なろうってなんだ
稲高文芸部の部室は、旧校舎二階の突き当たりの角にある。
日当たり良好、通気性よし。なんで文芸部なんかが占拠しているのか、と言われる優良物件だ。
「あ、これオモロ。ブクマしよ」
「わあすごい。沢山のお話があって、たのしやかですねえ」
「『この小説がすごい!』」
三人の少女たちは、スマホをぴこぴこ動かしながら思い思いに楽しんでいる。
「いやおかしいだろ君ら」
文芸部部長──岩波は、そんな少女たちをにらめつける。
因果によって二年生にして部長に任命された彼は、部長職というものに対し過剰な期待と使命感を抱いていた。
「それなんだよ」
「スマホっすね」
「ここどこだよ」
「文芸部ですねえ」
「いまいつだよ」
「『明日を待つ青春』」
「無敵かきみら?」
岩波はため息をつき、深呼吸をし──。
「なんで文芸部でスマホやってんだ君らはーッ!!」
腹の底からの大声で叫んだ。
その声で吹奏楽部の川崎は己の本分を思い出し練習への熱意を高め、
陸上部の品川は足をもつれさせ新走法に目覚め、
文芸部の三人はひどく迷惑そうにした。
「なんでって……これも部活の一貫っすよ?」
「いや、部活っていうのは苦しいだろ。だってお前……、なんだそのサイト」
「センパ、まさか『なろう』をご存知でない!? 文芸部の長ともあろう人が!?」
富士見は皮肉たっぷりな笑顔でセンパ──岩波に反撃をする。
この後輩との付き合いは長い。中学時代から彼女は岩波の後輩であり、先輩を先輩とも思わぬ輩であった。
──なろう。なろうってなんだ。
候補としてはnarrow【狭い】、あるいは名を浪々と高めよという訓辞を略して名浪……いや、恐らくは違うか。
少なくとも、過去10年間における学校教育の範疇であることは間違いがなかろう。
岩波は自身が流行とは無縁の生き方をしている自覚がある。スマホを持たず、学業を友とし生きてきた。
しかし今、岩波は部長なのだ。毅然とした態度を取らなくてはならない。
「ふ、触れることがなかった以上、知らなくても当然だろう」
毅然ではなかった。
「『ソクラテスの弁明』」
「ソクラテスは無知を正当化はしてねっすよ。見苦しすぎるでしょそんな弁明」
「だから毒を飲まされちゃったんですかねえ」
「『古代ギリシャのリアル』」
「ははっ。イヤな歴史のシンジツっすねー」
「『本当にあった怖い話』」
会話に合わせて、平板のようなタブレット端末から、本の表紙を指さして会話に参加している少女は後輩の早川だ。
どうも彼女は、男子に自分の声を聞かれるのが嫌なのだという。岩波は部長として寛大に受け入れた。そうしなければ部の存続が危うかった。パワーバランスで優位に立てそうという打算もあった。
しかし、そんな大人しそうな彼女ですら、今、こうして岩波を貶めようとする。
四面楚歌である。
岩波は、唯一自分と同学年の春秋に助けを求めるため、アイコンタクトをした。
「? どうしましたか? 岩波くん?」
「いや、春秋よ。君ならその……な?」
「???」
ああ春秋よ、あわよくば虞になってはくれまいかなどという岩波の想いが災いしたのだろうか。
春秋には、岩波の苦境が苦境とは映っていないようだ。
しかし後輩たちの手前、助けてくれとも言えない。
(部長とは威厳あるものだ。いついかなる時も冷静で、動揺せず、同輩の主席であり、後輩の生きた目標であり──)
これを専門用語で認知の歪みという。岩波の認知は歪んでいた。
それゆえに彼は質問ができない。
詰みである。
「芸術って、ずっとカタチを変えてきてるじゃないすか。そうなると、未来の文芸作品って、こういうのがスタンダードになるんじゃないっすかね? テキトーっすけど」
「まあ。夢のある話ですねえ」
「『新世界より』」
つまり問題は解決せず、後輩たちはスマホをスースーし続けることになる。
ああ、なろう。
なろうって、なんだ。




