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Blue Blue Blue  作者: 榎戸曜子
8/12

 都内に帰って一週間になる。

「お会いにならないのですか?」

 菊のマンションの近くまで行って引き返した俺にアートは聞いた。

 実際この間は大学のキャンパス近くまで行き、その前は菊の師匠淡久先生の陶房を覗いて真剣にろくろを回す菊の横顔を目に焼き付けている。

「まったく、これではストーカーですよ」

 アートが盛大に嘆いて見せた。

「放っておいてくれないか。わかった、俺はしばらくここを離れるよ」

「どちらへ?」

「さあ、どこにするかな……」

 動こうとしない俺にアートは肩をすくめる。

「そういえば大村に千住邸を買いたいと持ちかけた相手は分かったか?」

 気まずさも手伝って俺は聞いた。

「はい。小菅忠雄、都内で不動産会社を営んでいます」

「ル・ウェイの一族のことを知っているのか?」

「いいえ、それはありえません。ですが、何かしらを知っているのかもしれませんね。厄介なことになる前に探ってみましょう」

「ああ、そうだな。任せていいか?」

「もちろんです。では」

 アートが部屋を出る。

 俺は意味もなく立ち上がった。それから脳裏に浮かぶ菊の姿に引きつけられるようにして部屋を出た。

「お出かけですか?」

 アートの部下の吉岡が後を追って来る。吉岡は俺より少しだけ年上の童顔な男だ。

「少し外を歩きたい」

 俺は答えた。


 雲が低く垂れ下がる午後。

 足早に歩く人々に紛れ、ただ歩いた。

 だが、

「ジュン様」

 後方を歩く吉岡が近づいた。

「様はやめてくれ。変に思われるだろう? アートのようにジュンでいい」

 吉岡は道行く人々にちらりと目を向けて、改めて言った。

「ジュン、それでは寒くないですか?」

 確かに薄手のセーターだけでは少し寒い。足を速めてもやはり冷たい風が体温を奪う。

「ホテルに戻りませんか?」

 俺はそれも考えたが、あそこにいて堂々巡りの中にいたくはなかった。外を巡っていた方が気がまぎれるというものだ。

「いい。もうしばらく歩く」

「でも」

 吉岡は困っている。俺はふと前から歩いてくる集団に目を止めた。大学のサークルか何かなのか、十人程の男女が楽しそうに話をしている。

「上着を買おう」

「あ、はい」

 俺はにわかに思いつき、吉岡と一緒に買い物客でにぎわう百貨店へ入った。


 ふわりと温かい店内にはそこここにクリスマスの飾りつけがしてある。そのデザインやアイデアを眺めながらいくつかのショップを覗き、俺はさっきすれ違った男子学生が着ていたような毛皮の縁取りが付いたフードつきのジャケットを買った。色はベージュ。俺は黒のパンツと薄手の白いセーターだけだったので、そのジャケットを着るとやっと周りに馴染んだ気がする。吉岡も安心顔だ。ちょっとしたことなのだが、俺は気持ちが明るくなり、店内を見て回ることにした。


 クリスマスシーズンに突入、ということで売り場はどの階もギフト、ギフト、ギフトだ。

 菊なら……どんなものを喜ぶだろう。そんなことを漠然と思いながら品物を眺め、買い物客の表情を眺める。

「あ、世耕さん」

 いきなり若い女の声がして、俺はぎょっとした。そんな風に声をかけられる覚えは俺にはないのだが……

 しかし、声をかけてきた相手を見れば確かに知った顔だった。

「ああ、菊の友達の、木元万里さん」

「ええ。こんなところで世耕さんに会えるなんて」

 万里は言った。

 彼女の隣にいた男が目を丸くして俺を見ている。

「あ、この人は私の彼氏。クリスマスプレゼントの下見よ」

 万里は照れたように隣の男を見た。男は少しほっとしたような顔をしている。そんな男の思惑もお構いなく、万里はずずいと俺との距離を詰めた。

「世耕さん、世耕さんはどうして菊に連絡先を知らせないんですか?」

 隣の男、いや、万里の彼氏とやらは、今度は当惑顔で万里を見た。だが、俺はそれどころではない。

「いや、特別理由は……会おうと思えばいつでも会えるし……」

 思わず、しどろもどろになる。

「あなたは、ね」

 万里はきっぱりと言い、それから声を落とした。

「このところ菊のところに変な嫌がらせが続いているの。最初は手紙。『昨日は帰りが遅かったね。どこへ寄っていたの?』とか『あんた、一人なんだってね』とか、気持ちが悪いのよ。それから猫の殺された死体や血の付いたナイフが届いて……信じられない。あのマンション、セキュリティーがしっかりしているはずなのに」

「それで、菊は?」

 俺の心臓の音がうるさい。

「もちろん菊は手紙や小包類は全て受け取り拒否にして、警察に届けたわ。でも、警察だって四六時中見張っていることもできないし……菊は確かに身寄りがなくなってしまったけど、世耕さんは菊の家のことをよく知っていたみたいだった。相談してみたらって言ったら、連絡方法がないって」

 俺は真っ白になりそうな頭を抱えた。俺がうろうろしている間、菊はそれどころではなかったのだ。あまりのふがいなさに俺は呆然とした。どれほど自分を罵っても足りない。

「それで菊は……今、どこだ?」

「ここのところうちに泊まっていたけど、そろそろ別のマンションを見つけるって。今日は物件を見に行ってる。新築の賃貸マンションで、確か、溜池山王のメイプルヤードだったかな」

「メイプル……ヤード?」

「世耕さん、そんなに菊のことが心配なら……携帯出して」

 万里は俺から携帯をひったくるようにして自分の携帯から菊の携帯の電話番号とメールアドレスを送った。

「ありがとう。すぐに連絡するよ」

「二人とも、最初からそうすればよかったのよ。菊のこと、お願いね」

 万里は急に大人びた顔で言う。

 俺は頷き、すぐに菊に電話をかけた。

 万里は俺に手を振ると、彼氏を引っ張って人混みに消えて行く。

 俺は菊を待つ。

 イライラと。

 菊……

 だが、菊は電話に出なかった。ただ、出られない状態なだけだ。電車に乗っていたり、歩いていて気が付かなかったり、物件の相談をしていて出られないのだろう……

 俺は足早に階段に向かい、走り出した。

「メイプルヤードへやってくれ。ここだ」

 俺は百貨店前の大通りで拾ったタクシーの運転手に検索したマップを示した。吉岡が俺に続いてタクシーに乗り込む。

「菊さんへの嫌がらせが気になりますか?」

「ああ、思い過ごしでなければいいんだ」

 俺は吉岡に答えた。


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