19. ステップ13
朝十時半、要は待ち合わせ時間の三十分前に待ち合わせ場所の駅前に到着した。
「めっちゃ緊張してきたなぁ」
要は独り言を言いながらスマホに目を落としていた。何かを見るわけでもなくただ目を落としただけで。緊張しすぎて行動に移せないまま固まっているように。
「ごめん、待ったぁ?」
声を掛けられてようやく気が付いた。そのまま、また固まってしまった。今度は見つめすぎて。水色のワンピースに白のカーディガンを羽織った姿を見て。
「いえ、全然待っていませんよ」
スマホをチラ見してみたら十時五十分だった。
「梨香子さんも早いですね」
「あまり人を待たせるの好きじゃないから。待たせるよりは待っている方が好きなの。でもその前に言うことがあるんじゃないの?」
「え、ええと、梨香子さん綺麗ですね。そのワンピースとても似合っています」
「ありがとう。それじゃ映画が始まる前に食事に行きましょうか」
そう言いながら、二人は飲食店街に向かっていった。
映画を見終えたあと、二人はカフェに行った。
「まさか梨香子さんがアニメ映画を観るとは思いませんでした。しかもテレビシリーズの完結版だなんて」
「私がアニメ見るのが可笑しいの?オタク嫌い?要君も食い入って観てたくせに」
「いやぁ、なんか梨香子さんの醸し出す雰囲気のせいですかね。映画の出来とてもよかったですね。テレビシリーズも見てみたいです」
「それならDVDBox貸すよ」
「ほんとですか!ありがとうございます」
「いえいえ、要君もオタク道目指してね」
などと微笑ましい会話をしながら健全なデートを楽しんでいた。
月曜日、新庄は早速昨日見た映画のテレビシリーズのDVDBoxを要に渡した。
「ありがとうございます。帰ってから見ますね」
「帰ってからは流石に時間はないでしょう。暇が出来たらでいいわよ」
そう言うと、新庄は自分の実験を始めた。
要も、土曜日までに得たL-セリンメチルエステル体のBoc化を半分の量で始めた。反応を仕込んだ後、N-Boc-セリン-OMe三百ミリグラム(300mg)を使って水酸基のベンジル化反応を始めることにした。Boc体を塩化メチレン十ミリリットル(10ml)に溶解して、トリエチルアミンを一点一当量(1.1eq.)を加え攪拌して、臭化ベンジル一点一当量(1.1eq.)を塩化メチレン五ミリリットル(5ml)に溶解して滴下した。室温で一時間反応させてTLCで反応を追跡した結果、原料が消失していたので反応を止めて弱アルカリ性にして塩化メチレンで抽出した。抽出した塩化メチレン層を硫酸マグネシウムで乾燥させ、濾過した後に塩化メチレンを減圧濃縮して塩化メチレンを留去した。昼食後、得られた粗体をシリカゲルカラムで精製してN-Boc-O-Bn-L-セリン-OMe(N-ターシャルブトキシ-O-ベンジル-L-セリンメチルエステル)を得た。得られた精製体をデシケータに入れ真空ポンプで真空にして乾燥させ、Boc化の反応をTLCで追跡した。追跡したところまだ原料が残っていたので、要は早めの夕食を摂ろうとした。
要が新庄の様子を見たところ、ちょうどカラム精製を行っているところだったので一人でいつもの定食屋に出掛けようとしたところ、
「ご飯行くならちょっと待って。もうすぐカラム終わるから」
と呼び止められた。新庄はTLCで精製具合をチェックして、分離出来ていることを確認したら、展開溶媒を酢酸エチルに切り替え白衣を脱いだ。
「ちょっと朱美に一声かけてくるね」
と言って、新庄は研究室に向かった。少し経つと新庄が戻ってきて、
「朱美、今日残業だって。だから二人で行こう」
要と新庄は定食屋に向かって歩き出した。
料理を待つ間、新庄が話し始めた。
「朱美、四月から秘書になって八時半から十七時十五分までの勤務になったでしょう。だから、朝食と夕食は朱美が作ってくれることになったの。その代わり洗濯と共有スペースの掃除は、私が担当することになったの」
「そうだったんですね。だから最近夕飯にマンションに呼ばれるようになったのは」
「そうなのよ。もっと早くに言っておくべきだったわね」
「それじゃあ、今度から食費を払わないといけないですね」
「いいのよ、食費が欲しくて言ったわけではないし。朱美も事情は分かっているから」
「そうなんですか、なんか申し訳ないです」
「あ、お礼は朱美に言ってあげてね。料理しているのは朱美だから」
「そうですね。今度ケーキでも買っていかないと」
食事を終え、実験室に戻ると新庄はカラム精製した溶液の減圧濃縮をし始めた。要はBoc化の反応を追跡した。あと少しでというところまでは原料が消失してはいたが、反応を終了させるわけにはいかなかったので、残りのメチルエステル体のBoc化反応を仕込み始めた。反応を開始させから、朝仕込んだBoc化反応をもう一度TLCで確認したところ、原料が消失していたので反応を止め、テトラヒドロフランを減圧濃縮して留去したのち、中性にして酢酸エチルで抽出した。酢酸エチル層を硫酸マグネシウムで乾燥させ濾過した後、減圧濃縮して酢酸エチルを留去して粗体を得た。時計を見ると午後十時を回っていて、要は器具の洗浄を行った後、明日朝一でカラムを始められるように準備をした。
新庄は先に実験器具を洗っていて、カラムで精製した物をデシケーターに入れて真空ポンプで真空にしていた。
「新庄先輩も実験終わったんですか?」
「終わったわよ」
「お疲れさまでした」
「要君もね」
「もう帰るんですか?」
「帰るわよ」
「じゃあ、裏門まで一緒に行きましよう」
「はい」
「大西さん、悪いのですけど戸締りお願いできますか?」
そう新庄が大西に言うと、
「任せておけ」
と片手をあげて大西は応えた。




