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産廃水滸伝 ~産廃Gメン伝説~ 9 産廃錬金術  作者: 石渡正佳
ファイル9 産廃錬金術
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金の成る穴

 不法投棄より最終処分場の方が何倍も儲かる。「そんなの常識」だ。捨て場代が十倍違うからである。そもそも廃棄物処理法が施行されたとき(1971年)、最終処分場は許可が不要で、施設設置基準(1975年)ができた後も許可制ではなく届出制だった。最終処分場は「穴」と呼ばれ、穴を掘って埋めるだけ、埋め終わったら積み上げても良かった。つまり不法投棄現場(これも穴と呼ばれた)との区別はなく、不法投棄問題は法的にはあっても現実にはなかった。その後、問題が起こるたびに最終処分と不法投棄に対する規制は徐々に強化された。最終処分場は不法投棄現場と差別化されて「金の成る穴」になった。香川県庁を悪役に仕立てた中坊公平弁護士の影響力によって豊島不法投棄事件の顛末が大きく報じられた後は、環境団体や市民団体が最終処分と不法投棄を活動のターゲットとするようになった。左翼(旧日本赤軍崩れなど)の反対運動が盛り上がりを見せる1990年代以降、最終処分場の許可にはプレミアムを生じ、捨て場代が急上昇(毎年立米千円上昇)した。1990年代末には左翼の運動が成果をあげて最終処分場の新規許可は十分の一に激減した。最終処分場がなくなるという心理的圧迫(結果的にはデマだった)から、1990年代後半から2000年代前半には不法投棄がピークを迎えた。残存容量が底をついた最終処分場が、延命のために自ら関与する不法投棄現場も多かった。功を焦る環境省は、不法投棄に対する規制を法律学の常識を超えて強化(高額の罰金、排出事業者者責任、改正法の遡及効など)した。2000年代始めには、青森岩手県境不法投棄事件において、規制強化の見せしめとして東証一部上場の有名企業に撤去が命じられ、産業界に産廃ショックが走った。資源価格高騰を追い風に最終処分はリサイクルにシフトし、最終処分場の需給は縮小均衡の時代になった。リサイクルが主役となる時代になっても最終処分場のプレミアムは残り、捨て場代の上昇も続いた。最終処分場は左翼と右翼の両方に糧を与えてきた。産廃と残土は左翼の活動の求心力、活動資金(会費、カンパ)の源、一部の幹部にとってはライフワークになった。右翼の政治家や許認可ゴロも暗躍し、恐喝のネタにもなった。訴訟も多数起こり、産廃専門の弁護士や法学者も登場した。有象無象のコンサルタント業者も企業し、廃棄物管理業者という第四の業者に成長した。不法投棄現場を掘る穴屋は姿を消しても、これらのプレーヤーは健在である。

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