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Blue Blue Blue  作者: 榎戸曜子
2/12

 菊の背は俺の肩ほど。俺としては生き生きとした足取りが微笑ましい。だが、菊はすれ違う同年代の女の子たちの視線が気になるようだった。

「世耕さん、先に行ってるから、見失わないように来てね」

「菊?」

 菊はいきなり自転車に乗るとぐいぐい漕ぎ出した。

「おい、ちょっと待て」

 菊を見失わないよう俺も早足になる。

 まばらに歩く人々を軽くかわし、菊は商店街の外れの小さなフラワーショップの前に自転車を止めた。

 アンティークな大鉢に植えられたオリーブ、ガラス張りの正面は黒っぽい天然の板と煉瓦で縁どられ、それが店の中にある大きな木製のカウンターとうまく一体感を出している。花鈴と書かれた手作りの木の看板にも嫌みがない。

「お母さん」

 やっと追いついた俺を置いて菊は大きなガラス扉を開くなり言った。菊の声と扉についている鐘が同時に響く。

 俺も菊に続いて店内に入った。透明のガラスの花瓶に無造作に入れられた花や木々の枝は野性味にあふれた珍しいものばかり。店は吹き抜けになっていて奥中央にある広いカーブした階段にはところどころ趣味のいい鉢に植えられた植物たちが飾られている。上には花材や花器が置かれているようだ。小さい店だが、この寂れた商店街の中では驚くほどあか抜けている。

「おや、菊ちゃんかい」

 カウンターの向こうで答えたのは小柄なおばあさんだ。

「泉さん、ちょうどよかった、後で寄ろうと思ってたの。はい、これ」

 菊は袋をおばあさんに渡した。

 どうやらさっきキッチンで作業していた成果らしい。

「まあまあ、ケーキかい? まだ温かいね」

「ええ、さっき焼いたの。いつもお店番お世話になります」

「いや、それはこちらこそさ。この年で当てにされて、その上、思いがけず小遣い稼ぎもできてしまう」

 おばあさんは笑った。

「大したお支払いはできていないはずよ」

 菊は心配顔で言った。

「いいや、そんなことない。ありがたいよ。ところで菊ちゃん……」

 泉さんが俺を見た。

「千住蘭さんに用があって来ました。楓さんと私の実家はずっと懇意だったもので」

 俺は慌てて答えた。

「おやおや、そうだったんですか? 楓さんも素敵な方だったが、あなたも本当に……楓さん以上だ。私はてっきり菊ちゃんの彼氏かと思ったよ」

「止めてよ、泉さん」

 菊が口をとがらす。

「いや、悪かったね」

 泉さんとやらは澄まして言った。

 なかなかの人物だ。

「それで、お母さんはどこ?」

 菊は話が横道に逸れそうな泉さんを急かした。

「ああ、今日は近くの病院の受付と、料亭の寿々屋さんに花を生けるって出かけて行ったよ。もう来るんじゃないかい?」

「ふうん。じゃ、ここで待とう」

「それじゃ、私はこれで帰っていいかね? そろそろ孫が来るからね」

「ありがとうございます」

「孫にいいお土産ができた」

 泉さんは嬉しそうに菊の作ったケーキを持って扉のところまで行くとちょっと振り返った。

「だけど、菊ちゃん、花の値段はわかるのかい?」

「ええと、だいたい……それに、お客なんか来ないわよ」

 菊は笑った。

「それがこの頃そうでもない。大村さんなんか、ウィンドウに飾るからってしょっちゅう顔を出してるよ」

「大村? 美術商の?」

 菊は顔をしかめた。

「ああ、ちょっともったいぶった人だね……それに洋食屋の善さん。近頃お得意さんだよ。お客から評判がよかったって……それと駅前のキャピタルホテル。あそこも定期的に花を生けてほしいって蘭さんに頼んだらしいよ」

「お店は順調みたいね……驚いた」

 菊はそう言って愛想よくおばあさんを送り出し、どっかとカウンターの向こうの椅子に腰かけた。

「大村か。油断も隙もないわ」

 その顔はさっき泉おばあさんを送り出したにこやかな顔とは打って変わって闘争本能丸出しだ。俺は慌てて目を逸らした。

「どうして菊はその大村とやらが気に入らないんだ?」

「昔お母さんのことが好きだったらしいの」

「それで?」

「まだつきまとっているから嫌なの」

「でもビジネスじゃないか」

「あなたってあざといのね」

 菊は不機嫌に俺をにらんだ。

 そこで

 カラン、カラン

 鐘の音がして店の扉が開いた。

「お母さん」

 菊は勢いよく椅子から立ち上がった。

「菊、よく来たわね。あら、この方は?」

 千住蘭はほっそりした美人だった。そのはかなげな感じがプランティンそっくりだ。

「世耕ジュンさん。楓おじいさんの知り合いなんですって。お母さんに用があるそうよ?」

 菊は母親を窺った。

「お父さんの……? そう……お店はもう閉めるから、帰りに善さんのところに寄って行かない? 美味しいハンバーグがあるの。それとも和食にする? 世耕さんもご一緒にいかがかしら?」

 蘭は……蘭さんは微笑んだ。緩やかなウエーブがかかった髪が一束にまとめられている。荷物をカウンターに下ろした拍子に前髪が柔らかく揺れた。この店と同じだ。あか抜けている、が、おっとりしている。そして、おそらくしたたかだ。

「パウンドケーキを焼いたから、家で食べようよ。ハンバーグは持ち帰りにしてもらおう」

 菊が言う。

「それもいいわね」

 蘭さんは嬉しそうに答えた。


 電話で洋食屋の善さんに注文をしてから、蘭さんと菊はてきぱきと店の後片付けを済ませた。それから菊が注文の品を受け取りに行き自転車を店の中に置くと、ほかほかの煮込みハンバーグを持って俺たちは蘭さんの運転するミニバンに乗って千住邸に向かった。

 俺はあの石橋を車で渡るまではいいが、どうやって危険と張り紙のある正門をくぐるのか内心心配したが、その心配は無用だった。

 蘭さんは正面の門を素通りし、屋敷の裏手に回ると、一部崩れ落ちた塀のところから裏庭に車を入れた。

 俺は車を降り、言葉を失った。

 庭が……美しいのだ。

 様々な植物が思い思いに枝を伸ばし、根を張っている。表の庭と違うのはその植物がまさに彼らが好むところにきちんと植えられ、その個性を主張しているところだ。

「綺麗でしょ? 私の仕事場。仕入れた花だけでは面白みがないわ。それでは人の心を惹きつけるのは難しいのよ。お金もかかるしね? ここで育てたものなら材料費はただだし、何より生き生きしたものを届けられる」

 これが、生きるということか……俺はふとそんなことを思った。

「わかる気がする。お母さんがフラワーショップを始めるって、しかも出前で場所に応じた花を飾るサービスがしたいって言い出した時は正直不安だったけど……」

 母と娘はおしゃべりをしながら勝手口へと歩く。

「採算が取れないし、そんなの継続して頼むお客がいるかしらってあなたは言ってたわね?」

「うん……お母さんにお金のことで苦労してほしくなかったのよ」

「あら、その心配はないのに」

 蘭さんは俺を見ていたずらっぽく笑った。

 菊と似ている……


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