弱気な王と賢明な王妃は、元気強な王と、暴れ馬王妃
岐の国では、地味豊かな土地が広がり、毎年豊作で、食料にこと欠くことはなかった。
しかし、その年の干ばつで、地面はひび割れ、森から獣がいなくなって、多くの難民が市井に溢れた。
折しも多くの餓死者を出した地方では疫病が始まり、王都に迫ろうとしていた。
「王女様だ。王女様が自ら焚き出しに来て下さるなんて」
「有難てえ、このようなむさくるしい場所に、王女様自ら手を差し出してくれるなんて」
町の焚き出しに、岐王の王女蘭がいた。蘭は長女、次女の王女に続いて、美しい容姿をしていて、文書画にも秀で、琴の才能も有名であり、諸侯の憧れの的であった。なおかつ控え目。あまた后を抱える後宮の中にいても、目立たず、美貌を鼻にかけてあからさまに貴公子たちと付き合う姉たちとは違って、交友もせず、表だって活動することはなかった。
ただ、民間奉仕だけには熱心で、国民困難の時には率先して、道端に立つ姿があった。
「姫様、いい加減にして、はやく城に帰りましょう。国王様も顔だしだけで、早く帰れと言っていましたよ。姫様に疫病が移ったら、困っちゃう」
「子鈴、この米が足りなくなってるのよ。今置いて帰ったら、今日来た人々に、出せるものがなくなってしまう」
「そんなこと言って、不作なんで、どこも米なんてないですよ、どうするんですか?」
(干ばつで飢饉というのは、分かっている。嫌と言うほど、分かってる)
溢れる難民が道端に並び、誰もが皆、途方に暮れた顔をしている。作物で資金が稼げないので着の身着のまま服はぼろぼろ、子供たちは何日も沐浴しておらず髪はぼさぼさ、皆、不衛生。でも、どこにも行くところがなくて、困り果てている。そもそも、どこへも行く体力もない。米不足で、何日もおかゆしか配給出来てない。
(どうする?でも、あすこにだけは・・・)
王都にある穀倉は、すでに空だ。
地方の不作や飢饉のために用意した穀倉は、何か月も続く飢饉にすでに備蓄は尽きている。穀物以外の野菜も、もう王都には入って来なくなり久しい。唯一頼めるのは、隣国の涼の王。 森林地帯にあり、年中水源豊かな土地だ。
干ばつが続く中、あちらではそれほど被害が出てないと聞く。
内陸では名の知れた国ではないが、古代から脈々と続く王権で争いもなく、国民も穏やかな暮らしをしている。でも、あすこは・・・
「はるばるよく来られた」
涼の王の子貞は、勇壮で知勇を備えた王として一躍有名になった王である。
「人心の尊敬篤い蘭王女。施薬院などで奉仕したり、困ったことがあったら各国の仲裁に行ったり、国王をよく助けているそうだ。賢明で聡明な王女として名をなした。訪問は栄誉である」
(やっぱり憶えているの?)
聡明、容姿端麗、国民奉仕、控え目で今や誰からも慕われ、尊敬される蘭だが、小さい時、少々、やんちゃだったことがある。
「あんた、私と戦いなさいよ。この私は世界最強、男すらひれ伏させる王女。男は英雄なら、勝って名を上げる。それが女に出来ないことがあろうか。私は勝って、今から名を上げる、さあ、戦いなさい、さあ、その木刀を持って、向かって来なさい」
あの頃は、子供で、男も女も分からず、ただ、父に仕える于文将軍が格好良くて、憧れて、英雄になりたい、将軍になりたい。姫でもなれると勘違いして、誰彼構わず喧嘩を売っていたのだ。
今の蘭とはまったく違う。いっときの暴れ馬。あばずれ。
いややはり、暴れ馬と言うほうが響きは良い。
あの頃だけの特別なこと。病にかかっていたのだ。
ああ、思い出したくもない、恥ずかしい記憶。
「なんだ、お前、女のくせに」
隣国から来た涼の皇子涼昌は、眉間にしわを寄せて、ぎろっと目玉を怒らせ、イライラと声を高めた。名うての乱暴者だ。歯向かう部下は叩き、目の前に出て来た民を蹴とばすと言う。
「どりゃ」
まず、蘭の横にいた従者の護衛が飛び蹴りで、吹き飛ばされた。
「な。あなたねえ、やっていいことと悪いことが分からないの?」
「お前が悪い」
確かにいきなり、戦いを挑む蘭も蘭だが、評判の悪い皇子なのだ。
「我が母国の土地で乱暴狼藉が行われ、それを目の前で、見逃したとあっては名折れ。成敗してくれる」
「勝てるのか?お前が俺に、ぶっはっはは」
皇子は悪びれもせず、蘭を見て、バカにしたように笑う。
蘭が綺麗なひらひらの服を着て、手には木刀を持つのがおかしかったのだ。
「女だって、勝てるわよ。戦ったら分かる。戦わずして、逃げる気?さあ。戦いなさい」
隣国からせっかく、やって来た日に、わざわざ行くのでなかった。あんなこと言うのでなかった。
「ふん、まともに、そんなことするやつがあるか」
まったくその通りで、言って当然のことを言って、涼昌は相手にしなかった。
「何よ、このう、弱虫、この私は向かうところ敵なしなのよ。お前を打ち負かすの。さあ、来なさい、剣を持ちなさいよ」
それでも、蘭は木刀を振りかざして、襲っていった。その一撃は、すらっと交わされた。バランスを崩した蘭は、したたかに木刀で石床を叩いて、手から木刀を落す。手がしびれて、目から涙が出た。その様子を見て、ふんっとそっぽを向いて、すたすたと涼昌は歩いて行ってしまった。
あれから、十年。
(あの人はあのことを憶えているかしら?)
今は国王になっていると聞いて恥ずかしくて立っていられそうにない。
でも、だからこそ、忙しくて、考えることが多くてきっと、蘭のことなど憶えていることはあるまい。
「ふむ、食料援助をして欲しいと」
時が経って、涼昌も賢明な王になったと聞く。たとえ、昔のあばずれ、いえこんな言い方悪いし、暴れ馬、そう、暴れ馬のほうが合っている。可愛いでしょ。馬。
それにしても、いやにぼそぼそと言う。いつの間にか、性格変わった?弱気になったのかしら。
その蘭の懸念の通りに、王はいやにぼつぼつと喋り出す。
「確かに隣国として、お隣の国の窮地には手を差し伸べたい。だが、断る」
「なぜ?ですか?」
かつては評判の悪い王子だったが、いまでは立派な王。大勢の家臣に選ばれた。統治も乱れてない。王なら、道理や義理人情、国の仁義美徳を考えて、昔の因縁はあっても即座に米を輸送してくれるもの。と思った。
「我が国はそなたの国とは国交を結んでおらぬ。そなたの国とは昔から仲が悪い。周りの周辺国もそう思っていて、我が国と同盟を結んでいる、その国への面目もたたぬ」
「それは昔そういうことがありましたが、現在は隣同士、行き来は盛んで、経済も隆興しております。我が国は周辺国とも友好を結んでおり、貴国を窮地に落す心配もありません」
「悪いが、昨今の雨不足により、うちにも米がない。我が国にあるのでも精一杯なのに、いくら隣国によしみや義理があろうとも、そなたの国へ出すわけにはいかぬ。我が国の国民が飢えてしまう」
昔の因縁のことを持ち出して、未だに恨み言を言うのは隣国の常套句。ただ、昨今の干ばつでどこも米不足だ。たとえ、自然豊かな隣国でも、米不足では米も出せまい。確かに、国王としては常日頃の決まり文句の対応と、やむない判断。決まり切ったことを静かに言って、そつがない。
昔に比べて、大人しい、落ちついた王になった、ある意味寡黙、地味。幼い頃は、気に入らない相手をぎろっと睨んで、忙しいから邪魔するなと怒ってたのに。
「分りました。一つ聞かせてください。これは、私のことを憶えているから、ではありませんね?」
表面上は丁寧な断りだ。けれど、かつての対戦の結果、今を恨んでいるような部分もあるのでないか。それは、こちらも気にかかる。もし、そこを根に持っているなら、訂正して置かねばと思ったからだ。
「何のことだ?」
だが、地味で暗い王は、弱弱しくそう言っただけだった。
「何でもありません」
それから、米が届いた。少しづつだが、荷車に山のように積んだ米が、断続的に。
透明な綺麗な米で、全部がきちんと包まれており、誰もが喜んだ。
「姫様、いったい、どこから?誰が?何のために来てるんでしょうね?」
子鈴に代表されるように、王城内では理由が知らされておらず、誰もが疑問に思った。
(米が届いた、嬉しいわ。いったい誰かしら。本当に感謝したい)
米不足が解消されて、町には活気が戻った。煮炊きする小屋で、蘭の周辺でも人々が安心して暮らし始めた。国の社会福祉を施す王の娘として、蘭の仕事も存分に果たせた。
「わあ、姫様のおかげですね、さすが姫様だ。本当に、姫様のおかげだ」
「賢明で慈愛深い王女様。ありがとうございます」
「い、いえいえ、あの、うん、良かったわね・・・」
村人に感謝されても、蘭も分からなかった。
穀物を管理する卿や部署に聞いても、出所は誰も分からなかった。しかし、国王は知っているようだった。
「父上、なぜ、米が?まさか、隣国の王が?」
「お前も気づいたか。まあ、そろそろ、頃合いだから言おう。相手は我が国との国交を心良く思わぬ周辺国の手前、表だって友好的な態度を取らなかったが、こちらと誼を通じたいと思っている。それは、お前がいるからだ」
「え・・・?」
「気づかなかったか?相手はお前に嫁いで欲しいと言っている」
「私?他ではなく、私に?」
「何を言っている、お前もそのつもりで、先日、あちらの王城へ行ったのでないか?先日、お役目大事と駆けこんだお前を見て、王が旧交の思いを新たにしたそうだ。お前も賢明な王女と言われ、隣国の賢明で大人しい王のことは尊敬していたはず。良かったな」
「それは、我が国の友好として、ですか?」
「どっちもだろう。お前も悪くないのだろう。我が国ともそろそろ、通常で友好的な関係を結びたい。それはこちらの意思でもある」
なんなの、あの人、あの時、何のそぶりも見せなかった。
いやに弱気ね。前はもっと狂暴だったのに。
気に入ったのなら、あの後、手紙や贈り物でもしてくれたら分かったのに。なぜ、米なの?そんなの、分からない。私なのか、米のためなのか。
やがて、荷も届き始めた。綺麗な反物、家具などだ。
それからも、国への援助は途絶えなかった。
「ひ、姫様、大変です」
やがて、ある日。老爺から言われた。隣の国王が倒れた、と。
蘭は急いで、駆けつけた。
天蓋つきの豪華な寝台に、王は寝ていた。
「あなた、私のところへ援助するために働き過ぎて、倒れたんですって?」
蘭の声で目を開けた王は、驚いたが、すでに蘭が意味を知っていることに気づいて、恥ずかし気に頬を染めた。
あれから月日が経ち、この人は変わった。蘭も変わった。いかにお互い変わったか。その互いの違い、昔の違い。その差がおかしくて、蘭は内心、笑う。
「最初からそう言ってくれたら良かったのに。米を届けて、自分はぶっ倒れて。いろいろな贈り物を国に届けて、私には好意を示さず。父上ばっかり機嫌を取って、誰のことが気に言っているのかわかりゃしない」
「そういうわけでは・・・」
「あなた、前より大人しくなったわね。いぜんは強気だったのに。米を出すから、俺の嫁になれとでも言ってくれたら良かったのに、米だけ送ったりして。お互い、変わったわね」
言わずにおれない。何を考えているのだろう。もっと気持ちを表してくれたら良かった。それだけのものなのに。
王はぼそぼそと言い始める。
「国王とは孤独な生き物なのだ。決断も重い。多くの国民も守らねばならない。弱気にもなる。以前など、いつのことだ、私が強気だったのは、皇太子になるまで。兄の病をきっかけに、国を率い、多くの家臣を束ね、責任ある仕事を任されたnのだ。昔とはぜんぜん違う。そなただって、前とは違う、跳ねっかえりだった。今は賢明で慈愛ある王女だと、ぷっ」
思い出したのか、王はくくっと笑った。
「あー、やっぱり憶えてたんだ。それならそうと、言ってよ」
「あの時のそなたは強烈だったからな。忘れるわけがない」
蘭は赤面する。そう思って今まで、いったい私のことどう見てたのかしら。
「私だって、あの頃は気の向くまま、好き勝手生きてたの。でも、多くの問題があることが社会にあると分かってから、人のために尽くそうと心を入れ替えたの。だから、今では違う」
「そうなのか?」
まだ笑っている。それは確かに、人はそう簡単に子供の頃が抜けて行かない。だが、人は変わるもの。
それは王もそうだ。時々、ぎらっとあの時の陰険な睨みが出る。だが、今は責任ある仕事を任され、お互い成長したのだ。
「そう。昔の私とは、すっかり。だから、聞くけど、こうなったら、聞かせて、私を欲しいと言ったのは、国のため?」
「昔のそなたのことがあるからさ。あの頃から、私はそなたを欲しいと思っていた。うるさくて、傲慢で、偉そうなお前が、今のお前も悪くないが、昔の頃もきらめいていたからな」
それなら、もう十分。蘭はにんまりする。
「だとしたら、私、あなたのそばにいる。あなたが大人しく、黙っているのなら、国が路頭に迷うわ。現にあなた、今、倒れたじゃない。この私がそばにいて、支えるしかないわね。黙って米を送られたら、国庫も負担だし、嫁にしたい人だって困るのよ。真意が分からず」
蘭のぶっきらぼうの物言いに、王は言葉の真意を読み取った。おずおずと、蘭を見る。
「頼む」
蘭も決断する気も持って、ここに来ている。
この本当は強気なのに、弱気になった王を支えようと。
(了)