俺達は大人でありますからして
リカエルは馬車の下段の貨物室の床に転がりながら、どうしてこんな目に遭っているのだろうと、自分を床に押し付けている人物を横目見た。
見るんじゃ無かったと彼は見たモノから目を反らしたが、彼を横倒しにした人物はそんなことは許さないようだ。
乱暴にリカエルを引っ張って自分へと彼の体の向きを変えると、神様を見つけた様な目でリカエルをしっかりと見据えたのだ。
リカエルは分かっていたが、わかっていたからこそ不貞腐れた。
彼がセシリアから欲しいのは賞賛からの褒美ではなく、リカエルが大したことが無い男と知っていてもリカエルが欲しい、そんな気持ちだ。
彼自身セシリアからの信頼や賞賛を得るためにマダムデボンヌの店へと往復したはずなので、今の自分の思考が全く分からないが、とりあえず、今のリカエルは違う、という感じだ。
ドラゴネシアの馬車ネタについても、彼の父から女を落とせるネタだと聞いていた通りだと、セシリアが感動したそこでうんざりしたのだ。
ここで注意だが、とリカエルは自分に訂正を入れた。
自分はセシリアにうんざりしたのではない。
ネタにうんざりしたのでもない、ドラゴネシア馬車ネタは自分自身大好きだ。
「俺はどうしたんだろうなあ。どこで間違ったんだか」
「間違ってなんかいないわ!!一つも間違いなんてない。それどころか、諦めた型紙とそのドレスに使える布まで持って来てくれたのね。どうして型紙まであなたはわかったの?」
「デザイン画と同じ癖がある。俺は筆跡やメモを解読するのが得意なんだよ」
「すごいわ。あなたって凄いのね!!」
凄い?
セシリアの褒め言葉に、自分が守るはずの主君で尊敬する従兄、ダーレンが自分を庇って頭から血を吹き出しながら倒れた記憶が蘇った。
次に記憶から呼び起こされたのは、見知った男達が骸となった姿だ。
ジサイエルの動きを掴むためには間諜だって仕込んでいる。
彼等はドラゴネシアの特徴など無いが、ドラゴネシアの兄弟だった。
「凄くないよ。殺されて戻って来た捕虜の遺体についていたメモを読み、それを書いた奴は誰かと探して、ああ、探して血祭りにあげるのは俺の仕事だ。あるいは、助けて欲しいって、部下が連れ去られながら残した後を追ってさ、ハハハ、俺は全部見つけて来たよ。全部死んじまってたけどな!!」
リカエルはごろっと転がってセシリアの視界から逃げた。
けれど彼の視界には木馬がいた。
クラヴィスの木馬でドラゴネシアの木馬ではないが、木馬である。
ドラゴネシアで木馬と言えば、目の前にあるような子供が遊ぶ玩具ではない。
死んだ奴へ死出の旅路の乗り物として棺に入れる、木彫りの馬のことなのだ。
リカエルは何人の棺にその馬を入れてやっただろう。
「亡くなられた方々は、ジサイエルに?」
「さあ?何の役にも立たなかったんだから、無かったことなんだよ」
リカエルの肩をセシリアの手が掴む。
その次はリカエルには何が起きるかはわかっていた。
セシリアはリカエルを慰めようと動くはずで、リカエルは慰めて貰おうと力を完全に抜いてセシリアの好きにさせる。
そしてセシリアは、リカエルが考えたように、彼をそっと仰向けに転がした。
パシン!!
「痛い!!」
リカエルは自分の額に手を当てて、自分を慰めずに叩いた女性を睨む。
しかし彼はセシリアの表情を見た事で、セシリアの身の上話を思い出し、彼こそ両腕を伸ばしてセシリアを自分へと引き寄せた。
「悪かった。君が何の役にも立って無いなんてことはない。イーナを守ってたし、あの性悪がダーレンを誑かせたのは君のお陰だ。それから、90、63、88だ。俺の大事な妹分にもドレスを頼む。俺はがっかりしたんだ。今の流行が腐った沼の臭さを誰が一番我慢できるでしょう大会になっていた事にさ」
「何それ?」
「ええ?おかしいと思わないって君はセンスあるの?って、痛い」
「デザイナーのセンスを侮辱すれば叩かれるの。それで、腐った沼って何?」
「女達はピンクだらけでパーティ会場は腐った水が氾濫してるみたいだ。でもって、香水で行水してきたみたいに臭い奴が、俺に向けて扇をパタパタするんだよ?そいつの体臭と香水が混ざった生暖かい悪臭を俺が嗅ぐことになるわけ。我慢大会だろ?いつから王宮のパーティがあんな腐った沼になったんだ」
「ぷ。きれいな男の人って、普通の男の人よりも大変な時があるのね」
「笑うなよ」
「だって。ふふ、怒らないで。お詫びに教えてあげる。腐った沼になったのは二年前から。国一番の人気騎士が特別に優しくした相手がピンクドレスを着ていた方で、同僚の騎士に「彼女は春の香りがする」と語ったからだそうよ。それ以降、世界はピンクのゴテゴテドレスが大流行りなの。あと、甘い春を予感させる香水ね」
「くっそ。ギランめ。あいつは余計なことしかしないな。あいつのせいで俺の大事な妹分は似合わないドレスを着なきゃいけない囚人になったのか!!」
「その妹分ってあなたの恋人?」
「妹分は妹分だ。そういう関係なんざ考えちゃいけない存在だ」
「でも、サイズまでわかっているなんて」
「俺は見りゃわかるんだ。君は87に6って、痛い」
セシリアはリカエルの額を叩き、リカエルの腕から逃れようと動く。
リカエルはセシリアを引っ張って抱き寄せ、出来る限り甘い声でセシリアの耳に囁いた。
「俺の目には魔法のメジャー機能があるんだよ」
「嘘ばっかり。離して!!」
「ほんとだって。数学ってな、砲弾をどこまで飛ばせるかを机上で計算して発達したもんだぞ。あとさ、敵の体格から体重を割り出せばな、自ずと戦い方が編み出せる、だろ?」
「あなたは戦争ばかりなのね」
「ドラゴネシアはそんなもんだ。引退したあとガキに戻って息子に面倒かける爺ばかりなんだ。奴らをぶち殺したいと息子は精進するのさ」
「大変なのね」
「大変なんだ。だから、労わりが欲しい」
リカエルの腕の中でセシリアが、お疲れ様、とかすれ声で囁いた。
なんていい声してやがる、とリカエルは感じいってしまった。
だから彼は次にはセシリアと口づけあっていても、それは何の間違いも無い事だと確信ばかりだった。
彼女だって俺を誘惑している。
自分の手の平が触れたセシリアの胸の大きさが、自分の見立て通りだったことと同じぐらい確かなことだった。
彼がセシリアに他の女と違って欲しいと望むのは、彼が彼女に恋をしてしまったからなのだ。
リカエルは柔らかな彼女の肉体を抱き、彼こそ彼女に抱かれながら、彼女も自分と同じ気持ちであるはずだと信じていた




