12
菊のマンションを出ると俺はその足で北米に立った。もちろん仕事の都合だ、表向きは。
だが、実際は俺がいなくともマザーがル・ウェイの莫大な財産運営をうまくやってくれる。仲間が残した事業にしても無駄のない選択ができているはずだ。
俺ができるのはマザーの目が向かない、遊びが多い投機的な金の運用。マザーが手堅く管理運営している一方で、俺は面白そうなことに賭ける。
アンテナを張るには事前の情報も欠かせないが、そこに関わる人間を知ることが一番だ。自分が金を動かす側だと知られる必要はない。ふらふらとやって来た、どこのものともしれない若者として気安く本音を聞く機会を持つ。それで俺は流れを読む。そして、俺の読みはかなりいい線を行っているというのは確かだ。
とは、言いながら……
今の俺はそれどころではない。この星で目覚めて以来最大のピンチだ。菊のことを考えると気持ちが乱高下するのに、俺にはどうしていいのかわからない。それでここまで逃げてきた。それが正直なところだ。
俺は熱気のある某コンピューターメーカーのパーティー会場でため息をつき、それから会場を出た。
「どちらへ?」
パートナーのベティーを交えて談笑していたアートが俺を追って来る。
「ゴルディロック島に行く。少しゆっくりしたい」
「では、私も。ベティーに話してきます」
「その必要はないよ。せっかくの機会なのに、ベティーがかわいそうだ。俺はしばらくコテッジを出る気はないから」
「でも」
「いいんだ」
俺は苛立ちを抑えようとしたが、アートには隠せなかっただろう。
「わかりました。では、誰かを向けます」
「ああ」
俺は車を拾い、空港へ向かった。搭乗口でアートの部下が待っていた。俺たちはそこから西海岸へ飛び、セスナに乗り継いでル・ウェイの持つ静かな島、ゴルディロックに降りた。
ゴルディロック島のコテッジはコテッジと言ってもリゾート風に作られた大きな屋敷だ。そこを管理する人たちはいつ来るともわからない家主のために日中対岸からやって来て仕事をし、夕刻には帰っていく。
セスナが島に着いたとわかれば、翌朝には黙っていてもすべてが整うだろう。
「今から手伝いを呼びますか?」
アートの部下が言った。
「その必要はない。必要最低限のものはあるだろう」
「ええ、食糧、燃料等は十分なはずです」
「ここでは何のトラブルもないだろう。お前もゆっくりしてくれ」
「はい」
アートの部下が下がると誰もいない。
誰も……
朝になると屋敷はにぎやかに動き出していた。その中には俺の身の回りの世話をしてくれる者や料理をしてくれる者もいる。どれほど他人の手を煩わせないと生きられないのか……我ながらうんざりする。それに……あれほど一人になって、この胸のつかえについて考えたかったはずなのに……ここで俺のしていることと言ったら、相変わらずマザーの情報から(なんだかんだ言ってもその情報量はこの星一番だと思われる)面白そうな研究や企業のリストを眺め、そのアイデアやサービスや製品を吟味し……これではどこにいても変わらない。
所詮、俺はマザーというコンピューターのちっぽけな外付けにすぎないのだ……俺は自嘲した。
ル・ウェイからやって来た最後の存在である俺が死ねば、マザーは自己解体し、その仕事を終える。その富も闇に消えるだろう。
人里離れたところに身を置きたかった。それなのに、すぐにここにも飽きた。そういえば……アートはどうしているだろう? あれから、もう一週間。アートにしては俺を放って置きすぎるような気がする。しかし……アートにはベティーとゆっくり過ごして欲しいと気持ちに嘘はない。
俺はここに生まれたものの、結局馴染めずに宇宙船に戻った仲間のことを思った。
宇宙船に戻った彼らはマザーの管理下で再び眠りにつく。
二度と目覚めぬ眠りに。
棺の中に白化した体を横たえる彼ら……この星で楓として生きたプランティン……死の床にあって……それでも笑っていた蘭さん……そして、菊……
波の音がうるさくて俺の思考を乱す。
俺は海辺に出た。
どうせなら波に向かって問いたかった。
俺はどうすればいい?
夕暮れの海岸を歩いていると、星が一つ見えた。それにセスナの機体も。
アートか?
ほっとする自分が女々しくて嫌になる。
俺はセスナの離着陸場から反対の方向へ歩いた。
それでもアートは俺を見つけるだろう……それはわかっている。
俺は海岸の岩に腰を掛けて一番星を眺めた。厚いダウンを着こんではいても手足が冷たい。
足音、小走りの……近づいてくる。
「ジュン」
思いがけない人の声がした。
「菊……どうして……」
俺は戸惑うばかりだった。
「アートさんが連れて来てくれた」
菊は俺の隣に座った。
「アートが?」
「私は淡久先生のところにいたんだけど、ジュンがふさいでいるから一緒に来てくれないかって」
「それで、ここまで来たのか?」
俺はまじまじと菊を見た。あれこれ悩んでいたことはどこかへ押しやられ、嬉しさがこみ上げる。
「うん……でも、アートさんには、しばらく待ってもらった。まだ、これができてなかったから。これ、クリスマスプレゼント。ジュンに渡したくて」
菊は下げていたショルダーバックの中から包みを取り出した。
「私の最新作。ちょっと大きめだけど、茶碗だよ」
包みをほどくと、そこにあったのは……もう一つの夜空。青い釉薬を幾重にも重ねてあるその隙間に点々と散らばる小さな白が、あたかも星のようだ。
俺は手の中の茶碗から目が離せなかった。
この深い青の世界に吸い込まれそうになる。
「これは、いつか菊と一緒に千住邸の蘭さんの庭を眺めながら見上げた夜空だ」
「うん。まだまだなんだけど、今はここまで」
菊は空を見上げた。
「だってお手本が偉大すぎて……とてもつかめない。一生こうやって作っているのかなあ」
菊は自分のガサガサになった手を撫でた。
「ありがとう。俺は菊に何を返せるだろう。金ならあるが、それだけだ。菊……」
俺は言葉に詰まって菊を見た。
「いいよ。何でも聞いて」
「アートが俺といるのは仕事だからなのだ」
ようやく口から出た言葉がこれか……我ながら……これではまるで子供ではないか。
「私を呼びに来たアートさんは、しなくてもいいはずの仕事までしていると思うよ?」
菊は俺を覗き込み、俺は黙り込む。
それは俺だって十分承知なのだ。しかし、俺が言いたいのは……
「わかった」
菊がいたずらっぽく笑った。
「何がわかったんだ?」
「ふふ、私はジュンが一文無しでも構わない。そうなったら私がすべて貢いであげるから」
「貢ぐって……菊、俺はそんな話は……」
「そう?」
「……いいのか、こんな人外で」
たじろぎながらも、つい聞いてしまった。
「それなら、心配ないよ。私も少しはその血が流れてる」
「だけど、もし、もしもだぞ? 俺たちに子供ができて、その子が……病気で……蘭さんみたいに……」
俺がよほど情けない顔をしていたのだろうか。菊はやさしい顔になった。
「その時は……慈しめばいいんだよ。多分、それしかできないんだ」
波の音がする。体の中を血が駆け巡り……俺はそっと菊にキスした。
「なあ、菊、あの家はそのままにして……蘭さんの植物を植えられそうな場所を探しに行かないか?」
「それってハネムーン?」
菊は暢気に聞いてきた。
「ああ、もちろん菊が無事に卒業できそうなら、の話だが」
俺は慌てて付け加えた。
「いいね」
菊が笑う。
「な~んてね、は無しだぞ?」
俺も笑った。
「何のこと?」
「さあな」
俺は首を傾げる菊の手を取ってもう一度、今度は、俺と菊は恋い焦がれる恋人のキスをした。
ああ、これでいい。
俺はこの星に身を委ねる……そして、時には……菊と二人で幾重にも重なる青の帳の向こうに目を凝らすだろう。
それだけで……いいのだ。
〈終〉
ありがとうございました<(_ _)>




