海の青とリカエル
セシリアの為にカラマフ男爵家の元へと向かったリカエル。
相手は爵位がありながらほとんど追剥の詐欺行為が出来る相手だ。同じ男爵だろうが薄汚れた格好のリカエルを労働者階級と見下げ、セシリアにしたような行為をするかもしれない。
セシリアはリカエルの身を案じて彼を追いかけるべきだった。
しなければいけないはずだが、セシリア自身は自分自身に迫る危機があった。
「イーナ。馬車を捕まえるわよ」
「普通に追いかけた方が早くないか?」
「伯爵家に帰るの。お金は戻れば払えるわ」
「リカはどうした?」
「私が往来の真ん中で大出血しそうなのよ」
「あ、ああ!!大変だ。だがお前には良い知らせだな。古い過去も全部流して、まっさらになって幸せになれって神さまの思し召しだ」
イーナがセシリアの事情にそこまで感づいていた事にセシリアは慄く。
「わた、私は神様を信じていないって言ったでしょう」
「だが私のことは信じるだろう?ならば神様の言う通りだ。私は生き神様だぞ」
イーナは神様とは思えない憎らしい笑みをセシリアに向けたが、セシリアはイーナのその笑顔にこそ晴れ晴れとした気持ちにさせられたと思った。
「あなたは勇ましい神様だったのね」
「愛は絶対に捨てられない欲だ。捨てたくなければ愛を貫き突き進めと背中を押すのが私の役目。全く、年端もいかない子供に負わせる教義じゃ無いよな」
「だからあなたはリカエルが大好きなのね」
「あいつは背中を押さずとも勝手に動くからな」
大人びた台詞を吐いたイーナはそのままセシリアの腕を掴んで引っ張る。
いつの間にか辻馬車が二人の横に止まっていた。
「まあ、いつの間に」
「さあ乗ろう。リカエルの戦勝話はきっと煩くてたまらんぞ」
「イーナったら」
セシリアが通常の月のモノの到来を無事に迎えられたのは、ドラゴネシア伯爵家に戻った数分後である。ただでさえ少ない下着の数をさらに減らすことにならなくて良かったと、身を整えられたセシリアは安堵ばかりだ。
そして、セシリアに悩み事が消えたならば、彼女のやることは一つ。
「さあ、奪われたもの以上のドレスを縫うわよ」
「そっちか」
イーナの呆れ声を受けながらセシリアは仕事部屋に入る。
気分を一新した彼女が最初に取り掛かるものは、もちろん新作ドレス用の布の切り出した。
彼女は真っ青な布地を手に取る。
そのコバルトブルーのシルクの布は、リカエルが用意してくれていた布の中で一番セシリアの目を惹き、自分こそがこの布で作ったドレスを身にまといたいと願ってしまったほどである。だから彼女は型紙も仕上げ、布地もいつでも裁てる状態にしておきながらも、次の工程に進めずにいたものだ。
ドレスに仕上がってしまえば、セシリアの商品となる。
出来上がりは最高な品になるだろうと確信しているからこそ、セシリアは自分以外の女性にそのドレスを手渡したくなかったのだ。
それなのに今日に限ってその布を裁ってしまおうと思ってしまったのは、望まない妊娠の憂いが無くなったからこそである。
否、イーナの言葉が彼女を後押ししたのだ。
「古い過去が流れてまっさらになった私ならば、私が請うんじゃない。私が私のドレスを着れるに値する相手か選ぶのよ。私が作る最高のドレスは、私がこれと思った人にしか渡さないわ」
「その意気だ。お主がやる気になって嬉しいぞよ」
「あなたもやる気になってね。ヴァネッサ様の注文ドレスに薔薇の刺繍をお願い」
「あの者は花で飾るよりも葉の連続模様の刺繍の方が良いと思うが、客の注文だし仕方が無いな」
イーナの台詞にセシリアはヴェネッサを思い返す。
レティシアの兄嫁、レンフォードの妻ヴェネッサは楚々とした振る舞いの静かな人であるのだが、顔立ちがとても華やかな人であるのだ。
「ストップ。やっぱりレティシアのドレスの本縫いを頼むわ。いえ、やっぱりあなたが思う葉っぱの連続模様と本来のバラ模様の見本を作ってくれる?ヴェネッサ様のドレスの胸元を飾る刺繍は蔦薔薇ではくどいような気がして来たわ。本人にもう一度確認してもらいましょう」
「あの顔はすでに咲き誇るバラだものな」
「店を出したらあなたが接客して。私はそんな甘い口説き言葉なんてさっと出てこないもの」
「情けないな。このぐらいリカエルに散々言われているというのに」
セシリアは自分の顔が真っ赤になっただろうと思った。
彼女に腕を回して耳元に何かを囁こうとするリカエルの姿が、イーナの言葉によって脳裏にぱっと浮かんだのだ。
「い、いいから、仕事するわよ!!今日の損失分を取り戻さないと!!」
その一時間後、セシリアが布の裁断をし終えた頃を見計らったようにして、仕事部屋のドアにノックの音が鳴った。
セシリアは勢いよくドアへと首を回し、瞬時に起きた笑い声に我に返る。
笑顔のイーナは、早くドアを開けてやれと、セシリアに向けて顎をしゃくる。
セシリアはイーナの生意気な仕草に鼻に皺を寄せて睨んで見せたが、結局はドアへと向かってしまった。
結果を聞きたいだけよ。
ガチャ。
石鹸の香りはリカエルが洗い立てだからだ。
セシリアを見つめるエメラルドグリーンの瞳は、部屋を台無しにする悪戯をやり切った犬みたいな無邪気さで煌いている。額に落ちかかる焦げ茶色髪も瞳を彩る長い睫毛も水滴を滴らせ、ぽたぽたと頬や彼の胸元へと落ちていく。
セシリアがキスしたいと思ったその場所へと!!
バタン。
「どうしてまた閉めた?結果は聞かねばわからぬだろ?」
「あなただって閉めたくなるわよ」
セシリアが再びドアを開けると、イーナは女の子らしくない声を上げた。
戸口に姿を現わせたリカエルは、裸にバスローブを羽織っただけの姿なのだ。
「セシリア。閉めて構わんぞ。鳩尾を殴ってやっても良い」
「酷いなあ。イーナちゃんは。俺は君達に一分一秒でも早く朗報を伝えたいって思ってのこの行動なのに」
シャワーを浴び立てらしいリカエルは、セシリアがドアを閉める前に部屋へとずかずか入って来ると、セシリア達の許可も無く勝手に仕事椅子に腰かける。
「いやだ。私が座れなくなるじゃない」
「俺の膝にどうぞ」
「誰が!!それよりも、ずぶ濡れのままだと風邪をひくでしょう?」
セシリアは作業机にあった適当な布を掴むと、それをリカエルの頭に被せて彼の髪の毛の水滴を拭い始める。
それがたった今切り出したばかりの袖となるパーツだったと気が付いたのは、海の色した布地が焦げ茶色のリカエルの髪色に良く似合い、嬉しそうにセシリアを見つめるリカエルのエメラルドグリーンの瞳に良く映えていたからだ。
あら、リカエルはコバルトブルーが良く似合うのね。
で、このコバルトブルーの布地はなんだったかしら?
「しまったあああああ!!」
「アハハハ!!俺を置いてきぼりにしてまで切り出していた大事な布なのに、俺を可愛がるために台無しにするとは!!」




