5. ステップ3
「さて、今日は昨日精製した物が目的物かどうか確認するため1H-NMRで分析しましょうか」
朝の挨拶もそこそこ、新庄は要に提案してきた。1H-NMRとは、有機化合物の構造を決定するのに欠かせない分析法の一つで、核磁気共鳴スペクトルともいい、炭素原子に結合した水素原子の原子核にある磁気に、超伝導磁石で発生する強力な磁気をあてることによって、水素原子の状態を調べる手法である。
「まずは、専用のサンプル管に五ミリグラム(5mg)ほど精製した物質を入れて、CDCl3(ジュウテリウムクロロホルム)に溶かしてね」
と新庄は要にサンプル管と専用の有機溶剤を手渡した。
「あ、その前に重量測っておいてね。出ないと収率が分からなくなるから」
そういうと新庄は卒論発表の原稿に目を移した。
要の準備が済むと二人でNMR室へ行き、新庄は細かな注意点を話し始めた。
「NMRは四百メガヘルツ(400MHz)もの強力な磁気を発生させているから、キャッシュカードやクレジットカードなんか近づけると一巻の終わりだから、入り口付近の物置場に置いてね。あとスマホも。NMRにくっ付いたら取れなくなっちゃうから。ちなみにNMRは一億円を超えるお値段だから壊さないでね」
新庄は真剣に話しながらも、ちょっとだけ茶目っ気をだしたが、要には返って恐ろしい話に聞こえた。機器の操作はもちろん新庄が行った。ただいつまでも新庄が機器操作をしてくれる訳ではないので、要はメモを取りながら真剣な眼差しで新庄の操作を見ていた。十分ほどしたら分析が終了し解析を始めた。さっさと解析を終了させると解析図をプリントアウトとし、「じゃあ、教授室で詳しく解析しましょうか」と言いNMR室を後にした。
「反応機構を考えると、この硫黄原子はこの炭素原子と結合して窒素原子がこのケトンの根元の炭素原子に結合して、ケトンは水酸基になるのだけど、隣の炭素原子に結合した水素原子と共に脱水され、チアゾール環が合成されたことがNMRで分析した通り水素原子のピークの位置と積分値がかわるの、分かったかな?」
新庄の解説を聞いていた要の頭の中は?が何個か浮かんだが、教科書の何処かにかいてあったなということは覚えていたので、「大体」とだけ返事をした。
「まあ、ちゃんと目的物は出来ていたし、収率も良かったから、初実験としては合格点かな。おめでとう」
と、右手を差し出された。要も右手を出して握手したわけだが、新庄の手の柔らかさに初めて異性の手に触れたことに気づき赤面し顔を背けてしまった。新庄はというと何事もなかったように「じゃあスケールアップして行こう!次は一グラム(1g)スケールでね。今から早速」と実験室に向かった。要は「氷華の天使」は悪魔と共存しているのかなどとあとをついて行った。