血の洗礼にも身を捧げる沈黙社会の愚
ネットで見付けた人気店を予約したからと、タクシーを捕まえ郊外の丘上へと走らせる彼、閑静な住宅街に店を見つけ駐めさせた。
店名も無い真っ赤な暖簾をくぐると、敢えてレトロな小料理屋風で、コの字に囲むカウンターの中で妙に若い三十代位の大将が十人程の客を相手に店を切り盛りしている。
「あの、予約した……」
「コチラの席へお願いします」
右奥の席に座るとスグお手拭きとあがりが出されたが、【撮影禁止】の札だけでメニューは無く、周りの食べる咀嚼音が聴こえる無音の間。
いや、BGMも無い中での黙食状態に気不味さしかない……
彼も予想外だったのか、この沈黙に引いている。
私がメニューが無い事にジェスチャーしたのを、横目に見ていたのか大将が私を説く。
「ウチの店はトンカツ一本なんで、今お出ししますからお待ち下さい」
まるで常連と一見さんを区別するかの言い回しに、職人気質に味への自信を覗かせる。
隣の客は食べ終える手前で赤飯をかき込み、好きな物が先なのかトンカツの姿は皿に無い。
これから出されるトンカツの概要すら判らないままに待たされる不安、彼も沈黙の部屋に声を出せず、テーブルの下でゴメンの手。
もう! と、怒る間も無くカウンターに皿が二つ置かれ、続いてワカメが浮く濃い色の味噌汁とご飯。
「はい、では最初に一番左の肉を何も浸けず一口齧ってみて下さい。その残りには塩をかけて、次からはウチの特製ソースをかけてお召し上がり下さい」
皿に盛られたトンカツを見て、私は硬直していた。
・・・生焼け。
明らかに豚肉であるにも関わらず、ミディアムレア処か完全なるレア状態。
牛肉なら豚カツとは言わず、カツレツと言う筈。
そお、ビーフカツレツならレアでも理解出来る。
けど、目の前のレアは豚肉だ!
大将は私が最初の一口を齧るのを見届けようと、コチラを凝視し待っている……
カルト教団への入信儀式かとさえ思える、踏み絵の如き審判の儀。
気付けばそれまで下を向いていた周りの客も、口元に血をつけ私達を凝視していた。
沈黙の同調圧力と審判の目。
彼も隣で逃げ道を探しているのか、箸を持たずあがりを飲んでいる。
いや、私も食べずにあがりたい!
何だこの店!
ネットの評価なんて信じるな!
店の評価はトンカツではなく、この大将を教祖として崇め信じて入れたものでは?
周りの客がカルト信者に思えて来ると、狂気で生肉に喰らいつく想像からか、食べると洗脳される薬が入っているようにも……
「貴女から見て左ね」
左右が判らず戸惑っているんじゃない!
彼は沈黙の圧に負けたのか箸を持ち、毒見で私より先に洗脳されようかとしていた。
私は気弱な彼の筋肉を信じて打って出る事にした。
「あの、私生肉が食べられないので火を通してもらえませんか?」
大将の目尻がひくついた。
殺される?
まさかコレ! 殺された人の肉?
私も皿の上に盛られて……
ヤメて!
皿として女体盛りで熱々の揚げ物も受け入れてみせるから!
「ウチはさあ・・・ちっ、もういいや、だけどコレ、揚げ直すと味変わっちゃうから、それをネットで美味しく無かったとか書かれても困るからさ。コレは貴女のお願いで揚げ直すんだからな! そこん所間違えないでくれよ!」
そう言って私の皿を持ち上げると、彼も慌てて「あの、コレもお願いします」と、まるで私の為に合わせるかのように言って差し出し便乗した。
このっ!
とは思うも、私も彼の筋肉を信じて言えた台詞に我慢する。
ふと感じる私達への鋭い視線、周りの客が皆驚愕の顔を向けて来た!
信者に襲われる!
と、一瞬思うも……
皆諦めに潤む目を見せ、持ち上げる度に滴り落ちる血を振り落とし、溢れ出る悔し涙と共に口へと運ぶ。
――PITIPIKIPITIPIKI――
「いいかい、コレはウチの味じゃないからな!」
それで良い!
いや、それが良いの!
私達は中までしっかりと火が入り、二度揚げでカリカリになった衣の“店の味ではない”とんかつを、齧る度にサクサクと音を鳴らして食べ進める。
そお、沈黙に不思議だったのはトンカツを食べているのに聴こえなかったこの肉汁迸るサクサク音。
――SAKUJUWAAAA――
カルト大将の血の洗礼を受け入れた信者達は、生け贄の肉を噛み締めては滴る血を口元につけ、沈黙の同調圧力に敗北した己の愚をも飲み込むように食べている。
「ごちそうさまでした」
網の下に血の付いたキャベツを残し、お勘定を求めた私達に向けられるピリピリとした空気感。
「次は無いからな」
二度揚げの事だろうけど、言い方!
お釣りを受け取り外へ出た途端、開放感からか自然と出るため息。
とても食事をした直後とは思えない感覚が二人を包む。
「すみません! 食コロで五つ★、凄い美味い美味い書かれてたもので……」
ネット社会の闇とその真実を垣間見た気がした私は彼に告げた。
「人気じゃなくていいの、貴方が美味しいと思った店に連れてって」
あれから半年、未だあの店の評価は高いまま信者を増やし続けている。