クリスマス
初投稿です。お手柔らかにお願いいたします。
今宵は、クリスマス。
街は喧噪であふれ、街路樹のライトアップにうつつを抜かす人々は、カップル色が強い。こんな日だからこそ、私の仕事はやりやすい。
私の『仕事』というのはとても簡単なもので、依頼されたものを指定の場所に届け、対価を得ている。
今日はすでに一仕事を終え、公園のベンチで一人、次の仕事を待ちながら優雅に通行人の観察をしている。私は人間観察が趣味なのだ。
例えば、今目の前を通り過ぎた二十代後半のオフィスレディー。
コツコツと、規則正しいリズムを響かせながら歩く彼女の手には、コンビニのビニール袋のなかに栄養ドリンクの数々が見えた。
年の瀬も近づき、仕事に悩殺されて、このクリスマスの夜でも残業するのだろう。
社会の荒波に揉まれて出来たであろう隈は化粧でも隠れていない。それでも、小綺麗な身だしなみとどこか活気にあふれた顔つきをしていた。その逞しい精神は若さゆえか、趣味があるゆえの満足感か。
そんな凛としている人もいれば、私から見て斜め前のベンチに座っているカップル。
男が女の指先に手を伸ばしては、会話が始まるとその手を引っ込めている。十中八九、手をつなごうとしているのだろうが、あんなに不自然な動きを隣でされて気づかないはずがないだろう。迷うくらいなら実行すればいいものを。
しかして、若者は見ていて元気が出るものだ。仕事柄、人とほとんど話さないのもあってか、人間観察をしていると気分が晴れていく。
ああ、今日は実に心地よい風が吹く……いや、少し肌寒いか。
「ちょいと……そこの御仁」
間近での声にハッと現実に戻ると、学生帽のようなもので目を隠した老年の男が、私の前に立っていた。いつの間にそこに立っていたのだろうか。気配や物音を微塵も感じなかった。
姿を認識してもなお、輪郭がおぼろげだ。
「どうかなさいましたか? 私に何か御用でも?」
正直、私にはこういう得体のしれない輩、改め、御仁に話しかけられる覚えはごまんとある。しかし世の中には『自意識過剰』や『被害妄想』という言葉もあるのでとぼけてみた。
それに、いかに得体のしれない御仁に心当たりがあるとしても、こうも存在があやふやな男には、少々怖さを覚える。
「いやはや、御用というほどでもないんじゃが。少々老人の与太話にでも付き合ってくれんかね」
なにやら、朗らかにほほ笑む老年の男の目の奥が光ったような気がした。ここは、私のお得意の拒否顔を披露しよう。
「いや~、あいにくですが。私にはまだ仕事がありまして」
「そんな薄情なことを言わずに聞いてくれんかの?」
「薄情でもなんでも仕事なもので……」
「腐りかけの老人の、人生最後の頼みじゃと思って」
口元は営業スマイル、目元では申し訳なさを表現する絶妙な演技をするも、老年の男は間髪入れず、人生最後などという断りづらい言葉を連ねた。
まったく、人の弱いところを突いてくる。
仕方なく私が「分かりました、五分だけですよ」というと、私の隣に座り、老年の男は微笑みながら身の上話を語りだした。
老年の男曰く。彼は元々は投資家で、若い頃はお金が何より大切だと思っていた、と。
老年の男曰く。友達も作らず、ただひたすらに金を追い求める生活をしていた男は、親族から白い目を向けられていたが、まったく気にせず金を稼ぐことにのめりこんでいた、と。
老年の男曰く。そんなときにとある一人の女性と知り合い、一目ぼれをし、瞬く間に結婚をした。その女性は慎ましい生活を望み、自身もそれに従った、と。
「なんとも、ロマンチックじゃあないですか」
「そうじゃな。思い返せばあの頃は、大が二個付くほどの幸せ者だった」
「よっぽどいい女性だったんでしょうね」
「……あぁ、実に。気立てもよく、私に足りないところをすべて持っているかのように思えた」
私は老年の男の話を聞いているうちに、自分の中の人間観察欲に火が付いたような気がした。すでに五分が過ぎようとしているが、私は欲に従い、男の話をもう少し聞いてみようと思った。
老年の男は話を続ける。
結婚式を終え、愛する妻との新婚旅行。付き合っている間も慎ましいデートを繰り返していたが、手元には投資で稼いだお金がある。
この時ばかりは、と世界一周旅行に行った。道中様々な景色を眺めては写真を撮り、各地の郷土料理に舌を鼓み、朝起きたときに隣にある妻の寝顔に、喜びをかみしめる。妻と出会うまでは忘れていた笑い方も、今となってはごく自然なものになった。
私に人間らしさを与えてくれた妻への恩返しのつもりで回った世界一周旅行。その半ばで子供ができたと聞いたときには、恥ずかしながら大号泣してしまった。心の中からあふれて尽きない感謝。月並みだが、一生守っていこうと思った。
一人でいたら、一生味わえない喜びだったと思う。
だが、そんな幸せの絶頂ともいえる日々は長くは続かなかった。
端的に言えば、気が緩んでいた。
妻や子供との日々。人生の最高潮であることを実感できるほどの充実した日々。幸せ太りというものを経験し、もともと骸骨と見紛うほどやせ細っていた私の体は贅肉がついてきたように思える。
そんな油断の表れか、今の世の中ではありえないと高をくくっていた罰なのか。それは、芸術と称されるまでの料理を出すレストランが、所狭しに立ち並ぶ国に降りて、二日目のことだった。
私たちはとある高級レストランで食事を楽しんでいた。もちろん料理もおいしかったが、妻との何気ない会話や、目が合い笑いあう雰囲気が非常に美味だった。
そんな雰囲気の中、お酒も進み、私は何度目かのお手洗いに行くために席を立った。
数分してお手洗いから戻ると、私の席に人だかりができていた。
どうにも慌ただしくウェイター達が動き、集まっている人の顔色がよくない。嫌な予感がして駆け寄ると、妻が床に倒れていた。簡素なドレスが血に染まり、純白だったはずが今は見る影もない。
明らかに心臓のあたりに深々とナイフが突き刺さっていた。妻の隣では、見知らぬ外国人の男性が診察まがいのことをしながらウェイターたちに指示を出している。
「おい、なんだ、これは」
私の声に気付き、テーブルの周りに散乱した食器の破片や料理を片付けていたひとりの壮年のウェイターが、畏まりながら話しかけてきた。
「あなたは、この方のお知り合いでしょうか」
明らかに異国の出で立ちをしているウェイターから流暢な日本語が聞こえたことに少し驚いたが、今は妻のこと以外どうでもいい。
「どけよ……」
半ば壮年のウェイターを押しのけるように妻のもとへ足を運ぼうとするも、両の二の腕を掴まれて止められる。振り解こうとしたが、非力な私ではびくともしなかった。
「……なんの、つもりだ」
「この方の、旦那様でいらっしゃいますか」
「そうだ。ここを通せ」
「それは、できません」
なぜ、どうして、誰が、妻の容体は。
様々な疑問や、なにより怒りで頭の中がぐちゃぐちゃで、喉が擦り切れて擦り切れてなくなるまで叫びたかったが、壮年のウェイターのあまりにも真剣な表情に息が詰まった。
「……俺の妻が刺されてんだぞ」
「いま、偶然居合わせたお医者様が診てくださっています。すでに救急車も呼んでおります。申し訳ありませんが、本当に申し訳ありませんが、救急車の到着まで控室で待機していただけませんか」
「こんな状況で、俺に、何もするなと。妻から離れろって言うんだな?」
「……はい」
このウェイターとの問答で私の頭は多大な動揺や怒りは残っているものの、少しばかり理性が戻ってきていた。ひとたび冷静になると、周りの状況が見えてくる。
店内は未だ騒々しいものの、客は店の一角に集められていた。
私と話している壮年のウェイター以外のウェイターは、割れた食器を片付けていたり、妻の介抱をしている医者を手伝っている。
私の元々の性格からか、この状況を冷静に分析してしまった。
この場に私が残ってとやかく言ったところで、迷惑になりさえすれど、妻を助けられる確率が上がることはないと結論が出てしまった。
そもそも言語を十分に理解できない時点で、私がいる意味がない。もし感情的になって医者の邪魔をしてしまったら目も当てられない。
そうして私は悶々とした気持ちのまま、救急車が店に到着するまで控室で待機した。
狙ったかどうかは定かではないが、心臓を一突き。偶然居合わせた医者や、救急隊員の治療も空しく。
私の愛してやまない妻は、息を引き取った。
ふたを開けてみれば、料理店間のレシピの奪い合いに巻き込まれただけだった。まったくの言いがかりだが、私たちがいた店のオーナーがほかの店のレシピを盗んだという疑惑があり、それを良しとしない複数店から度重なる嫌がらせを受けていた。
このいがみ合いはかれこれ五年は続いていたものの、今回のようなことは初めてで、本当に申し訳ない。と、後日壮年のウェイターから話を聞かされた。
「――ということがあっての」
老年の男はそう言い切って、はじめて言葉を詰まらせた。原因は顔を覗かなくても分かる。なぜなら、話をただ聞いていた私にすら押し寄せるものがあるのだ。当人はなおさらだろう。
「それはなんとも。……悔しかったでしょうね」
私に言葉に呼応するかのように老年の男は膝の上で拳を握りしめた。それから、ふり絞るように呟いた。
「……悔しい」
そこからは男の口から滝のように思いが溢れた。それは魂の叫びのようで、どこか神々しかった。
「悔しい。犯人が憎い。何より自分が不甲斐ない。妻を守れなかった! 守ると誓った気になって結局何もしていなかった!! ……元々治安が悪いとは聞いていたんだ。なぜか自分達は大丈夫だと思ってた。店のセキュリティを調べればよかった。入口から近いところに座るなんて馬鹿だろう? ……情けなくて笑うよ。一人で浮かれて馬鹿みたいに酒飲んで、何回もトイレにいって妻を一人にするなんて、襲ってくださいって言ってるようなもんじゃないか! あぁ、本当に俺は情けない男だ。妻もこんな男を選んでいなければ、今も元気にしていたろうに」
「…………」
私は軽い気持ちでこの男の話を聞いたことを後悔した。
それほどに、かける言葉が見つからなかった。この老年の男がどれほど自分を責め続けているのか。それこそこの後の仕事に支障が出るくらいには感情移入してしまった。気付けば私の手にも力が入っていた。
「ああ、申し訳ない。年甲斐もなく興奮してしまったようじゃ」
「いえ。とても、とても感慨深いお話でした」
私がひねり出した拙い言葉に老年の男は少し笑うと、真剣な表情を携えてこう切り出した。
「ここからが本題なんじゃがの。頼みたいことがあるんじゃ」
老年の男の話の途中で薄々勘付いていたが、これは紛れもなく仕事の依頼だ。
さっきまでの感動的な雰囲気は何だったのかと思うくらい、老年の男の口元は笑っていた。まるで勝ちを確信したような顔だ。
「なんでしょうか」
「私は妻が死んだあとショックで食事ものどを通らず、誰ともかかわらずに死を受け入れたんじゃがの。見ての通り、無念のあまりお化けになってしもうた」
「……そのようですね」
最近になってこんな依頼も増えてしまって、私には一年中休みがない。労働基準法は私を守ってくれないのか。数年前は下半期だけ働けばよかったものを。……人の欲は末恐ろしい。
「地縛霊でもないようじゃし、天国にも地獄にもいけずに放浪しておった。しかし、ある時お主のことを耳にしてのう」
「そうですか」
そこまで言って男は私に向かって土下座をした。その綺麗さに少しイラっとするが、そうもいっていられないのが仕事のつらさである。しかし、精いっぱいの抵抗はしてしかるべきだろう。
「人生最後の頼みじゃ! わしを妻のいるところへ連れてってくれ!」
「……腐りかけの老人の話を聞くのが人生最後の頼みじゃなかったんですか?」
「おぉ。ならば、霊生最後の頼みじゃな」
霊生という単語に矛盾を感じないこともないが、この老獪と話をするほうが私の精神衛生上よくないのは明白だ。
「分かりました。私の為せることはさせていただきましょう」
「いやはや、ありがたいのう。……しかし、子供に範囲が広すぎないかの? 学生帽被るだけで子供認定されるのは甘すぎじゃろう」
そう、私の仕事は本来であれば子供を対象としているのだが、なぜか最近このようなズルが横行しているのである。
「それは私も思うところですよ」
ため息交じりに呟きながら、私が首に下げてある特注のベルの形をあしらったホイッスルを吹いたその時、一瞬だけ空が青白く光った。すると突然、雪が降り始めた。
「これは、乙なものじゃのう」
「何度見てもきれいですよ。……ほら、見えてきました」
二人で空を見上げると、立派なそりを引いた二匹のトナカイが、空を駆けているのが見える。オーロラが尾を引いている光景は、雪とマッチして非常に幻想的である。
トナカイたちは大きな螺旋を描きながらこちらへ向かってくる。シャンシャンと鳴る鈴の音が次第に大きくなっていき、我々の前に止まると、トナカイが大きく唸った。
「……素晴らしい」
「さあ、どうぞ」
私が固まっている老年の男に声をかけると、男はこちらを向いて瞳を煌々と輝かせながら叫んだ。
「ありがとう!! 俺らのサンタクロースさん!」
「……口調、素になってますよ」
男は笑いながらそりに乗り込んだ。その顔には、少し前の悔しさは一切なかった。それは今から妻にあって自身の不甲斐なさを償うからか、長年の霊体での放浪から解放されるからか。真意はわからないが、こういう表情は老若男女問わず美しい。
「では、お元気で」
私の言葉と同時に、トナカイが上空に駆け出した。私は彼が見えなくなっても上空を見つめていた。ふぅー、と長く吐いた白い息はどこまでも高く、高く昇っていった。
どんな人生、どんな霊生でも、等しくありますように。
――メリークリスマス、愛をこめて。
拙い文章、失礼いたしました。
執筆開始から終了までに間があいてしまったこともあり、よくわからないものになってしまいました……。
読んでくださった方! 感想お待ちしておりますので、できればお願いいたします。