伏線を前に置くことについて
「早川ちゃんがSF中編書いてるの見てて思ったんすけど」
早川は机に突っ伏したまま、ちまちまと小さな指で、熱心に文字を打っている。
これで四回目の推敲である。推敲のたびに、この表現は変えたいだとか、キャラクターにキーワードを持たせたいだとか、思いつきが次々浮かんできているようだ。
文芸部員たちもまた、事前に内容を見せてもらっていた。三稿にもまだ誤植があった。誤植は何故なくならないのだろう。哲学的だった。
「うふふ。早川さんはかわいいですねえ」
春秋の言葉に、早川はぴくん、と大きく背を跳ねて反応する。
Webで公開する腹積もりだというのに、他の部員に自分の作品を見られているときの早川の顔は、夏の夕焼け空より真っ赤だったのだ。
突っ伏しても、赤くなった耳までは隠せない。部長の岩波は、可哀想なので見て見ぬ振りをした。
……ちらりと見た。
「中編とか、一気に最後まで投下しきる形式だと。事前に張っていた伏線も読者のひとがしっかり理解してくれると思うんすよ」
「ん? いや。理解してくれないこともあるだろう」
「あー、それは、わたしの表現が悪かったってことっすね。悔しいっすけど、そういうこともあると思うっす。そうじゃなくてっすね」
富士見はそこで一息吸う。
「日付を大きく跨ぐことになる、連載形式のWeb小説って媒体で。伏線を前の方に置くのってどうなんでしょ、って。ふっと思ったんすよ」
そして、素朴な疑問を口にした。
「……ううん? 序盤の伏線は大事だと思うが」
「そうなんすよ。大事だと思うっす。でも、ずっと付いてきてくれるひとって、過去の話ってその分、過去のおぼろげな記憶になるわけじゃないっすか」
「たしかに、前すぎてその伏線もう覚えてない、なんてことも、あるかもしれませんねえ」
「まあ、君は一昨日の夕食を覚えていないわけだしな……」
「そうなんすよ。わたしの書いてるモンが、読んでる人にとって、夕食よりも重たいものにできてるか?って、そんな自信はないワケで。単話完結の方が読む人にはぜったいやさしーんすよね」
「そうだな……」
「べっつにWeb小説に限った話じゃないんすよね。続刊待って何年だろってシリーズが、わたしん家の本棚にはけっこーあるっす。新刊が出て、よっし過去の読み返したろっ!ってなるのが作家ぢからだと思いますし、わたしが揃えてる本にはそれが備わってると思うっす。だから『テケリさん』とか新刊出して……!!」
魂の叫びだった。
話の主題がぶれたが、とにかく続きが読みたかった。
これから話が広がるぞ、ってところで続刊が出ないとか、レーベルごと──どころか出版社ごと嫌いになるまである。
「で。ひるがえって。改めて長編どうするかなってなった、って話っす。いや、まあ今後もガンガン伏線撒くつもりなんすけどね……」
軌道修正した。
「感性の問題だからな……。そこには明確な解答がないと思う」
「そうですねえ。先代の部長が言っていたんですが、この部、設立した頃は文楽部にしようとしてたらしいんです」
「それを教師に提出するのけっこーガッツあるっすね」
「それに文楽と勘違いしそうだよな」
「心中物って心惹かれますよねえ。うふふ。結局お二人の言う問題があったので、今の名前になったそうなんですけど。やっぱり、楽しいことが一番だいじだと思うんですよう」
「春秋は、その……理解を半分放棄したものばかり書くもんな」
「はい。書いているひとは楽しいです。心に爪を立ててひっかきたいんですよう。うふふ」
「君の表現は時々物騒なんだよな……」
「…………ええと。とりあえず、できるだけ伏線を回収できる日が早くなるように。書き続けるべき……ってことっすかね」
無理のない範囲で。
富士見はばつが悪そうにしながら、小さな声で付け加えた。