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その日はメイドに自室を案内され、残りの書類を書き終えた。疲れて伸びをすると、扉をノックする音が耳に入った。
「セレナ嬢はいるかい?」
「ええ、どうぞ」
伯爵とメイドが部屋に入る。メイドがお茶と菓子を机の上に置き、そそくさと退出する。二人きりになったセレナは気になっていたことを聞いた。
「随分手際がいいですね」
「もちろん。絶対に承諾させるつもりだったし、拒絶されたら団長と交渉してアレコレしようと思ってたよ」
「つかぬ事をお聞きしますが、私は本当に伯爵様の姪なのでしょうか?」
「当然。さっきも言ったけど魔法持ちで赤髪碧眼と来て、五歳に売られてきたなんて聞いたら確信する他ないでしょう? それにほら、姉に似ているじゃないか」
そう言って棚から写真立てを取り出す。その写真には赤髪碧眼の女性が写っていた。女性の顔はセレナと目元や鼻筋が似ていた。
「これで信じて貰えたかな? それで、レオン様との縁談の話だね」
縁談と聞いてピクっと顔を上げる。
「明日、私の父にお目通しした後に侯爵家の方に連絡するよ。私はもう結婚する気がないし、養子もめんどくさいから正直ありがたい話なんだよね」
「それはよかったです。ところでレオン様はメレタニア侯爵の三男でしたよね。なぜここに居たのですか?」
「はっきり言おう。餌にした」
てへっと舌を出し、謝るように手を合わせた。
「まぁ食いついちゃったもんは仕方ないよね! とにかくレオン様のことは私に任せといて。これからセレナ嬢には覚えてもらわないといけないことが山積みだから。おーい、ジェラード」
ジェラードと呼ばれた燕尾服の男が部屋に入る。外見は五十代後半で真面目そうな印象を受けた。
「お呼びでしょうか、伯爵様」
「あぁ、セレナ嬢に貴族のマナーや言葉遣いを教えてくれ。そうだね、期間は二週間。ちょうど学園の入学式に間に合うようにだ」
「かしこまりました。セレナ様、僭越ながら私が二週間、徹底的に鍛えさせて頂きます」
ジェラードの目がキラリと光った。まるで極上の原石を見つけたかのように。
「ごきげんよう、アイゼン様。わたくし、セレナと申します。エスカドーラ伯爵家へただ今戻りました」
セレナは一晩かけて教えられたお嬢様言葉を喋る。その相手は伯爵の父、アイゼン・エスカドーラであった。アイゼンは髭を人撫でし、審査するようにセレナを見た。
「ふむ、君がセイナ、いや今はセレナか。既に覚えていないだろうが私は君の祖父だ。これからよろしく頼むよ」
アイゼンは満足したように目を細める。
「ええよろしくお願い致しますわ。お祖父様とお呼びしてもよろしくて?」
「いいぞ、もちろん許可しよう」
「ありがとうございます、お祖父様」
伯爵の入れ知恵によりお目通しは無事に成功した。
「いやー、よく喋れたね。私はまだ緊張するよ」
部屋から出た伯爵は大きく息を吐いた。そして執務室に入り、紙と筆を取りだした。
「そろそろ来る頃合いだよ」
部屋の扉がノックされ、レオンが入ってきた。そしてセレナが居ることを認識した瞬間、出ていこうとした。もちろんそれを許すはずもなく、セレナは扉の前に立った。
「レオン様! お待ちしておりました!」
「おい伯爵。なんの冗談だ? 俺はこの女を何とかしろと言ったはずだろう」
「あぁ、その事なんだがね。二人には結婚してもらうことにするよ」
「は?」
レオンは伯爵とセレナを交互に見て眉間を押さえた。
「侯爵当主にもこれから伝えるよ」
「なら親父がダメと言う可能性も」
「悪いが彼からは君を養子にするか、養子を作って婿入りさせてやるかどっちか選択しろ、と言われてね」
「神は我を見捨てた」
その言葉を聞いてレオンは天を仰いだ。
「私に至らない点があれば直すわ!」
「直さなくていい。どうせ形だけの結婚だ」
「私は本気よ!」
「俺はお前のことをよく知らん。顔は良いとは思うが、中身を知らずに好きと言えるわけがないだろう!?」
「私は一目惚れしたんです!」
「セレナ嬢、言葉遣い」
伯爵に指摘され、こほんと咳払いしたセレナはキッと顔を上げレオンを見つめた。
「絶対にわたくしの事を好きになってもらいますわよ!」
「絶対にならん。俺は女が嫌いだ」
そう言ってレオンは窓を開け、執務室から逃げた。あぁ、と漏らすセレナに伯爵は声をかける。
「大丈夫、レオン様はちょっと訳があって女の子に免疫がないんだ。二人は婚約者になるんだからこれからいくらでも話せるさ」
「そう……ですよね」
「そうに決まってる! さ、ジェラードに振る舞いを習ってきなさい。もうセレナ嬢はセレナじゃなく、セレナ・エスカドーラ伯爵令嬢なんだから」
暗雲漂う婚約を前にセレナは気を引き締め、歩き出した。