9. ステップ5
要は今朝九時半に実験室に着いた。大西はまだ来ていなかったが、新庄と菅谷はもう実験を始めていた。川本は昨日結局一時間遅刻し、大西に大目玉を食らっていた。要はデシケーターから昨日作ったN-Boc-L-イソロイシンの重量を計った。
「新庄先輩、お時間ありますか?」
「なにかな?」
「えっとNMRの操作見てほしいんですけど」
「ああ、昨日作っていたやつね。いいよ」
二人はNMR室に行き測定を始めた。
「ちゃんと出来ているといいね」
「はい」
十分ほどすると測定が終了し、解析を始めた。
「解析結果を研究室で見てみようか」
二人は教授室に行き、詳しい解析をし始めた。
「うん、ちゃんとL-イソロイシンのスペクトルと似ているうえに、Boc基のメチル基もあるし、ブロードになったカルボン酸もあるから、ちゃんと出来ているわね」
「このブロードに出ているのは何ですか?」
「これは水ね」
「乾燥が終わってないのですか?」
「ん!これは二分の一水和物(1/2・H2O)よ。」
「なるほど」
「だから収率出すときは二分の一水和物として計算するのよ」
「わかりました」
二人は実験室に戻り、それぞれの実験をすることにした。
要は実験室に戻り早速収率を計算した。得られたNーBoc-L-イソロイシン・二分の一水和物は、三百四十ミリグラム(340mg)で、収率に換算すると九十三パーセント(93%)であった。新庄の論文の収率と遜色のない数値だった。新庄は得られた物の内、三百ミリグラム(300mg)を次の反応に使うことにした。それと同時にL-イソロイシンのボック化(Boc化)を一グラム(1g)スケールで行うことにした。
次の反応は、N-BocーL-イソロイシン二分の一水和物のカルボキシル基をアミド化する反応であった。アミド化するにはまず、テトラヒドロフラン中ジシクロヘキシルカルボジイミド(DCC)存在下、N-ヒドロキシコハク酸イミド(HOSu)を作用させて活性エステル体にする必要がある。要はジシクロヘキシルカルボジイミドとN-ヒドロキシコハク酸イミド、あとボック化(Boc化)に使う(Boc)2Oを冷蔵庫から取り出し室温に戻した。
ボック化(Boc化)の反応を仕込んだ後、N-BocーL-イソロイシン二分の一水和物三百ミリグラム(300mg)をテトラヒドロフラン十ミリリットル(10m)にN-ヒドロキシコハク酸イミドを一点一当量(1.1eq.(いくいばれんと))を溶解した。この溶液を氷冷し、ドラフトチャンバー内で攪拌し、ジシクロヘキシルカルボジイミドを一点一当量(1.1eq.)を加え一時間反応した。TLCで反応を追跡したところ活性エステル体らしきものはわずかしか見えず、室温で反応を続けることにした。隣の新庄を見てみたら彼女はカラム精製をちょうど終えたところで、減圧濃縮の準備を始めようとしていた。その時菅谷が「お二人さん」と声をかけてきた。
「二人とも何根詰めているのよ。ごはんの時間だよ」
「もうそんな時間?」
「集中しすぎよ。疲れちゃうでしょう。リラックスリラックス」
そんなことを話し合う新庄と菅谷の後を追って要は学食へ向かう。後ろから川本がつついてきて
「両手に花でいいよなぁ。美人に囲まれやがって」
と要を冷やかしてきた。
「しょうがないじゃないか、新庄先輩と一緒に実験してたらもれなく菅谷さんが付いてくるんだから」
「理由はどうあれ結果的に両手に花なんだから羨ましいよ」
「そういうお前は看護学部に可愛い彼女がいるんだろう。そっちの方が羨ましいよ」
などと言い合いをしながら歩いていると学食に着いた。
食事を終えて実験室に戻り、TLCで反応を追跡すると丁度反応が終了しており、副生成物であるジシクロヘキシルウレアを吸引濾過し、エバポレーターで減圧濃縮した。得られた残渣を酢酸エチル十ミリリットル(10ml)に溶解し、アンモニア水を加え室温で攪拌した。反応を追跡している間にL-イソロイシンのBoc化反応の後処理の為抽出を始めたのだが、スケールが大きくなった分、分液ロートも大きな物が必要となるので、いつもより大変な作業となり、隣の新庄から心配そうな顔をされていた。減圧濃縮を開始し、アミド化反応の追跡をしていたところ、こちらも丁度反応が終了し、酢酸エチルを追加してpHを弱アルカリ性にし、抽出を開始した。ロータリーエバポレーターで減圧濃縮をしようと思ったところ、三台あるロータリーエバポレーターは全部使用中(この内一台は要が自分で使用)であり、時間を弄んでいた。そんな時、菅谷が新庄と話していて手招きをされた。
「要くん、今日は時間かかりそう?」
「そうですね、カラム精製しなければならないやつが二つあるので時間かかると思います」
「なら、夕飯今日も行く?」
「はい行きます」
「じゃあ決まりね、梨香ちゃん」
菅谷は新庄に無理矢理同意させた。