強い奴”なんて……
全部、ただの小石みてぇだったじゃねぇか……)
胸の奥がざわつく。
そのざわつきは、恐怖よりももっと深い場所から来ていた。
――暗い部屋。
冷蔵庫の中に何もない夜。
帰っても誰もいない家。
――翔と二人で、値引きシールが貼られる時間を待っていたコンビニの前。
寒さで手がかじかんで、パンの袋がうまく開けられなかった日。
――「二人でいれば大丈夫だろ」と笑い合った帰り道。
その笑いが、強がりだと互いに気づいていたのに、
気づかないふりをしていた日々。
(……俺らはずっと、
“二人ならどうにかなる”って信じてきたんだよ……)
その信念だけで、
どうにか明日をやり過ごしてきた。
でも今――
目の前の現実は、その信念ごとへし折ってきた。
(……違う……
こいつは……“どうにかなる相手”じゃねぇ……
俺らの全部を賭けても……届かねぇ……)
指先が震える。
握りしめようとしても、力が入らない。
翔が横でナイフを構え直す気配がする。
その気配だけで、剛の胸が締めつけられる。
(翔……お前はまだ前に出ようとしてるのか……
でも……違げぇんだ……
俺らの“限界”を……今、知っちまったかもしれねぇ……)
足が前に出ない。
地面に縫い付けられたみたいに。
「何してる!剛、来いよ! 二人でやるんだろ!」
翔の声は必死だった。
その必死さが、剛には痛かった。
剛は唇を噛みしめる。
「……翔……
俺は…………」
翔が振り返る。
剛は拳を震わせながら続ける。
「俺ら、今までずっと“二人ならどうにかなる”って信じてきたよな。
でもよ……目の前のこいつは……
どうにもならねぇ相手かもしれねぇ……
俺らの全部賭けても……届きそうにねぇと思っちまった……」
翔の目が揺れる。
剛はさらに言葉を絞り出す。
「だから……足が動かねぇんだよ……
怖いとかじゃねぇ……
現実を……理解しちまうんだよ……」
翔は言葉を失う。
その瞬間、恋の声が静かに割り込む。
「情けないな、友達がまだ戦ってるのにバットと一緒に戦意まで折れたのか?」
そう問いかけながら恋は視線を翔に移す。
その刹那――
翔が這うように、よろめきながら突進。
「…うぉぉぉぉ……たとえ俺一人でも――!
女さえ連れて行けば!
そうすれば俺たちは普通になれんだよぉ!」
刃が弧を描き、恋の胸元を狙う。
だが恋はすでに先を読んでいた。
(――違う。こいつ、俺を囮にして……その先の白石を狙ってる!)
校門の陰に隠れていたほのかは、恋の背後数メートル。
ナイフの軌道は、恋を貫通するように延び、ほのかを捉える形になっていた。
「その程度じゃ、俺を騙せないぜ」
恋は歯を食いしばり、あえて刃を受け止める構えを取る。
肩で受け、ほのかへの延長をブロックする――それが最短だった。
「くそっ……!」
翔は悔しそうな声を漏らす。
だがその瞬間。
「鳴紫くんっ……!」
ほのかが叫び、一歩大きく前に踏み出した。
怯えきった顔のままなのに、何故か体が勝手に動いた。
恋が傷つくかもしれない――その想像だけで、恐怖を上回る衝動が湧いた。
自分が盾になれば、鳴紫くんは守れる。
そんな馬鹿げた確信が、彼女を突き動かした。
「――!? 白石、動くな!」
恋の制止の声が鋭く響く。
(……何で動いたんだろう、私……。
鳴紫くんが強いなんて、ちゃんと知ってたはずなのに……。
守られる側なのに、守ろうとして……。
本当、どうしようもないな、私って……)
ほのかの心の中で、静かな自嘲が広がる。
同時に、胸の奥で何かが少しだけ変わった気がした。
――でも、もう遅い。
ほのかが前に出たことで、ナイフの軌道がわずかにずれる。
翔の瞳が一瞬、輝いた。
(――もらった!
女が動いたせいで、奴の構えが崩れた!
今なら……この隙に、せめて女だけでも!)
翔の口元が、歪んだ笑みに変わる。
刃があと1センチでほのかの胸に届く――。
世界も歪んだ。
ほのかの瞳が恐怖で凍りつく。
息を吸い込む音が、異様に大きく響く。
ナイフの先端が、ほのかの制服に触れる。
布地がわずかに凹む。
あと、0.5センチ。
もう、届く。
(終わりだ……!)
その瞬間――
「ほのかさんから、離れろ!!」
鋭く、震えた声が空間を切り裂いた。
視界の端で、人影が爆発的に加速する。
息を切らし、汗と埃にまみれた影が、地面を蹴って飛び込んでくる。
恋は知っていた。
その正体を。
そして、なぜ今、ここに現れたのかを。
心臓が強く鳴る。
胸の奥で、冷たい確信が広がる。
(……来るなら、今だろ……!)
「タカシ!!」
恋は咄嗟に叫んだ。
声が喉を裂くように鋭い。
タカシは全力で砂利を跳ね上げ、突進する。
最後の数メートルを一気に詰め、ほのかの前に身を投げ出す。
両腕を大きく広げ、彼女を覆う。
その瞬間、翔のナイフが、タカシの腹部に迫っていた。
「邪魔をするなぁ!!」
翔は即座に吐き捨て、一切の躊躇なく軌道を微調整。
タカシの腹部を狙って、そのまま勢いを殺さずにナイフを突き刺す。
ズブッ……!
鈍い音が響き、タカシの体がわずかに震える。
「っ……!」
タカシが顔を歪め、膝を折りかける。
翔の口元が、勝ち誇った笑みに歪む。
(あは、あはは……!
俺たちの勝ちだ!
やったよ…剛……!)
ほのかは凍りつき、血の気の引いたような顔で青ざめる。
「…な…何で?……さ…佐藤くんが…ここに……!?」
だが――その刹那。
「……勘違いするなよ」
静かな声が翔の目線より下で冷たく響いた。
翔はゆっくりと声のする方に視線を移す。
すると、目の前に恋の体が残像のように現れた。
咄嗟にのけ反ろうとしたが、ナイフを握っている手に違和感を感じた。
その手はすでに恋の左手で締め上げられピクリとも動かない。
さらに、恋の右手はタカシの胸を軽く押し返してタカシを後退させていた。
「俺は刺されてないのか……」
タカシ自分の無事を確かめるように呟く。
ナイフはタカシの服を浅く裂いただけ――刃先は皮膚を掠めただけで、致命傷は与えていなかった。
恋は一瞬で二人の位置を調整し、ほのかを自分の背後に隠し、翔の手首をさらに捻り上げ、ナイフを地面に落とさせた。
「ぐわぁぁ……」
あまりの痛さに翔は悶絶する。
「バカな、あの一瞬で二人とも助けたというのか?
ナイフの軌道は確実に仕留めてた。
なのに何であの場面で……間に合うはずがない」
翔は信じられないと困惑している。
翔は続けた。
「それに、そこの男が割り込んでくるなんて予想できるはずがない。
……なのにどうして」
「どうして?ってそりゃあ、
タカシは必ず来るって思ってたからな。
男ってのは、惚れてる女がピンチの時は駆けつけるもんだろ?普通。
それ以外にこいつを信じる理由がいるか?」
翔は唇を噛みながら恋の手を何とか振り払った。
そして握りしめられ負傷した手と逆側の手でナイフを拾おうとする。
「二人とも退がってろ」
恋の目が本気になった。
自分のミスで護衛対象を危険に晒した罪悪感が、胸を締め付ける。
「クソ……あと少しだったのに……もう一回だ」
翔は地面に落ちたナイフを拾い立ち上がろうとした瞬間――
恋の拳が、光の速さで翔の顔面を捉えた。
ゴッ、という重い音が動作の後に遅れてやってきた。
あまりの速さにその場にいた誰も恋が殴った場面を目視で捉えることができなかった。
ただ、次の瞬間には翔が完全に沈んでいた。
「……させるかよ」
たった一言、たった一撃で
あっけないほど簡単に、この戦いは終わりを迎えた。
読んでいただきありがとうございます!
お読みいただいたあなたはヒーローです。
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