第一話 壊滅的自己紹介
様々な新しい出会いが訪れる四月。
高校二年生となった片桐修人もまた、新しい出会いを求めて親元を離れ一人暮らしを始めた。
去年まで通っていたサッカーの強豪校を去り、県外の私立高校に転入することとなった。
今日から修人が通う「桜ヶ峰高校」は去年までは女子校であったが、今年から共学となり男子も入学できるようになった。
無論、男子サッカー部というものは存在しない。これが修人がこの高校に転入した理由だった。
修人はあの大怪我の後、必死にリハビリをこなし、なんとか日常生活が送れるようになるまでに回復した。
ドクターいわく、さらにリハビリを重ねれば再びボールを蹴ることができるかもしれない、ということらしいが修人はこれを固辞した。
歩けるようになればそれだけで十分だった。
サッカーとは無縁の、人並みの青春を謳歌する。
あの怪我の後、修人はそう固く心に誓っていた。
物心ついた時から今まで、ずっとサッカー中心の生活を送ってきた修人は、友達とバカなことをして笑いあったり、女子とお付き合いしたりする、いわゆる「青春」というものに憧れを抱いていた。
しかし、どうしてもサッカーという呪いがついて回る修人は、男子サッカー部のない桜ヶ峰高校を選択したのだった。
ここなら自分は一般人でいられる。今こそ失った青春を取り戻す時なんだ!
片桐修人は野望に燃えるのであった。
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桜ヶ峰高校2年C組の教室。
その朝のホームルームは転入生の紹介から始まった。
担任の教師から修人の簡単な紹介が入る。
「えー、今日からこのクラスに転入してきた片桐修人くんだ。県外から来たということで色々不慣れなこともあると思うから、皆仲良くするように。
じゃあ、片桐。君からも簡単に自己紹介を。」
あらかじめサッカーに関する情報は伏せるように言っておいたことが功を奏した。
簡単な紹介に留めてくれた担任の教師に修人は心の中で感謝した。
ここまでお膳立てしてもらったんだ。ここは確実に決めなきゃな。
この自己紹介でクラス内でのカーストが決まることを修人自身もよく知っていた。だから絶対にはずすことはできない。
年代別日本代表で初めて日の丸を背負って戦った時よりも緊張し、手が震えていた。
しかし、覚悟は決まった。
よし、行くぞ!
「ようっ!!俺の名前は片桐修人ってんだ。前の学校では修ちゃんって呼ばれてたから、みんなも気安く呼んでくれていいぜ!
このクラスのみんなと最高の思い出作りてぇと思ってっから、そこんとこヨロシクなっ☆」
最後にサムズアップの決めポーズを披露して修人の自己紹介は終わった。
よし、完璧。
俺が思い描く最高に陽キャな自己紹介だ。
この時、修人は自分が完全にやらかしてしまっていることに気づいてはいなかった。
なぜこのような大惨事を招いてしまったのか、それは修人がリハビリに励んでいた時期にまでさかのぼる。
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桜ヶ峰高校に転入する三ヶ月前、
修人は自身の膝のリハビリをしながら、新生活に向けての準備も着々と進めていた。
新しい高校生活で大事なことは良好な人間関係を築くこと。
今の自分の性格ではいつまでもクラスに溶け込めず、浮いた存在になってしまう。修人はそのことに大きな危機感を抱いていた。
修人はピッチ上でこそチームメイトに檄を飛ばす熱い一面を見せるものの、一度ピッチを離れると人とコミュニケーションを取ることが苦手な根暗マンになってしまうのだった。
このままではいけない、修人は性格を変えることを決意したのであった。
まず手始めに、青春モノの漫画を読み漁った。みんなに好かれるようなキャラクターとはどんなものかを研究するためだ。
その中で修人が注目したのは、主人公やヒーローではなくその親友ポジションにあたるキャラクターだった。大体どの漫画を読んでも、この主人公の親友ポジはクラスのムードメーカー的な存在で主人公含めクラスメイト全員に愛される存在だった。
「これだ…!俺はこいつを目指せばいいのか…!」
そこからの修人の行動は早かった。
髪は金色に染め、チャラい雰囲気を出すためにシルバーのアクセサリーを身につけるようになった。
その姿を見た修人の母、静は目を丸くし、あんなに真面目な子だったのに…とおいおい泣きだしてしまう始末であった。
当然、このことは静経由で武人の耳にも入ったが、武人の見解は「まあ年頃の男だし、そういうこともあるだろ。」というやけに淡白なもので、お咎めなしとなった。
「後は漫画を何回も読み返し、このキャラクターのクセをトレースするだけだな。案外簡単なモンじゃないか。」
謎の自信を得ていた修人は、なにもかもが狂っていることに気づくはずもなかったのだった。
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そして、今に至る。
クラスメイトからは引き気味にパラパラと拍手が起こった。
予想とは異なるクラスの反応に修人は困惑していた。
あれ…オカシイな。本来ならここで笑いが起こったり、冷やかしが入ったりして大盛り上がりする所なんだが…
ちゃんと聞こえてなかったかな…?
などと考えているうちに、見かねた教師がフォローに入った。
「げ…元気いっぱいの自己紹介ありがとう。片桐の席は窓際の一番後ろだから…ねっ。さあさあ、出席確認取るぞー。」
追い払われる形で教壇から降りた修人は、納得のいかない様子で自分の席に座るのであった。
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そして昼休み。
修人はようやく事の重大さに気付き始めていた。
あの朝のホームルームから今まで、修人に話しかけるものは誰一人としていなかった。
これは、まずい。
この状況を打開するためには、自分から動かなければ。試合だってそうだ。攻める姿勢がなけりゃ勝つもんも勝てやしない!
意を決した修人が近くのクラスメイトに話しかけようとしたその時、
「あの…片桐…修人くん…だよね?」
振り向いた先にいたのは、小柄でお下げ髪の大人しそうな少女だった。
ついに来たか!!記念すべき友達第1号!
遠慮がちに尋ねてきた女子に対して、ここぞとばかりに先程の自己紹介を繰り返し披露する。
「おうっ!!俺の名前は片桐修人ってんだ!前の学校では修ちゃんって呼ばれてたから、気安く呼んでくれていいぜ!」
修人は人との会話において応用が利かない人間であった。
「あっ…うん…それは分かってるんだけど…私が聞きたかったのは、U15サッカー日本代表の…片桐修人選手…ですよね?」
おずおずと尋ねてきた少女の言葉に周囲がザワッとどよめきだした。
そして修人の顔は一気に青ざめた。
それでもこの場をなんとか取り繕おうと、明るいトーンで嘘をついた。
「へ、へぇー…同姓同名でそんなやつがいるんだなー…偶然の一致って怖いねー☆」
「あの…」と言って少女はおもむろに自分のカバンからサッカー雑誌を取り出し、あるページを修人に見せる。
記事のタイトルは
「稀代のファンタジスタ二世、圧巻の2ゴール!」
見開きで、修人の顔がデカデカと掲載されていた。
「これ、あなた…ですよね?」
アカン、これもう言い逃れできんやつや。
というか、なんでこんな大人しそうな子がサッカー雑誌なんて持ってんだよ…
悔しさを顔ににじませながら、ついに観念した修人はその少女に改めて向き直り、頭を下げた。
「すみません…嘘つきました。そうです。私がその片桐修人です。」
どこぞのコントみたいな感じになったが、修人の感情とは裏腹に、その少女は頬を紅潮させ嬉しそうな声をあげた。
「やっぱり!初めて見た時からそうだと思ってました!
あ、あのあの!お父様はお元気ですか!?私、片桐武人様の大ファンなんです!!」
片桐…武人…サマ?
ここに来て最も聞きたくない人名を聞いた修人は、意識が遠くなるような感覚に陥った。それでも何とか彼女の問いに答える。
「あー…えっと、君は親父のファンなんだね。元気も元気さ。いちいち口うるさくて敵わないよ。」
本当は怪我の一件以降、父とは疎遠になっていた修人であったが、彼女の憧れを壊さないように仲良いアピールの嘘をついた。
「まあ、それはいけません!プロクラブの監督を務めているお方なのですから、しっかりと言うことを聞いた方が良いですよ!」
余計なお世話だよ。と心の中で呟きながら表情は笑顔をキープして、にこやかに彼女に質問した。
「えーと…君はサッカー観戦が好きなのかい?親父のクラブのサポーターとか?」
この時はじめて、彼女はあっ!と何かに気づいたような声を上げ、修人に深々とお辞儀をした後、言葉を続けた。
「すみません、質問ばかりで自己紹介がまだでしたね。
私、このクラスの委員長を務めております、辻本 美希と申します。
片桐くんの言う通り、あなたのお父様が率いるクラブ、東京ユナイテッドのサポーターでもあるのだけれど実は選手もしているんです。」
「え…選手って、この学校で?」
「はい、そうですよ。女子サッカー部に所属しております。まだ公式戦で1勝もしたことないんですけどね…」
タハハ…と困ったように笑いながら辻本は答えた。
そういえば、と辻本はさらに質問を投げかける。
「片桐くんほどの人がなぜ、男子サッカー部もないこの高校に来たのかしら?」
核心を突く質問に修人は声を詰まらせた。
「はは…まあ、その、色々あってね。」
モゴモゴと要領を得ない修人の物言いに辻本は何かを感じ取った。
「訳ありって感じみたいですね。」
辻本は修人の手をギュッと握り、顔をグッと近づけた。
「悩みがありましたらすぐ私に相談してくださいね。頼りないかもしれないですけど、あなたの力になれるよう私、精一杯頑張りますから!」
「あ、ありありが…ありがとうぅ…!」
可愛い女子に見つめられ、尚且つ手を握られた修人は既に正常な状態ではなかった。
修人は父親譲りの端正な顔立ちで同年代の女子たちにモテモテだったが、女性とお付き合いしたことは今まで一度もなかった。
それ程までにサッカーに打ち込んでいたということなのだが、色恋を知らずにここまで来た修人は、女性に対して全く免疫を持っていなかった。
辻本はパッと手を離し、修人にお礼を言った。
「色々楽しいお話を聞かせてくれてありがとうございました!私はこれから委員長会議がありますので、ここで失礼させていただきます。またサッカーのお話ししましょうね!」
満面の笑顔で 手を振る辻本を見送った後、修人はポツリと呟いた。
「あの子は天使だ…」
サッカー選手であったことはバレてしまったがこの先案外うまくいくんじゃないかと思い始めた修人は、これからの高校生活に大きな期待を膨らませるのであった。
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「やあ美希。どうだい、あの片桐修人は?」
委員長会議を終えた辻本は、スラッとした体型の美しい女性に呼び止められた。
「あら、九条生徒会長。彼、最初の自己紹介の時ちょっとやらかしちゃってまして…だいぶクラスから浮いてますよー。」
「それで、接触はしたのか?」
「はい。ちょっと優しくしてあげたら彼、顔真っ赤にしちゃって。案外チョロいかもしれないです♪」
「フフッ、そうか。すまないが引き続き監視を頼むぞ辻本。」
「はーい、お任せください♪生徒会長♡」
辻本は小悪魔的な笑みを浮かべながら、九条と約束をするのであった。