02 竜の加護。
この世界のドラゴンは、幻獣だと崇められている。
幻級の存在なので、滅多なことでは見られない存在が、今私の目の前にいるのだ。
鱗は、ルビーレッドの輝きをしている。頭には黒いツノを二つ生やしていて、琥珀色の瞳で見下ろしてくる顔は凶暴そうにしか見えない。
大きな口が開かれた時、食べられてしまうと思ってしまったのはしょうがないではないか。
『人の子よ。その魔獣を、食べてもいいか?』
はい?
素っ頓狂な声は、心の中だけに留めた。
魔獣とは私が今さっき仕留めた巨大な犬型のそれ。
「はい、ドラゴン様。どうぞ、お好きになさってください」
私はその場に傅いて頭を下げた。自然と身体が動いたのだ。
ドラゴンの知能は高い。だからむやみに人を襲ったりしないのだ。今思い出した。あまりの驚きで、食べられるなんて思ってしまったではないか。しょうがない。ドラゴンに会うのは、初めてなのだ。
ドクドクとまた震えている心臓を宥めるように胸を押さえた。
許可を出せば、ドラゴンは目の前で魔獣を食べ始める。
ムシャムシャ、グチュ、グシャグシャ。
頭をもぎ取り、咀嚼する光景を見てしまい、私はそっと俯く。
視界の端では、ルンバが腰を抜かして座り込んでいた。卒倒していないのは、立派だ。ルンバはかなりの小心者だから。
『すまないな。中々、魔獣を見付けられず、お腹を空かせていたところだったのだ』
またドラゴンは話しかけてきた。
それは思念伝達という能力の一つだ。実際に声を発しているわけではなく、直接脳に語りかけている。ドラゴンの交流手段なのだろう。
「そうでしたか。どうぞ、お食べください」
私は頭を下げたまま、両手を出して食事を促した。
終わるまで大人しく待っていよう。
ムシャムシャ、グチャ、グシャグシャ。
効果音がとても恐ろしいけれど、耐えなくては。
魔獣を食べ終えたら、そのまま飛び去ってくれるだろう。
『礼儀正しい人の子よ。顔を上げていい』
「はい。ドラゴン様」
言われた通り、顔を上げた。
するとそこには、青年が立っていたものだから、また驚く。
ルビーレッドの輝きを放つ長い髪を靡かせた見目麗しい青年。瞳は、琥珀色のキャッツアイ。ドラゴンと同じ。
ドラゴンといえば、その巨体が跡形もなく消えてしまっている。
それに青年の頭には、ドラゴンと同じ形の黒いツノが二つ生えていた。
「ドラゴン様、ですか?」
「そうだ」
頭に響いていたドラゴンの声と、一致する。
深紅のコートを着ているようで、鱗の鎧を纏っているようにも見えた。そして、蜥蜴にも似た尻尾が後ろに伸びている。同化しているような気がした。
人の姿に変身出来るなんて、よっぽど優れたドラゴンなのだろう。
「我の名は、ラグズフィアンマだ」
「私はリディー・ラーグ・ライアクアと申します」
「立派な名だな」
「ありがとうございます。ラグズフィアンマ様も、立派な名前だと思います」
またペコッと頭を下げて、淑女の一礼をする。これも令嬢として教育された賜物だ。
「お礼がしたい。そうだ。我の加護を受けないか? リディーよ」
「加護を授けてくださるのですか? それは大変光栄に思います。ですが、お礼としてはあまりにも大きすぎるかと……お気持ちだけで十分です」
顔を上げた私は、そう微笑む。
加護とは授けた相手を守り助けることの出来る魔法のことだ。
ドラゴンから加護をもらったなんて、自慢したら大いに驚かれること間違いない。ただし、私が自慢するために社交の場に出ることはもうないだろう。悲しみで沈まないように、令嬢の微笑みを貼り付ける。
「何を無理に笑っている?」
「っ!」
ラグズフィアンマ様の手が、私の顎を摘む。
見抜かれてしまったか。すぐにしゅんと顔を俯かせる。
「我が怖いのか?」
「いいえ、とんでもないことでございます。ただ、私の身にとある悲しいことが起きてしまったあとなので……」
正直に話すのはここまでだ。
婚約破棄されたなんて、口に出来ない。口にした途端、泣き崩れる可能性がある。
「そうか……」
ラグズフィアンマ様は顎を摘んだ手を、私の頭の上に移して撫でてくれた。
「とても優しいのですね。こうして人の姿になって会話をしてくださったり、気を遣ってもらってばかりで……ありがとうございます」
「……我はそなたが気に入った」
ふふっと笑みを溢してしまうから、口元に手を当てて隠す。
ラグズフィアンマ様は、微笑んだ。うっとりするほど美しい。
「だから我からの加護を受け取ってほしい」
「……そう仰るなら、拒む理由もありません。ありがたく、ちょうだいいたします」
ドレスを摘み上げて、もう一度一礼をしてみせた。
そんな私のさらけ出した額に、ラグズフィアンマ様の唇が重ねられる。ちょっと熱いと感じるほどの感触だった。ポッと私自身が光り出し、温かな魔力を感じ取る。これが加護。
「それではまた会おう。リディー」
離れたかと思えば、ラグズフィアンマ様の背から大きすぎる翼が生えた。一回転したかと思えば、人に近い姿は巨大なドラゴンに早変わり。圧巻なドラゴンは、風を起こして羽ばたき、飛び去っていった。
「……」
どうしたものか。私は現実と向き合わなくてはいけなくなった。
婚約破棄された令嬢。
転生者なら、婚約破棄ものの小説の世界がよかったかもしれない。そうすれば、婚約破棄を回避するために足掻いた。でも、もう遅い。ここは前世で読んだ漫画や小説の世界ではないし、もう婚約破棄をされたのだ。
家には帰れない。学園にもだ。
では、どこに行こう。
「あ、あの、お嬢様?」
帽子を抱えるようにして、ルンバが呼びかける。
「帰っていいわ、ルンバ」
「へ?」
「家に手紙を送るから、先に帰っていいわ」
「しかし……こんな森の中にお嬢様を一人残すなど……旦那様に叱られてしまいます」
恐る恐るとルンバは言う。確かに王都から外れた森の中に置いてきたなんて知ったら、カンカンになるかもしれない。でも婚約破棄のことを知れば、そんなこと気にも留めないだろう。
「大丈夫よ。ちゃんと手紙を送ると伝えておいて」
握った剣を見せる。自分の身は自分で守れることを示す。
ルンバは頷くと、浮遊の魔法をかけて馬車を浮かせる。そして風の魔法で馬車を動かした。王都に引き返す馬車を見送ったあと、喉元を食われた馬を見下ろす。
道を外れて、森の中で、爆発の魔法で地面に穴を開けた。
念力の魔法を使って馬を運び、そこに埋める。
その墓の横に座り込む。
「ステータス」
スッと手を翳して、ステータスを表示させた。
この世界では、名前から魔法のレベルまでが表示されるのだ。ゲームみたい。
[【名前】
リディー・ラーグ・ライアクア
【種族】人間族
【性別】女性
【年齢】16歳
【称号】伯爵令嬢 転生者 加護の保持者
【加護】竜王の加護
【魔法】
水属性レベル10 火属性レベル10
風属性レベル06 土属性レベル05
光属性レベル05 闇属性レベル05]
あれ。称号に新しいものが加わっている。
転生者とか加護の保持者とか、前はなかった。
ライアクア家は、水属性の魔法が得意な家系だから、レベル10だ。
でもその他はどう励んでもレベル05や06が、やっとだった。火属性も前はレベル05だったのに、どうして上がったのだろうか。
そうか。さっきのドラゴンは火属性だから、レベルアップされたのだろう。ルビーレッドの輝きからして、火属性。
ちゃんと竜王の加護って書いてある。
竜王……竜、王……え。
「竜王!?」
はしたなく大声を出してしまう。
竜王。それは、ドラゴンのトップに君臨する最強の称号だ。
とんでもないドラゴンから、加護をもらい受けてしまった。
20190908