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「……は?」
セレナは突然告げられた言葉の内容に目を丸くする。
「うっすら気がついていただろう? なぜ傭兵が魔法を使えるのか」
「えぇ、まぁ可能性としては」
「実は私の姪は五歳の時に行方不明になったのだ。その時の姉の様子は今思い出しても心が痛むよ」
伯爵は水をひと口飲み、言葉を続ける。
「その子は赤髪碧眼。君は赤髪碧眼。そして我が家に伝わる魔法は炎を出現させる能力。役満ではないか?」
そう言って伯爵は手を軽く振った。手の軌跡に合わせて炎が燃え上がり、熱風がセレナの頬を撫でる。
「大丈夫、もう傭兵として戦争に参加しなくていい。私が全身全霊を持ってセレナ嬢を守ろう。今は亡き姉との約束を果たす時が来たのだ」
伯爵はセレナの手を取り、にこりと笑う。しかし、次にセレナが言った言葉は伯爵の予想を大きく外れていた。
「お断り致します。私は私より弱い人間に守られたくはありません。それに今の生活に満足しているので」
そう言ってにこりと笑い返す。そして固まったままの伯爵を放置して控え室を出ようとした。
「伯爵。この決済書の品目欄間違ってないか? 修正するからハンコを寄越せ」
扉が勢いよく開き、黒髪の男が飛び込んでくる。
「レオン様! そのような連絡事項は召使いにやらせれば宜しいのですよ!」
「俺が動いた方が早い。それにこれが間違っていたら残りの計算全部狂うことになりそうだ。早くハンコを……」
レオンと呼ばれた男はようやくセレナに気が付き、フリーズする。
「おい伯爵、この女は誰だ?」
「セレナ嬢にございます」
セレナは一歩踏み出して、レオンを真っ直ぐ見つめた。
「レオン様というのですね。お初お目にかかります。結婚してください」
「……は?」
唐突すぎる告白にレオンは固まった。その様子を見たセレナは更に一歩、レオンに近づき頭を垂れた。
「私はレオン様に一目惚れしました。私はあなたの剣となり盾となり、命を懸けてお守り致します」
その姿を見てようやく頭が回り出したレオンはひとつため息を吐いた。
「すまない、断る」
「聞こえないわ」
セレナは取り繕うことも忘れ、さらに一歩レオンに近づく。その反面、レオンは一歩下がった。
「この感情が恋なのね」
「おい伯爵、この女をなんとかしろよ。いいな」
レオンは扉を開け、風のように走り去った。ヒールを履いていたセレナは追いかけようにも追いかけられなかった。
「伯爵様、今の方は?」
肉食獣のような顔で伯爵を見つめる。
「あ、えー、メレタニア侯爵家三男のレオン様でございます。今年で十六になります」
「ありがとうございます。では今からメレタニア侯爵様とお話をしてきますわ」
出ていこうとするセレナを見た伯爵は大慌てで引き止めた。
「落ち着きなさい。侯爵様は今王都です。行ったところで門前払いされるのがオチですよ」
「大丈夫、武力行使で会えるわ」
筋肉を見せつけ、アピールする。セレナの熱量と反対に伯爵の顔は青ざめた。セレナがやろうと思えば本当にやれてしまうかもしれないと思い出し、代案を必死で考えた。そしてひとつの妙案が頭に浮かんだ。
「私の一族であることを正式に認められれば、セレナ嬢には伯爵家令嬢という肩書きが認められる。辺境伯と侯爵の結婚なら何とか私の方でやれる。どうかな?」
「最高ですね」
「よし! 合意だ! 書類は既に用意してあるから記入しといてね! 私は残りの二人に説明してくるから」
伯爵はセレナの前に紙束を置き、部屋を出る。セレナが書いているとアイリが部屋に飛び込んできた。
「ちょっとちょっと! なにしてんのよ!」
「アイリ!」
「傭兵団抜けるつもり!? どうして貴族なんかになっちゃったのよ!」
「抜けるつもりは無いわ。落ち着いて、アイリ。私は今日、恋を知ったの」
「……は?」
アイリが口をあんぐりと開けていると、ジェイも部屋の中に入ってきた。
「ジェイ! アイリを止めて!」
「すまん。実は礼状届いた日に娘ってことは知らされてた。止めようとしたけど貴族ってほら怖いじゃん」
「ジェイの意気地無し!」
「正直拒否るって思ってたし……。それにしてもマジで貴族になるのか?」
「ええ。でも戦場に来てくれって言われたら行くわよ。仲間を見捨てるわけないじゃない」
「本音は?」
「強い人と戦いたいから」
恋を知っても戦闘狂には変わりなかった。ジェイは少し悩んだ挙句、懐から一枚の紙を取りだした。
「これは退団に必要な書類だ」
「ジェイ!? セレナを抜けさせるつもり!?」
アイリは悲痛な叫びを上げるが、ジェイは首を振った。
「貴族になるってことはどちらかの陣営に肩入れすることになる。もし伯爵家と対峙した時、セレナは敵として切れるか? 傭兵ってのは金で忠誠を買えるが、金以外で買われる傭兵はいねぇんだよ。残念ながらセレナは恋しちまったんだろ?」
「……はい」
「なら抜けてもらう。脱退した後は俺やアイリはもちろん、アイツらと話すのは基本禁止だ」
「ジェイ! あんまりでしょ!?」
「規則は規則だ。悪いがこればっかりは変える気はねぇ。セレナ、ここにサインしろ」
ジェイが指さした場所に自分の名前を書き込む。そして紙をジェイに渡すと水滴がポタポタ垂れていることに気がついた。
「ジェイ……」
「別に悲しくはねぇよ。巣立ちだ。独り立ちの時期が来ただけだ」
無理矢理口角を上げ、笑顔を作るジェイにセレナは申し訳ない気持ちになった。
「セレナ……」
「ごめんね、アイリ」
「ううん、謝ることは無いよ。あたしだってセレナには幸せになって欲しいからね」
ジェイとアイリは部屋を出る。その後ろ姿に向けてセレナはお辞儀した。
「十年間、ありがとうございました!」
「おう、元気でな」
「辛くなったらこっそり会いに来てもいいんだからね! 私は規則なんてどうでもいいから!」
セレナはこの恋を絶対に成就させなければならないと心に誓った。