5. 予想外の展開
「そこまでです」
そう言いながら、生徒会室の隣の作業部屋から姿を現したのは、王子妃教育の筆頭講師の先生でした。
アンヌ先生は王妃様の幼馴染で、王宮という魔窟で王妃様を支えておいでになる影の実力者でもあります。二人の王子殿下にとっては厳しくも優しい世話焼きの小母様で、わたくしたち三人は、この小柄な女性に頭が上がりません。常には王宮で講師として腕をふるっておいでになるため、学園、それも生徒会の資料を詰め込んである小部屋に潜んでいるなんて、思いもしませんでした。
「アンヌ先生!?」
あり得ない人物のあり得ない場所からの登場に、わたくしは思わず声を上げ――失礼な態度のお詫びも兼ねて、慌てて礼を取りました。
わたくしの様子を目の端に捕らえながら、アンヌ先生は今回の出来事について、思いもよらないことをおっしゃいました。
「この仮婚約破棄は、三人の方々の将来を決めるためのテストでした」
一人目はウィリアム殿下。
ウィリアム殿下が本気で仮婚約破棄を望むか、その覚悟を見るもの。
二人目はわたくし、マリーローズ。
予想外の出来事に直面し、複数の男性に囲まれて孤立無援の状態で、どのように対応するか。
そして三人目がアレクサンダー殿下。
兄王子が越権行為に及んだときに、王族としてどのような態度でこれに臨むか。
先生のご説明によれば、今回の仮婚約破棄騒動は、将来サードオニクス王国を担う王族としての心構えを問うためのものだったらしいのです。
「最終的な確認をいたします。ウィリアム様。今回の行為に後悔はございませんか?」
「ない」
「アレクサンダー様は、ウィリアム様の決断を受け入れるお覚悟がございますか?」
「もちろんです」
「マリーローズ様。これが王子妃教育のテストの一環だったと明かされた今、仮婚約について、いかがお考えですか?」
「わたくしは……先に述べました通り、仮婚約の解消をお受けするつもりでおります」
先生に問われ、わたくしたちはそれに答えました。この答えが、どのような結論に至るのかは、まだしばらくの時間を要するでしょう。先生は隣室から漏れ聞いた話の内容を、最終的な回答とともに、テストの主催者――おそらく、国王陛下と王妃様にご報告するでしょうから。
「この件は他言無用――と、言うまでもありませんね。ここにいるのは、全員関係者ですもの」
いい機会なので明かしましょう、とにこやかに笑うアンヌ先生は、いたずらの種明かしをする子供のように楽しそうでした。
「仮婚約破棄の首謀者であるウィルにはすでに明かしてありますが、アレックスとローズはまだ知らないでしょう――ここにいる側近や学友たちが、全員王国の情報部からの仕込み人員だということは」
「情報部!?」
「全員!?」
愛称で呼ばれたこともあって気が緩み、アレクサンダー殿下もわたくしも、素っ頓狂な裏声で驚きも露わな返しをしてしまいました。
どういうことなのでしょうか……全員が情報部の仕込みとは!?
「そもそも、王子や王女、その配偶者候補の方々の側近となる者が、都合よく同年齢であるわけがないでしょう。お子は天からの授かりものですから、当然、年齢に誤差が発生いたします」
先生の話の着地点が分からずに首をかしげているのは、アレクサンダー殿下とわたくしのみ。ウィリアム殿下は困ったように笑っておいでですし、他の方々は――カトレア様やエミリー嬢までが、うんうん、とうなずいています。
「そのため、実年齢が一歳から三歳ほど年上の人材を、情報部が幼少の頃から育成するのです。高貴な方をお守りするために」
「「えぇっ!?」」
アレクサンダー殿下とわたくしの声が重なります。まさか、そんな操作が行われているなんて思いもしませんでした。どうりで側近の方々は文武両道なはずです。三年も年上ならば、知識は深く、体格は良くなります。特に十代半ばから後半の三年間は、大きな違いが出てくるでしょう。
わたくしが信じられない気持ちでカトレア様を見つめると、カトレア様は三本の指で口元を隠し、目を泳がせています。幼いお顔立ちではありますけれど見ごたえのある素敵な体型のエミリー嬢は、指を二本立ててニッコリ笑い、先生のお言葉を肯定しました。
「実は私、十八歳でして、情報部の指示でハニトラしてました~」
若干の眩暈を感じながら周囲を見回すと、ウィリアム殿下とアレクサンダー殿下の側近の方々も、それぞれに指で一から三までを示しています。公表されている年齢に、それだけの数字をプラスしたものが実年齢なのでしょう。
最初の衝撃を乗り切ると、違和感が胸をかけ巡りました。エミリー嬢が情報部の人間で、ハニトラ要員だったとすると、ウィリアム殿下の『真実の愛』のお相手は、どなたなのでしょうか? エミリー嬢であるならば、本当に愛してしまったために、情報部でのお仕事をしてほしくなくて、身分差を乗り越えて一緒になるための暴挙に出られたということも考えられますけれど……。
アンヌ先生は、ウィリアム殿下へのテストは仮婚約破棄を宣言するかどうかであったとおっしゃいました。仮婚約破棄がトリガーとなる結末は二つ。そのうちの一つは、文字通りわたくしとの仮婚約を解消すること。これについては、幼い頃に封印したアレクサンダー殿下への恋が許される希望が芽生えた今、わたくしが望むことでもありますから、問題はありません。あと一つは……。
「アンヌ先生。他言無用とのことですけれども、この件、我が父、アンベイク侯爵に話をする許可をいただきたく、お願い申し上げます」
今回のことで、ウィリアム殿下が背負う未来は大きく様変わりするでしょう。わたくしはその未来が少しでも幸福に近いものになることを祈って、父にとあるお願い事をすることにしました。