7 聖女の謝罪
久々に執務に戻ると、書類はきちんと処理されていたようだ。私が居ない間、この書類たちはどうしていたのだろう。
書類を溜めないように朝から晩まで黙々と仕事をこなしていく。
そうしてアーシャが休暇から戻ってきたのだが、顔色が優れない。
「アーシャ、どうしたの?」
「エレフィア様、どうか、お気を悪くなさらないでほしいのですが……」
「大丈夫よ。私とアーシャの仲でしょう?」
アーシャは一瞬ためらうような素振りを見せたが、ふうと息を吐き、私の目を見つめた。
「どうやら聖女様がご懐妊されたそうです」
……。
一瞬、なんのことを言っているのか分からなかった。
……まさか、本当に?
知りたくなかった。
疑う気持ち、彼の口から何も聞いていない。
もしかして、私が王都に戻ってからも彼に会えていないのは、そういうことだったの?
ぽたりと涙が手の甲に落ちてくる。
愛していると。
待っていると。
カインディル様……。
「エレフィア様、エレフィア様! エレフィアお嬢様!? 誰かお医者様を呼んでちょうだい!」
“エレフィア”
現実に耐えることができず、優しい声がしたのを最後にいつのまにか私は意識を失っていたようだ。
目覚めると、目の前には目を真っ赤に腫らしたアーシャがいた。
「アーシャ、そんなに泣いてはいけないわ。目が溶けてしまうわ」
「お嬢様っっ」
「アーシャ、心配かけてごめんなさい」
私は浅く息をしている。
「お嬢様、無理をしてはなりません」
「お医者様はなんて言っていたの?」
「過労が原因だと。お嬢様は丸二日間眠っておいででした。私が、私が余計なことを言ったせいで……」
「アーシャ、いいの。遅かれ早かれ、知ることになっていたのでしょう?」
「お嬢様、無理はいけません。侯爵家へ戻りましょう?こんなところに居てはお嬢様が使いつぶされる未来しか見えません」
アーシャは心配してくれているのが痛いほど伝わってくる。
私が返事をしようとした時、がちゃりと扉が開かれた。
「エレフィア、目覚めたと聞いた。もう大丈夫なのか?」
そう言ってカインディル様は部屋へ入ってきた。
「エレフィア様、お身体は大丈夫でしょうか?」
彼の後ろから可愛らしい声が聞こえてきた。
「……聖女様」
彼女の姿を見た途端、心がずしりと重くなった。
会いたくなんてなかった。
アーシャも口に出すことはないが後ろに下がり、渋い顔をしている。
「ええ、少し疲れが出ただけですから。どうぞお気遣いなく。私よりも聖女様の方が大変ではないですか?身重の身体で病人の部屋に来てはなりません」
「あのっ、ごめんなさい。私、謝りたくてっ」
聖女様は私の前に来てぺこりと頭を下げてきた。
その仕草に私の心はかき乱されていく。
苦しい。
これ以上見たくない。
消えてしまいたい。
「……何の謝罪でしょうか」
私に言葉を返されるとは思っていなかったようでわたわたと手を動かし始めた。
「えっと、えっと。私が、先に身籠ってしまったこと、です」
「それをどうして謝罪する必要があるのですか?」
「え?」
聖女様は一瞬だけ眉間に皺を寄せたが、すぐに悲しむような表情に変わった。
「だって、カインディル様はエレフィア様のことが好きだったから」
「好きだと知っていたのになぜ結婚したんですか? それにどうして子供まで儲けたのですか?」
「……」
「エレフィア!」
カインディル様は彼女を庇い、彼女は私の問いに答えることはなかった。カインディル様は彼女を庇うように抱いたからだ。
「……お二方の気持ちは痛いほど伝わってきました。どうぞお引き取り下さい」
「エレフィア様、ごめんなさいっっ」
「……」
アーシャは頭を下げ、私の代わりに二人を追い出すように「どうぞ」と部屋の出口を指した。
二人が出ていき部屋は静まり返った。
「……アーシャ」
「お嬢様、もう、侯爵家へ戻りましょう?」
「でも、私は側妃だから」
「お嬢様、私はお嬢様に最後まで一緒にいます」
「ありがとう。もう少しだけ、頑張ってみる。頑張って駄目なら病気を理由に侯爵家に戻るわ」
「はい」
私は重く冷たくなった手をぎゅっと握りしめた。
翌日からは執務に復帰し、黙々と仕事をこなしていく。書類を持ってくる文官たちも私の行動に気づいていたのだろう。みんながそっと気を回し、私に話しかけてくることもない。
「エレフィア様、ナリョーザの村人や兵士たちからお礼の品をいただきました」
ナリョーザで採れる果物が籠にいれられている。アリーシャが一つ取り、皮を向いて渡してくれる。
「あそこで採れる果実はとても甘くて美味しいのよね」
そう言いながらナリョーザでの出来事を思い出して懐かしむ。私がもし、あの地に行っていなければどうなっていたのだろう。
私とカインディル様との関係も今とは違ったものになっていたのだろうか。
本当は彼の口から聞きたかった。
ううん。そんなことは嘘だと、私は嵌められたんだと言って欲しかった。
でも、現実は残酷だ。
彼は彼女を選んだ。
愛している、待っているといったその口で彼女を庇った。
私がナリョーザへ行っていた時には書類はきちんと処理をされていた。私が居なくても問題ないのかもしれない。
やはりここを去るべきなのかもしれない。
ここにいても彼らは気を遣うだけだろう。




