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「紹介していただいたらいかがです、ジュン」
ドアが開いていた。
そこに立っているのはアートだ。
「どいつだ、誰も入れていいとは言っていないぞ?」
小菅が叫ぶ。
「どなたも起きていらっしゃらないのでお聞きするだけ無駄と言うものですよ」
アートはしゃあしゃあと答えた。
「何だと?」
部屋にいた男たちが血相を変えて外を覗く。
聞かなくてもわかる。
「小菅さん、みんなやられてます」
そういうことだ。
「さっきの続きですが」
後藤の目の前でアートが俺に携帯を渡した。相手はこの一帯の元締めだろう。俺みたいな人外でも手広く仕事をしていると必ずかかわらなくてはいけない相手がいる。マフィア、ギャング、やくざ……その国によりけりだが。
俺がアートから携帯を受け取ると、相手が勝手に挨拶をしている。
「世耕 ジュンだ。後藤という男に銃を向けられている。お前の知り合いか?」
俺はそれだけ言うと携帯を切った。
「何の真似だ?」
後藤は俺の襟を掴もうとしたが、アートがさりげなく後藤を押さえる。
後藤の携帯が鳴った。
「お出になった方がいいと思いますよ」
「何だと?」
携帯を見た後藤が慌てて出た。
「は、それは……そうです。申し訳ありません。はい、ただちに」
後藤は携帯を切り、俺の前に座り込んだ。
「申し訳……ない……」
「後藤さん」
「後藤さん、どうしたんです?」
小菅も大村もその場にいた男たちが後藤を見る。
「菊にも、あの家にも手出しをしないでくれ」
俺は言った。
「これは要請ではありません。命令です」
アートが付け加える。
「わ、わかりました」
後藤は頷いた。
「急に、何を言っているんだ? せっかくここまで来たというのに」
血の付いたハンカチの下から大村が後藤に目をむく。
「後藤さん、どういうことなんだ?」
小菅は俺と後藤を交互に見た。
「この、世耕という方の思惑ひとつで組がつぶれる……」
後藤が答える。
バタバタと外で靴音が響いた。
「後藤、どういう不始末だ。死んで詫びろ」
後藤よりも一回り上と思われる男が駆け込んで叫んだ。
「柳さん」
「死ぬ必要はない。が、これ以上面倒はかけるな」
俺は胸糞悪いビルを後にした。
「菊さんのこと、後手に回ってしまい、申し訳ありませんでした。ですが、ジュン、あんな奴らを相手にしなくてもこちらで手を回したのに」
「お前の教えが実践で役に立つかどうか試せたかもしれないところだったぞ?」
「あれでは無傷で済んだかどうかわかりません。肝を冷やしましたよ。何故またあんな無茶を……」
「この手で小菅と大村を殴らないことには気が済まなかったんだ。菊と同じ思いをさせないことには俺は……」
アートは苦笑した。
「大村はともかく、小菅は殴りそびれましたね。どうするつもりです?」
「ああ、惜しいことをした。だが、今は菊に会いたい」
俺はアートの車に乗り込んだ。
都内には例年より早い初雪が降り始めていた。
菊は怪我の処置を終え、吉岡と病院のロビーにいた。
「菊、けがはそれだけか? 医者はなんだって言ってる?」
「うん、殴られたところが内出血を起こしただけ」
菊は大きなばんそうこうが張ってある顔の半面をちょっと俯いて隠した。
「体の方にも打撲がありましたが処置してもらってあります」
吉岡が言った。
「やはり、あのとき小菅も殴っておくべきだった」
怒りが蘇る。
「もう、大村や小菅からの嫌がらせはないと思いますが、これではマンションに帰っても大変でしょう。我々の滞在するホテルに部屋を取ります。しばらくはそちらに」
アートが如才なく言う。
「菊、そうしてくれ。今度のこと、気が利かなくて悪かったな」
俺は本当にすまないと思った。
「それどころじゃないよ。来てくれてありがとう、ジュン」
痛々しい。殴っただけでは気が済まない……
「それより」
「何だ?」
「万里から電話があって……携帯に何度も電話をかけてきたのは……ジュン?」
「ああ。万里さんから教えてもらった。どうして菊に連絡先を教えなかったのかと言われたよ」
「うん……」
この様子では菊も同じようなことを言われたのだろう。
アートが止めておいた車の後部座席に菊と俺、アートの隣に吉岡が乗り込んだ。吉岡がホテルに連絡を取り、菊の部屋を取る。アートがホテルの入り口に車を止め、俺は菊を部屋に送った。
「長い一日だった」
「うん」
菊が頷き、部屋に入る。
ドアが閉まると俺は大きく安堵のため息をついた。
それから数日俺は菊と病院に通い、菊の部屋に花を届けた。あっという間に菊のあざは小さくなり、今では目立たないばんそうこうを張るだけ、さすがに病院の送り迎えも終了の時を迎えた。
「そろそろマンションに帰らないと。淡久先生のところにも顔を出さなくちゃ。卒論もラストスパートしないと……」
菊が言う。
「送るよ」
俺は菊と一緒にホテルの近くの駅から地下鉄に乗った。
地下鉄を降り、駅前から坂を歩く。マンションやビルの合間には昔ながらの小さな店も残っている。
「この角を曲がってすぐのところ」
菊は滑らかな石が敷かれ、きれいに緑を植えた前庭を通り、その先にある明るくて近代的なマンションの入り口に立った。俺も菊の荷物を持ってマンションのセキュリティーを通り、半地下になっているロビーからエレベーターに乗る。
菊の部屋は一階だった。庭があり、すぐ裏は神社の林。都心とは思えない静かな環境だ。
「お茶でも飲んでいく?」
菊が聞いた。
「いや、いい。菊もすることがいっぱいあるだろうから」
何故こんな時に無理してしまうのだろう。自分でも謎だ。
「うん、わかった。ありがとう。リア・イウ・リュット、ジュン」
菊が俺を見つめる。
「ああ、リア・イウ・リュット、菊」
俺は何気なさを装って部屋を出た。
しかし、俺の頭の中は更なる謎で一杯だ。
リア・イウ・リュット……?
菊、どういうことだ? これは……さらば、いや、そうじゃないだろう。これはただの、さよなら、またね、という意味だ。そうに決まっている……決まっているのだが……まるで暗示のようではないか。
俺はいろいろなことがわからなくて、間違う。今度のことだって……もう二度とこんなことはないと言えるのか……
何よりも行く手に厳然と待つ死。それは公平に、誰にでも訪れる。しかし、あまりにも長く生きてきた俺には、目の前に大切な命を見つけた今の俺には、その儚さは受け入れがたいのだ。
明日完結です!(^^)!




