第3話
体が冷たさを実感し始めた頃、ずっと抜けていた力がようやく戻り始めて体を動かそうとすると、お尻が痛いせいで子鹿が立つかのように体のバランスを何とか取りながら立ち上がって、さっきのと同じくらい凸凹した壁に手を付きながら肩でする息を整えて、視界全体にまつ毛がかかっているかのような範囲から周囲へと視界を広げて行くと、準備してたはずなのに元に戻りそうになって行く。
視界の制御に悪戦苦闘を繰り返していく間に息を強く吐いてから顔を真正面の方に戻すと、もはや未開の地の洞窟、ないしはテレビの中で起こってるテロの現状みたいな壁をくりぬいたような穴が目の前にあった。後ろに下がった私の足によって小石がそっちの方に向かって転がって行くと、すぐに視界からはいなくなるけど何度も跳ねる音が闇の中で反響して聞こえて来てた。
それが聞こえなくなるまでしばらくの時間、二十分はかかってると思ったが、スマホを確認したらロック画面の分針は全く動いていない。そしてそのまま何度か滑るせいで失敗しながらも指を動かしながらロックを解除すると同時にそこから灯りを付けてみたが、玄関の方にも砂場のように瓦礫がたくさん転がってた。それに光を当てただけにも関わらず、じっと見ているだけで砂が転がっている。そして、それはスマホで私の顔の半分を隠すように持っても全く変わらない。
中でまだエアコンが動いているかのような室外機や内機の音を聞きながら、玄関の前にあるドア枠の所で靴を脱いで、そこに散らかった山を乗り越える。それによって、私のスマホで部屋の中が白くて丸い灯りに照らされるが、細かく凸凹した壁紙に寄り掛かった場所から周囲を見渡しても、ただ月夜に照らされた部分よりも影になっている部分の方が多いリビングの以外は私の息すら跳ね返ってこなかった。
「みっ、みんな……!」
腰を曲げて、足元の残り僅かな廊下を滑るようにしながら、体の勢いと連動させつつ呼吸と一緒に言葉を吐き出す。目標の距離へ手を進めてから一歩片足を動かすと共に、もう片方をそれと同じ距離の場所にまで移動させて、それが済んだことが確認出来たらまた手を。それを二回繰り返してから、何度も息を繰り返す。
「るっ、な……!」
「杏!」
滑りそうになる足を逆に利用しながら手を何度も前へと行かせるように回転させて、リビングとの境界線を抜けると、前を向いてた視界の隅に合った、踏み越えられるほどの障害物に足を止める。
狭い部屋にいつの間にか現れた沢山の物。冷蔵庫の前には冷凍食品やアイスが、机の周りには無数の紙、タンスの横には小銭や紙幣が打ち捨てられている。その一方でゴミ箱も倒れて、中身が散らかっていた。それの先を追って隣の儀式にも使った部屋との境目にも壁が破壊されて大きな穴が出来上がっていた。そっちへ向かおうと足を動かしそうとした瞬間、それがクッションのような綿に触れて一度そっちに灯りを移すも、すぐに元の角度に戻して周囲へスマホのライトをかざしながら視線を何度も動かす。
「杏! どこだ! みんな!」
「こっち! こっちにいる!」
「メアリー!」
さっきソファーでスマホをいじってた姿を再生させるように頭を動かすけど、想像してた左後ろではなく、夜の光を一身に吸い込んだ綿の道の先になった左前の方で私の本名を呼ぶ声がする。私の方に背もたれと尻を向けたソファの下から聞こえて来る声を頼りに両手を振って走ると、切れ目から溢れてる綿の下敷きになったメアリーの手と顔が見えた。
「だっ!」
「早く、助けっ……!」
一本だけ出た手をこっちの方に伸ばしながらも手の平と指の腹を何度も弧を描くように移動させて、息の動きと連動するようにどんどんリズムが早くなっていく。地面を激しく這いずり回るようなその動きに喉が肩を押すように一歩下がりそうになるが、もう一度腕の向こう側から聞こえたメアリーの声に突き動かされてすぐにそれを掴み自分の足を伸ばす力も利用して引っ張り出そうとしたが、痛いと大声で反応されて目元にしわを最大限に寄せるだけだった。それを見て、ソファの方を動かそうとするが、そっちもそっちでこっちまでもが目を瞑りそうになるほどの大きな金属の音がしてすぐに手を放すと、それと同時にメアリーが上げた大声。私の手もそれに驚いたのか、手が後ろに引っ張られてしまった。
「何だこれは!」
「わかんない! さっきの青いヤツが私に何かしたの!」
「何かって何だ! 黒魔術か⁉」
「真面目にやってよ!」
私の言葉が終わる前に言い返されたその大声に、辺りを何度も見渡す。首の動きに従うように下の方を見ると、私の学生服とパーカーに囲われた全身が入ってきた。そこに向かって何度も息が吸ったり吐いたりしながら目を閉じてみるけど、胸に手を当てて無理やり体の動きをゆっくりにするだけ。何とかそれをこなしてから体を回転させるように周囲をもう一回見るが、ひっくり返ってほとんど床を照らすだけになってたスマホ以外に目新しい物がない。
そう思った瞬間だった。さっき私たちが儀式に使ってた部屋へ向かう穴からこぼれ出る真っ赤な光に気づいたのは。
「あれは……」
「ちょっと! 待ってよ!」
「いやだから! あの光は!」
「いい加減にしてよ! 私の命は⁉」
カーテンの向こうからやって来る月の光の中で床を何度も叩き続けているメアリーの手。その指が上に上がるたびに、さっき私がソファを持ち上げようとした時のと同じような物になっていた。それが響き渡る音のせいでどうにも我慢できずに両方の手で頭を抑え込もうとするけど、ただ硬い頭に触れるだけだった。
「あの、流那……」
「あっ、杏!」
「ごめっ、流那じゃなかったよね」
立ったまま脇を締めて、胸の前で指同士を何度も絡めるように動かしながら、上半身にだけそれを押し込むようにしていた杏。その姿をみて、こっちの手が振り子のように一気に前に出そうになるが、その声への返事を聞いて指がお互いの間にある物を掴もうとして、ただ空気だけを掴んだ。
「いや、いい、それよりも……!」
「そうだよね、めっ、メアリーを何とかしないと……!」
正面に伸ばした手の爪までもそっちの方にまで向けながら後ろに足を数歩動かすと同時に、杏は私の手を横切って全く違う方向に歩き出しててソファを掴むと、その目は大きく見開かれていた。それから一緒に力を込めた自分の足元に違和感を感じてそっちの方を見ると、机の上から散らかってた紙の上に靴下がいて、それが擦れると、様子がよく見えない穴の向こう側から溢れている赤い光に触れそうになっている。
「流那? どうしたの?」
「やつらは、私たちには得体も知れない力を持ってるんだ」
手を握りしめると、一応骨の硬い感覚もあるがそれ以上に指に付いた肉が衝撃を吸収していく感覚の方が上。しかしその一方で、地面に向かって下ろした手には盛り上がった腰骨がぶつかって来て、無意識下で動き続けている呼吸に合わせてそこが上下に擦られ続けていた。
「じゃあ、なおさら私たちで力を合わせないと!」
杏が抑揚を大きくした声で言葉を放しながら、短くそろえた髪の毛の先を少しだけ揺らしている。そのリズミカルに何度も動く体を斜め上から降り注いでる月明りが照らしていた。話が終わるとすぐに私の方へと近づいて来て、その手の平がこっちの方に向けて差し出してきた。それを見下ろすように眺めていると、フローリングの中の一枚板に挟まれているように見えるし、それの持ち主も三方向がその奥にある窓ガラスの枠にハマっている。
しかも、何回も高い物から低いものまでの様々な音として、言葉にならない言葉たちが私たちの方にも聞こえて来てて、それは時間が経てば経つほどにどんどん大きくなっていった。
「流那!」
「悪いが、私は行かせてもらうからな」
振り返って穴の方へと目を凝らすと、そっちの方に取り付けられたエアコンがまだ動いている音がまっすぐな棒のように聞こえて来ている以外には何も聞こえてこない。儀式の時に閉めたカーテンがそのままなせいで出来た暗がりの中にあるタンスや押し入れ、そして玄関よりも多い細かい瓦礫たち。それらが真っ赤な光に照らされてるのを見ていると、自然とフードを被ってた。
「ずっと、待ってたんだ」
一度空気を飲み込むようにしてから、数歩歩いて、膝を持ち上げて穴を乗り越える。その中に入った瞬間、急に下がった気温に体を抱きかかえ、それによって一旦瞑ってた目を慎重に持ち上げながら部屋全体の様子を確認すると、燃え盛るような勢いで輝いているそれは、思った通りで私たちが作っておいた円陣から放たれていた。と思ったが、その正体は床にいつの間にか描かれたただの円から溢れているだけ。
円から真上に向けて伸びている光は勢いが不安定であるかのように私の頭ほどの高さまで伸びたかと思いきや、すぐに膝の方にまで凹んでしまったりと安定しない。まるで波を打つかのような変化。だが、それでも暗い中にいる私の目には十分な眩しさであった。
まるで白く吐かれるような息を体と耳で確認しながら、そこに向かって手を伸ばした。
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