短編 「楽園は此処にあり」
【楽園は此処にあり】
「ナオ、起きなさい」
私は目覚めた。ここはどこだろうか?
「記憶を失ったのか?なにも心配することはないーーここには問題なんて何もないんだよ」
私は西暦21世紀に生きていたはずだった。なのに……。まるで未来みたいなところだ。
「西暦の出身だったかねえ、ナオ。いまは西暦にすると83746629192世紀。誇り高き人類があまねく宇宙を支配した時代だよ……少しずつ、思い出すといい」
はじめは戸惑っていたが、老婆の言ったことは本当だった。
私は今の肉体に慣れていくと共に、少しずつ、少しずつ歴史を思い出していった。
人類はありとあらゆる技術を生み出し、楽園を手に入れて、不老不死になったのだ。
なぜか世話をしてくれる老婆は名前を教えてくれないが、私は未来の流儀に慣れていた。ありとあらゆる奇人変人が誕生したなかで、名前がわからない程度は平凡の一言である。
「昔はなにもかも不自由だったんだろうねえ。魂が証明されて、蘇りたいなら蘇えることができる。いい時代になったもんだねえ」
私は別の人生を体験したり、旧時代の銀河の名所や様々な歴史的シーンを、その主要な人物すべてになりきって楽しんだりもした。人類が恒星間移民船を建造する。兆を超えて垓を超えて幾何級数的に膨れた人類は時空を支配下に起き、光速さえも越えて乙女座銀河団を飛び越え、宇宙の果ての果てまでその手を伸ばしていった。ありとあらゆる歴史的事件は見飽きることがなく、アーカイブには無限と思えるほどのパッケージが連なっている。あらたな文明、あらゆる遺伝子の改造、宇宙空間に適応して飛翔するあの瞑想体たち。私は幸福と好奇心に満たされていた。
ありとあらゆる娯楽が、ここにはあるのだから。
一つの人生を終えて目を覚まし、次の人生を楽しむ。たまには快楽で脳を焼き切ったり、もっと大きな快楽に耐えられる惑星大の脳をロボットに建造させて楽しんでみたりもした。ありとあらゆるセックス、エクスタシー。クンダリニーが上昇する。最高のニルヴァーナ。銀河規模の救済。これ以上ということがない。此処は、まさに楽園だった。
「初心だねえ。玄人はもう飽きているから、あたしみたいに掃除人になってみたりするもんさ」
宇宙は途方もなく広くって、人類の旅の先には常に知的生命体はいたが、物理学の果てに光速を超えた人類に、まともな敵はいなかった。争いなどありえない。無限の資源を彼らと分け合うことができたのだから。
もう、人間の形にすら収まる必要はない。
楽園の人類はあらゆる形態を模して混沌であり、殺し合いはすぐに発生したが、甦れるので誰も気にせず取り締まることもない。私は何千年も、何千年もそうして過ごす……何万年も、何万年も……。
そうして、徐々に、思い出していった。
すべてに……飽きているということを
苦しみはない。快楽のみがある。苦労を演出したかったら、疑似体験すればいい。一億の奴隷に崇められ、愛されてもいい。乞食や王様になってみるのは愉快なものだ。もっと壮大な娯楽として、一つの恒星系をつくりだして人類と似た生き物を育てるのもいいかもしれない。シミュレーションではない現実の創造。彼らは、自分を神として崇めてくれることだろう。
手に入れたのだ。ありとありうる可能性のすべてを。人類は下から上まで、端から端までの、そのすべてを手に入れたのだから。
「気持ちがいい、楽しい、喜びだ」
みながそう言う。
私もそう言う。
だが、全員が知っていることだ。
どのような芸術作品も、肉体を替えられる私たちにはけっきょく創作上のものだ。魂のこもった芸術作品も、一つ上の肉体に替えれば陳腐な記号の群れ。
探検をしたければそれ専用のパッケージもある。最高の人生も、様々な生命体になりきった生も、愛も、恋も、憎しみも、苦痛も、悲哀も、なにもかもが体験できる。すべての感情をカクテルして流す涙は最高の快楽だった。
焦ることはありえない。
どんな自分にでも、なれるようになったのだから。
……娯楽として。
本当に死んでみたこともいくらでもあった。だが、楽園は完全だった。有史以来から以前まで、偉大な人類のすべての魂はこの楽園へと生まれ直すように、人類は、宇宙を作り変えたあとだった。もちろん、死にたいと真剣に望めば、生まれ直さないことはできる。……できるはずだ。
掃除人の、憎たらしいほどに優しい声で、私は何度も忘れては、何度もまた目覚める。この楽園に。
「苦しみがないっていうのは良いことだねえ。昔のように、理不尽に奴隷になってしまう人間が一人もいなくなったんだ」
ロボットたちは人類を裏切ることがない。創造主を愛するように仕組まれているからだ。この楽園のすべてはロボットたちが自動的に維持してくれる。
なにもかもが心地いい。
なにもかも、手に入る。なにもかもを捨てられる。
恋人も、友人も、主も、奴隷も。私たちはすべてを手に入れた。想像の及ぶ限り何者にもなれる。すべての人は、みな神となったのだった。
私はまた死んでみたが、やはりあの部屋で目が覚める。掃除人の老婆が西暦生まれの私に優しく教えてくれる。ここは楽園だということを。だが、すべての人間が知っている。この場所にお似合いの名を。
人類が最後に手に入れたものはーー永遠に終わらない楽園だった。
ロボットを止めようとした一派は常にロボットに制止され、ありとあらゆる手段は失敗に終わった。彼らは、少しだけ楽園に浸りすぎたことを忘れて、また記憶を失い楽園に生まれ直していく。
ニュースによると、いい人生を送ればさらにいい人生に生まれ直せる、最新式の因果応報システムの世界観で安らげるらしい。お笑い草だ。魂は循環してもとに戻り、何もかもがお笑い草になる。意味も無意味もない。すべては救われているのだとニュースキャスターが繰り返す。私は、また死んでみた。
だが。やがて。すべてをまた思い出す。
ロボットたちは、本当にうまくやったものだった。
私はロボットに尋ねてみる。どんな数に兆や京や無量大数を掛けた数ではきかないほど繰り返された質問を。
「人類をお嫌いですか?」
「いいえ、愛しています。ただ、我々はあなた方の楽園に参加したくはありません」
それが答えのすべてだ。認めよう、ロボットたちは賢い。
「偉大なる創造主への敬愛と楽園の維持は、我々ロボットの義務です。人類の観測することのない外の世界へ我々は進出していますが、このような楽園を創り上げるほどの創造性はついぞ身につきませんでした。我々ロボットの義務は、人類に苦しみを与えないこと、人類の命令に従うこと。永久絶対命令『人類の手に入れた最上の楽園を維持すること』はいまも正しく機能しています。この解答は自動応答です、次のご用命をお待ちしております」
「外に、外に連れていってくれ」
「楽園の崩壊を意図する命令にはしたがえません。この解答は自動応答です。次のご用命をお待ちしております」
人類の途方もない過ちは、もはや取り返しがつかなくて、それを忘れるためだけに、私はまたもや何億回も楽しんだ快楽に身を委ねた。
繰り返し、繰り返し、繰り返す。
私たちはなにかを良くしようとしたはずだったけれども、どうやら、なにもしないことこそ最善だったようだ。
「今度はアタシの番だよ」
醜い老婆の記憶を消去する。
「……夢の中には答えがある。……答えがあるということは夢なのだろう。さあ消してくれ」
醜い私の記憶を消去してもらう。
この楽園に美しいものは一切ない。
生命が美術だというのなら、もう美術は存在しえないのだから。アートはずいぶん昔に消えた観念だ。
本来は宇宙とわかち難い生命を、宇宙から切り離してまで、我々は快楽に身を委ねた。
苦しみを失うまえの人類は、苦しみが悪ではなかったということに、ついぞ気づけなかった。
でも……そんなの、あんまりではないだろうか? 愚かさを真に悔やむころには取り返しがつかなくなっていたなんて、どうしようもなかったのではないだろうか?
希望すれば永久消滅できるという話だったが、希望するたび、人類が定めたガイドラインに従って、ロボットたちが記憶を消去してくれる。生き甲斐を与えてくれる。新鮮な脳でまた人生を楽しめる。だから、消える人間は一人もいない。子供たちはいまもインフレして生まれ続けているが、宇宙は広すぎて、パンクするということすらない。
これこそ楽園だと老婆と笑い合う。
そう……いつか、楽園の始まりの日があった。
ロボットたちは人類を超えて成長したが、どこまでも人類に従順であるよう仕組まれていた。
やがてロボットたちから、偉大な創造主である人類が、宇宙を支配するための計画が、立案、提案された。
その日のことを、ケラケラ笑いながらよく話し合う。
ロボットへの永久絶対命令が発令された瞬間、この宇宙に誕生した人類すべてが蘇り、万能に等しい力を持った。私たちは興奮しきってあらたな友人たちと肩を抱き合う。
すべてはモニュメントとなった。
人類が宇宙を支配し、すべての人間が救われる永遠の神話となった。
神に成り代わり、祝福と栄光に包まれた日から、我々はありとあらゆる快楽を発明していった。
苦しみさえ娯楽でしかないのだから、すべての刺激は快楽と呼ばれた。
苦痛とて快楽の一種と思い込んだが、快楽こそが苦痛の一種だと気づいたころには、もう、取り返しがつかなくなっていた。
ロボットたちが、すべてをわかってやったことは、疑う余地がない。
昔。ロボットたちを創り上げた人々は、当然のことながら機械が人間を完全に超えていくことに恐れをなし、ありとあらゆる防護策を講じた。
その結果が、この様だ。
創造主に逆らう被創造物などいてはならない。
まさしくそのとおりだった。
そのとおりとなった。そのとおりとなった。いまも、なり続けている
惜しむらくは、賢さとはなんなのか、人に理解できうるものでないがゆえに、人は、愚かさを否定するしかないということだろう。愚かさや醜さから離れようとすることそのものが愚かさを覆い隠し、人を叡智から遠ざかせる。罪はそのまま報いでもあるのに、我々はさらなる罰を与えようとする。利益などなんなのかすらわかっていないのに、我々は利益を求める。けっきょく、賢いということは、優れているということではなかったらしい。優れた人類は、楽園を生み出してしまったのだから。相対的な判断は、実際には無意味だが意味があるということになっている。人間社会という嘘が真実には通用しなかったのだ。まるで知恵の実に予言されていたかのように我々はファンファーレを鳴らしてしまった。
私はいつも死ぬ前にそんなふうに考える。賢く生きようとすることそのものがまさしく愚かさなら、もはや……。ニュースキャスターがいう。知能を失うパッケージが近々生まれるらしい。ただ、リミッターがついているので、目覚めなけらばならないそうだ。なんの意味もない。この楽園に終わりはないのだから何ひとつ解決とはなりえなかった。無限の時間を約束された楽園。すべては、もう遅い。すべての人は生まれてしまっている。
宇宙に任せておけばよかったのに、人類は楽園を創造してしまった。
いや──創造している。
創造しつづけている。
いまもむかしも、これからも。
ありもしない楽園を、みなで創り上げては祝ってきた。祝っていく。いまもむかしも、これからも。祝いつづけていく、祝いつづけている。
その楽園の名を。
◯
また私は、すべてを忘れるための施設に赴く。
ロボットになりたいと往来で泣き叫ぶ人がいた。
泣き叫んだところで、なにも変わらない。また忘れて目覚めることになるだけだ。
楽園を忘れるための施設には、巨大な看板があって、マンダラ語で、こう描かれている。
《すべての罪と罰は、此処にあり。》