1. 有機合成研究室
白桜大学生命科学部生命理学科三年生、山野要は先日まで後期試験を受け無事終了し、卒論研究のため今日三月一日から、待望の有機化学研究室に配属となった。
今日は午前十時に教授室に集合で、只今の時刻九時四十五分。多少時間が早かったが要は教授室に入ることにした。
「山野、今来たのか?遅いよ」
と、同じく配属となった川本弘明が声を掛けてきた。
「まだ余裕あるだろ、川本の方が早く来すぎたんだろ」
「正解!なんか昨日眠れなくて」
「分かる!この緊張感」
要は、初日というワクワクもあったが緊張の方が大きかった。
「そう言えば、吉井先生は?」
教授がいないのに気づき、川本に尋ねてみた。
「先生なら先輩たちを呼びに、実験室に行ったぞ」
何故?という気持ちを持ったが、とりあえず待つことにした。
要らが待っていたところ、廊下から大きな笑い声がしてきた。ドアが開き五人の男女が入ってきた。一人は四十代中盤の背が高く細身でネクタイをしている吉井教授で、他の四人は研究室の学生でそれぞれ白衣を来ていた。白衣を着ている人物の中に一人別世界の住人のような輝きを持った女性がいた。
「あれ、山野君じゃないの」
と、要は声をかけられたが、ピンときている様子はなかった。
「ほらぁ、高校の時同じバドミントン部だった、新庄梨香子よ」
と名乗られ、要は記憶にある新庄梨香子を思い出してみたが、ショートカットではち切れんばかりの笑顔で、学校中の高嶺の花だった一つ上の先輩の顔は浮かんだが、要自身はあまり話したことがないから、ほとんど記憶になく、今目の前の黒髪ロングで清楚な感じの大人の女性を見て、記憶にないと言っても仕方がないことだろう。
「さて、まだ自己紹介も済んでいないことだし、話は後でいいかな、新庄君」
と、吉井教授が司会を始めた。
先輩方の自己紹介がはじまり、先ずはガタイのいいラガーマンの様な修士課程一年生の大西和哉、学部四年生の池谷康二と菅谷朱美、そして新庄梨香子というメンバーであった。
「さてと、それぞれ自己紹介も済んだことだし、山野君と川本君の研究テーマだが、山野君は新庄君と顔馴染みみたいだし、新庄君は大学院に進学だから、しばらくの間新庄君について教えてもらってくれたまえ、川本君は大西君について教えてもらってくれたまえ。大西君、新庄君よろしく頼んだよ。」
と、吉井教授は要たちの指導係をあっさり決めてしまった。その時川本は要にやっかみを言うのだが、要にとってはあまり、異性と話したことがなく、高嶺の花と会話するなど恐れ多いことで、これからどうすれば、といった感想の方が上にきていた。
一方の川本といえば、大西に肩を揉まれながら実験室に連れて行かれた。
「それじゃあ山野君、先ずは吉井研の研究内容を説明しようか」
と、新庄梨香子が話始めた。
有機合成研究室、通称「吉井研」は、土壌などから発見された微生物から分泌される抗生物質を、有機合成で作り出そうという研究室であった。何故わざわざ有機合成で抗生物質を作るかというと、作用部位の研究や抗生物質の一部を改良することにより、作用の強弱や副作用の低減などの研究に役立つ事があると述べた。
「まあ、色々言ったけど、世界で一番最初に合成出来て論文を発表すれば、後々、引用文献にされるしね」
と、新庄梨香子は付け加えた。
「と言う事で、私の卒論発表が三月十日にあるので、その練習を聞いてもらいながら、大まかな内容を覚えてもらって、実験の方は私が研究しているものの原料立ち上げをしてもらおうかしら」
要は「わかりました」と返答しながらも、目の前の美人が発する言葉は、彼女から発せられる光とともに右から左へ流れて行った。
要は新庄に連れられて実験室に向かった。新庄の後ろを歩いていたが、ブラウスとタイトスカート、ヒールに白衣姿で黒髪を背中まで流し後ろ姿まで光輝いているようで、「出来る女」感を醸し出していた。要の感想としては、「この人についていけるだろうか」だった。
「それじゃあ、山野君はこの実験台を使って」
と、新庄の隣の席を示され座った。
「僕は何をすればいいんですか?」
と、要が新庄に問うと新庄が説明を始めた。
「吉井研は主にピリジンやチアゾールなどの複素環や、アミノ酸などがアミド結合(ペプチド結合)で大きな環状をした抗生物質を合成しているの。大西さんとは別の抗生物質をテーマにしてるわ」
と、説明を続けた。ピリジンとは六員環の複素環でベンゼン環(いわゆる亀の甲羅)の炭素原子の一つが窒素原子に置換した分子で塩基性を示す。チアゾールは五員環の複素環で炭素原子が三個、窒素原子と硫黄原子が一個ずつで窒素原始と硫黄原始の間に炭素原子が一個と二個という環状を示し炭素原子に水素原子がそれぞれ一個、計三個が結合した分子である。ペプチド結合とは、アミノ酸のカルボキシル基とアミノ基が脱水反応して結合したものである。
「それで、私の担当している抗生物質は、五つのフラグメント、パーツのことね、に分けて合成していき、それぞれのフラグメントが出来上がったら全合成していくことになるわ。今は四つのフラグメントまで合成が完了していて、私はこれから残り一つのフラグメントの合成に取り掛かっているから、山野君には確立した四つのフラグメントの大量合成と、私が合成にかかっているフラグメントの原料合成でもしてもらうかしら」
と、新庄はサラッと言ってのけたが、要の脳内には?マークが五つくらい並んだ。「どんなとんでも要求か?」と思考を巡らせた時、目の前の人物は高嶺の花ではなく、「氷華の魔女」に見えた。その時大西が、
「新庄、お前は優秀だからそんなのサラッとこなしてしまうかもしれないが、まだ山野の力量が分からないのだから、無茶な要求はするな。ただでさえ有機合成は臭い、キツい、汚いの3Kと言われて学部生から敬遠されるんだから」
と、注意されたが、新庄は
「臭い、キツい、は分かりますが、汚いは聞き捨てなりません。大西さんの実験台がだらしないから、他の人の実験台もだらしなくなっていくのですよ。私は毎日床掃除もしているのに」
と、返えし大西は肩をすくめるだけだった。そのかわり要はしばらくの間は、既に合成ルートが確立されているフラグメントのうち一つの大量合成だけを任されることになった。といっても、フラグメントの合成には十数ステップ(工程)かかるので、やはり眩暈ものであった。
「さて、大まかな説明は終わったから、実験を始めましょうか」
と新庄が実験の準備をはじめようとしたとき、教授室で卒論発表の練習をしていた菅谷が、実験室に入ってきて、
「梨香子、学食行くよ。先生も待っているよ」
と声をかけてきた。時計を見ると午後一時、要は緊張していてお腹が空いているのも忘れていた。吉井研では、学食が空いた午後一時頃に、教授を含む研究室全員で学食に行くのが研究生活の一環になっていた。要はやっと一息つけられることに、菅谷に心の中で感謝した。
学食へ向かうときは流石に皆な白衣は脱いで行き、白衣の中はラフな格好をしていたが、新庄はブラウスの上にジャケットを羽織ってヒールをカツカツ鳴らしながら、吉井教授と討論をしながら歩いていた。要は川本に、
「俺たちちゃんとやっていけるかなぁ」
と溢したが、
「俺は大丈夫だと思うよ。大西さんの求めていること、そんなにハードル高くなかったから」
と笑っていた。
午後二時頃、実験室に戻ってきた要は新庄に実験のレクチャーを受けることになった。
「実験に慣れるまでは少量ではじめてもらおうかしら?とりあえずノートにこの合成ルートのフローチャート(実験の流れ)を書いてもらえる?」
と、メモを渡された。要はメモを見ながら、フローチャートを書き始めた。流れとしては、エタノール十ミリリットル(10ml)をナスフラスコに入れ攪拌子を入れたらスターラーで攪拌しながらチオアセトアミド百ミリグラム(100mg)を溶かしこみ、同じくエタノール五ミリリットル(5ml)にブロモピルビン酸エチルを等モル(mol)量を溶かし滴下ロートで滴下する。滴下が終了したら滴下ロートをジムロート(冷却管の一種)に付け替えリフラックス(加熱還流)しTLC(薄層クロマトグラフィー)で反応の様子を見て終了時にエタノールを濃縮後、pHを中性にして酢酸エチルで抽出、水で洗浄しする。酢酸エチル層を硫酸マグネシウムで乾燥した後、硫酸マグネシウムをロートと濾紙を使って除去し、酢酸エチルをエバポレーター(減圧濃縮機)を使って濃縮後、シリカゲルカラムでn-ヘキサンと酢酸エチルを用い精製し、また有機溶剤を減圧濃縮して、最後に乾燥させて目的物4-エトキシカルボニル-2-メチルチアゾールを得るとあった。フローチャートは長く、知らない単語がぽんぽん出てきて、要は少し戸惑った。
「これ、どのくらいかかるのですか?」
と新庄に恐る恐る尋ねたら、
「仕込みに十分、反応に一時間、抽出に三十分、濃縮三十分にカラムが一時間半の更に濃縮が一時間の乾燥に一晩かな」
と返答があった。乾燥を除いた時間だけでも、四時半、それに試薬は冷蔵庫にしまってあり、冷蔵庫から出したばかりだと湿気を吸ってしまうので、常温になってから開封の事と付け加えられた。要が時計を確認したところすでに午後三時を回っており、何時になったら帰れるのかと不安になった。新庄は要の様子を見て、
「流石に今日全部やれとは言わないよ。抽出濃縮したところで終了すればいいよ。」
と言われ、夕方で終われることに安堵した。
要は気を取り直して、冷蔵庫からチオアセトアミドとブロモピルビン酸エチルを取り出し、室温に戻し始めた。