君に全てを捧げたい
こんなのってない。
セシリアは明りの漏れる部屋のドアを開けたが、そこにいたのはリカエルだ。
彼女は復讐の武器として握りしめていた裁ち鋏を今度は拠り所のようにして胸に押しつけ、自分を裏切った男へと一歩踏み出す。
リカエルはセシリアが室内に入った事をわかっていながら、セシリアに背を向けたまま座っている。
まるで、自分の背中にその裁ち鋏を突き刺せ、と言っているように。
「どうして邪魔をするの?五歳で餓死させられたあの子の苦しみがわかって?」
「邪魔などしていない。俺が役立たずだっただけだ。ドラゴネシアでも子供が殺されている。その親達の復讐を俺は止める術が無かった。いいや、見逃したんだ。俺は君を止めることはできないが、君を人殺しにはしたくなかった」
「自分は人殺しなのに?」
「あいつらは、生き埋め、だな。自分のやった事は己に返るんだよ」
セシリアの膝はビクッと震えた。
裁ちばさみを握る手は、さらに固く強ばる。
自分によって刺し殺される場合と、生き埋めにされる場合は、彼等はどちらが辛いだろうと彼女は思い、出てきた答えが、悔しい、だった。
セシリアは鋏で殺してやりたかった。
開いた刃を柔らかな腹に差し込んだ後に、刃を閉じて内蔵も肉も断ってやろうと考えていたのだ。
厚手の布を一気に裁つようにではなく、じわじわと、ゆっくりと、まるで初心者が生地を台無しにする鋏の使い方のようにして、刃を閉じてやろうと思っていた。
最大の痛みを奴らに与えてやりたかったのだ。
「お優しい事。私が人を殺せば同じように殺されるから止めたかった?お聞きなさいな、奴らが死んでも私の復讐心が消えはしないわ。消えるとしたら、私に刺されて、その死にゆく苦悶の表情を見せた時だわ」
「――じゃあ俺を刺せよ。それで感じろ。人の肉に食いこむナイフの感触。相手の命が自分の手の平にあるという感覚を。君は感じ、君で無くなればいい」
「自分が奴らの代りに死ぬと言うの?」
「俺は今のセシリアが好きだ。今のセシリアじゃ無くなったら俺が嫌だ。そして、君が殺戮者になりたいならば、その最初の生贄は俺がなりたい」
「――あなたは、変わってしまったの?」
「さあ、それは分からない。ただ、問題が出来たら、殺さない、という選択が一つも出てこない奴だという事は自分にはわかる。君には残っているだろ?殺さないって選択肢」
「あなたを刺したらそれが変わるというの?あなただって殺さない選択をいくつもしているじゃないの」
「――楽なんだよ。殺して消してしまう方が。面倒なのは死体の処理だ。俺が思いとどまるのはそれで、だよ。戦争もそうだろ?開戦までは簡単に引き起こせるが、その後の戦後処理が面倒だ。だらだらといつまでも続くんだ。人の悲しみは終わらないから」
セシリアはリカエルの背中を見つめる。
いつもはしゃいで人生を謳歌しようとしている彼だが、彼こそ常に悲しみを抱えている人だとしたら?と、その背中を見つめるうちに疑問が湧いた。
彼が女性に望むのは、美しさでも才能でもない、己の心を癒す相手だとしたら?
だから悲しみを知っている自分なのだとしたら、と。
「――私が不幸だったから、あなたの気持を受け取れると思った?」
「悪い。一目惚れ、だった」
「え?」
「俺は君に一目で恋に落ちて、イーナを匿って頑張る姿に魂を持っていかれ、才能溢れる君が誇りとなった。そして君の心の中の不幸を知って、俺の心を君に捧げたいと思った」
セシリアは鋏を落としそうになった。
彼はセシリアの外見を褒め、生き方に感嘆して見せて、そして、誇りとも言い出したのだ。それは単なる口説き文句だが、リカエルが彼に会うまでのセシリアが何をしていたのかなど全く気にしていないことを改めてセシリアに突きつけた。
「あなたの愛は届いているわ」
「愛はね。俺が言いたい心を差し出すって奴は、俺の心は空っぽだからさ、君の手に負えない悲しみを受け取れるよって話。君は俺に君の不幸に巻き込みたくないと言うけれどね、俺は巻きこまれる方が幸せなんだ。空っぽだから」
セシリアは白旗を上げるしかない。
何でも上げる、君を守る、そう囁いてくれた時よりもセシリアの胸を打った。
空っぽの彼を私が満たすのだ。
私でなければ彼を空虚から救えないのだ。
セシリアの手は開き、裁ち鋏が床に落ちて金属音を立てた。
リカエルはセシリアに振り返り、微笑んで、表情を強ばらせた。
「裁ち鋏かよ!!」
「――ナイフだと思ったから、簡単に刺せなんて言ったのかしら?」
落ちる沈黙。
セシリアはしゃがみこみ、リカエルを押し倒した。
「ごめ、ごめん!!だけど、き、君に試し切りされる覚悟はちゃんとあった」
仰向けになってしまったリカエルの腰の部分に座り、リカエルの動きを封じる。
そしてセシリアはリカエルの襟元からネクタイを引こうとして手を止める。
リカエルはにやっと笑って、自分の右手が掴んでいるモノを見せる。
「先走り過ぎたかな?紐を解くのは俺の仕事でさ、つい」
「いいえ。私は婿には働き者を募集しているからあなたの特技は歓迎よ。ボタン外しは得意かしら?私は後ろのボタンを外すのが苦手なの」
「俺は着せ付ける方が得意だけど頑張ってみるよ。その代わり、俺のシャツのボタンは君に頼む」
二人は同じように微笑み合い、全く同じタイミングで腕を伸ばして互いの体に腕を巻きつけると、そのまま唇を合わせた。
それだけは慎重に、しかし、ようやく手に入れた褒美のようにして。
お読みいただきありがとうございました。
ようやく、でした。
あとはエピローグにて終話となります。




