砂糖の国
散歩をしていると向こうから人が歩いてきた。
近所に住んでいるイシオさんとペットのわんちゃん(名前はたしかぽっちー。ポチじゃないのぽっちー)だった。
おはようございますイシオさん。
おお ちゃんおはよう。 ちゃんも散歩かい。
はい。いい天気ですね。
まだまだ夏だよ暑い暑い。暑すぎて溶けちまいそうだ。
ぱたぱたぱたぱた手で扇ぎながらイシオさんは倒れました。
どうやら時間だったようです。
ぽっちーは不思議そうに倒れたイシオさんを見ています。
しばらくするとイシオさんの身体がみるみるうちに真っ白になって、やがて身体全体が真っ白い粉で覆われてしまいました。
ときどきぽろぽろと粉がこぼれ落ちます。
イシオさんは砂糖のかたまりになりました。
人は死んだら砂糖になってしまいます。
やれやれぽっちーはひとりぼっちです。
しかたないのでぽっちーを抱えて散歩を続けます。
砂糖のイシオさんの姿が見えなくなるまでぽっちーはずっと後ろを眺めていました。
あっ、あの!
後ろから声がしたので振り返ってみると、クラスメイトのキシくんでした。
なあにキシくん、どうかしたの?
ちゃん、オレどうしても伝えたいことがあって……。
何を?
その……オレ、オレ……… ちゃんが好きです!
キシくんは顔を真っ赤にしてわたしに告白してきました。
正直びっくりです。
だってキシくんはわたしがひそかに思いを寄せている人だったからです。
キシくんはとびきりカッコイイわけじゃないけど、とても優しい性格なのです。
わたしはキシくんの優しさのおかげで人間をちょっとだけ好きになれました。
わたしも、キシくんが好きだよ。
本当!?やったー!めちゃくちゃ嬉しい!
なんだか照れ臭くなります。
わたしはキシくんのそんな素直に気持ちを表現できるとこも好きなのです。
ねぇキシくん、よかったら一緒にお散歩しない?
うん。じゃあさ……手、繋ご?
キシくんは手を差し出してきました。
わたしはちょっぴり恥ずかしかったけど、そっと手を重ねました。
手はすぐに離れました。
倒れたキシくんと目が合いました。
とても幸せそうな目です。
キシくんも砂糖になりました。
腕のなかでくうん…とぽっちーが鳴いています。
わたしはぽっちーみたいに後ろを見ずに歩き出しました。
歩き続けると街に出ました。
人がいっぱい歩いています。
こんなに人がいてもわたしは平気でいられるようになりました。
やはりキシくんのおかげなのです。
もう何人も砂糖のかたまりとすれ違いました。
でも歩いている人は砂糖の人のことなんか目に留めません。
やがてわたしは海にやってきました。
浜辺を歩きます。
何千何万数えきれないほどの砂糖の上を歩きます。
砂糖になった人はいずれ大地となる運命なのです。
だから砂糖はほったらかしにします。
ひとがたの砂糖が崩れ落ちこぼれ風に乗り大地をつくるのです。
イシオさんもキシくんもいつか形をなくしてしまうのでしょう。
お家に帰ろうかぽっちー。
ぽつんとつぶやくと、ぽっちーはワン!と答えてくれました。
今日のご飯な何かな。
ワン!
シチューがいいな、ブロッコリーがいっぱい入ったやつ!
ワン!
楽しみだねー。
お母さんもうご飯作ってるかな。
急ごうかぽっちー。
ぽっちー。
……ぽっちー…………。
辺りにはわたしの他に誰もいません。
わたしは一人浜辺を歩いています。
波の音と、じゃりじゃりと砂を踏む足音だけです。
腕の隙間から砂糖がさらさらと潮風にさらわれてゆきます。
強い風に当たりすぎたせいか、抱っこしていたはずのぽっちーはいつの間にかいなくなっていました。
でもぽっちーは確かにいたのです。
残ったのは腕についた砂糖の粒だけでした。
家に帰るとお母さんはもうご飯を作っていました。
どうやら今日の晩ご飯のメニューはハンバーグのようです。
ブロッコリーのシチューが食べられないのは残念ですが、明日頼んで作ってもらおうとこっそり決めました。
明日が楽しみです。
明日、
明日、
明日……。
明日って本当にくるのですか?
まぁまぁ、どうしちゃったの?
お母さんが心配そうに駆け寄ってきました。
無理もありません。
娘が突然泣き出したのですから。
わたしはお母さんに今日のことを話しました。
イシオさんのこと、キシくんのこと、それからぽっちーのこと……。
でもお母さんは困り顔です。
お母さんが困り果てていたところに、お父さんが帰ってきました。
お母さんがお父さんに事情を説明しています。
どうしましょうあなた……。今までこんな事なかったのに……。
仕方ないさ、この子は人の死にまだ慣れてないんだ。
優しい子だよ。おかしいのは俺達大人なのかもな……人がある日突然死んで、砂糖になっちまうなんて事、素直に受け入れてるんだからな。
でも死んだら砂糖になるのは当たり前でしょう。昔に比べたら綺麗なものよ?昔は死ぬ時に真っ赤なものを撒き散らしたり随分苦しい思いをしていたっていうじゃない……それに比べたら天国よ。
確かに今の俺達は死ぬ瞬間一切の苦痛もないし死体は綺麗な砂糖へ早変わり。美しいと考えられなくもない。でも俺は時々恐ろしくなるよ。
…… 、顔を上げてごらん。
わたしは涙をボロボロこぼしながらお父さんの顔を見ました。
とても優しい顔です。
お父さん達大人は死に慣れ過ぎた。数えきれないほどの砂糖を見てきたから……麻痺しちゃったんだろうね。
恐ろしい事だよ。凄惨さも苦痛もない死。道ですれ違った人が倒れてもそれを気に留める人はいない。それが当たり前になっている。目の前で家族が砂糖に変わっても、それが当たり前になってしまった。
……誰も、疑問に思わないんだよ。人々の意識がそれを日常と決めつけてしまったから。
寂しいじゃないかそんなの……。
お父さんの目から一筋の涙が伝いました。
お前は正しいよ。そうやって涙を流すのは大切な事なんだ。
お前にはあたたかい血が通っているのかもな……。
お父さん……。
それでいいんだ。その優しさを忘れないでくれ。
当たり前の明日なんてないんだよ。
崩れてゆきます。
二つの砂糖のかたまりが。
まだまだひとがたの砂糖です。
わたしはやっぱりひとりぼっちになってしまいました。
ふらふらと歩いているとテーブルの上にリモコンを見つけました。
意味もなくテレビをつけました。
どのチャンネルも同じ内容でした。
原因不明の突然死が世界中で次々と起こっているみたいです。
だから今日はあんなにたくさんの人が砂糖になったのだとわかりました。
イシオさんもキシくんもぽっちーもお父さんもお母さんも、みんなが死んだのはそのせいです。
このままだと地球は滅亡するでしょう。
テレビの向こう側の偉い専門家の先生がそう言いました。
それは大変ですね。
何か食い止める術はあるんでしょうか。
無いですよ。
そうですか。
まあ仕方ないんじゃないですかこうなったら。
そうですよね、痛くも痒くもないですし。
いや〜これでやっと面倒な仕事から解放されますな。
わたしはテレビをつけっぱなしで外に出ました。
夜の闇が広がっていました。
次の日の朝、わたしはまた散歩に出かけました。
外は砂糖まみれでした。
ひとがた砂糖があちらこちらに積み重なっています。
いぬがた砂糖やねこがた砂糖もあります。
砂糖のお花が咲いています。
砂糖の草木が覆い繁っています。
全部砂糖です。
愛しい砂糖を道端に見つけました。
やっぱり甘かったです。
わたしはキシくんが大好きです。
でもキシくん砂糖は触れると崩れてしまいました。
わたしは必死でかき集めました。
口いっぱいに砂糖の味が広がります。
強烈な甘さに思わず吐きそうになりました。
でも愛しいキシくんなので全部食べると決めたのでわたしはキシくんが大好きなので甘いものは好きなので苦しいのでキシくんで頭がいっぱいなのでキシくんなので全部食べました。
キシくんはおいしかったです。
おいしいキシくんはなくなりました。
わたしの目的もなくなりました。
わたしはキシくんの砂糖を食べるためにお散歩をしていたのです。
昨日は晩ご飯のハンバーグも食べ損ねたし、朝ご飯も食べていないからちょうどお腹が空いていました。
そしたらキシくんで頭がいっぱいになってしまったんです。
お腹がいっぱいになったおかげで少し頭に余裕ができました。
砂糖になったお父さんとお母さんってどうすればいいんでしょう。
道端の砂糖は放っておくらしいけど、家の中の場合はわかりません。
どんなに考えてもわかりません。
頭がパンクしそうです。
仕方ないのでとりあえず散歩を続けることにしました。
でもどこを歩いても同じでした。
砂糖だらけに変わりありません。
まるで冬の日に雪が積もったみたいに真っ白です。
とてもきれいだと思いました。
わたしの足音だけがします。
他に音はありません。
しーんと静まりかえっています。
生き物の音がしません。
人も動物もみんな死んでしまったみたいです。
だから真っ白の砂糖だらけなのです。
きっと世界中で砂糖があふれているんです。
宇宙からみた地球はきっと真っ白です。
ひょっとしたら、これは宇宙人の仕業なんじゃないかと思いました。
宇宙人はきっと甘いもの好きなんです。
いっぱい甘いものを食べすぎて砂糖が足りなくなって、だからもっとたくさんの砂糖が必要なのです。
地球まるごと砂糖に変えてしまえばすごい量になります。
きっと一生砂糖に困りません。
だったらわたしももう少ししたら死んでしまうのでしょうか。
わたしが死んだら宇宙人は一斉に砂糖狩りを始めるはずです。
だったら死ぬ前にキシくんを食べておいて正解でした。
死んだら砂糖になって動くこともできないのですから。
あ。
突然、身体の力が抜けました。
砂糖の地面にぼすっと倒れ込んでしまいました。
眠たいみたいな感覚がします。
時間みたいです。
わたしも砂糖になるのです。
口の中には今だに愛しい甘い味が残っていました。