『結』 終戦、そして独立へ
夜通しの手術で明け方に眠った白木が起きたのは、昼過ぎであった。
「白木先生、ちょっと」
彼が目を覚ますと同僚のタシロがすぐに手招きして呼ぶ。
「どうしたんですか、タシロ先生?」
「いや、ちょっとですね。なんか揉めてるんですよ」
「誰が?」
「この街の人がです」
「何を揉めてるんですか?」
「とりあえず、見たほうが早いですよ」
タシロの案内で向かった、駅前の広場では100人近い人間が集まり、喧々騒々の議論が交わされていた。
「――確かにMTAが、火星気候制御システムを占拠して独立を宣言した時は、俺も肌が粟だったさ! 地球人どもから独立を手にする歴史的な瞬間に感動したって奴さ! だから俺たちも武器を持って、こうして義勇兵として参加した! だが実際はどうだ!? 地球の連中はゾンビみたいに何度殺したって、何度だって現れる! 何度だってだ! ヴィンスも、ハドレーも、ジャクソンも、みんな死んじまったんだぞ!!」
「それは貴様が選んだ道だろう。仲間が死んだぐらいで騒ぐな、悲劇の主人公はテメェだけじゃねぇんだ」
「だが火星が独立しようと思ったら、いつかは戦わなければいけない。その戦いまで、次の代、あるいはずっと先に持ち越すよりは――」
「闘って勝てるのかよ?」
「バーンズ、テメェ!!」
「しょうがねえだろ!! 怖ぇんだよ、俺は!! 俺は臆病者なんだよ、10ヵ月だ。10ヶ月も、銃を持って闘ってきたんだ。もういいじゃねぇかよ、俺はもう闘いたくねぇよ――」
「今、闘う事を止めたら、もっと苦しむ事になるだろうよ。地球だってバカじゃなねぇんだ。次に蜂起するときは、武器も手に入らん状況になってるだろう。そのとき、どう闘う気だ?」
見知った顔――シュタイナーの問いかけに、沈黙が広がる。その言葉通りだと、誰しもが理解していた。火星初まって以来の大蜂起であり、この機を逃せば地球連合政府は叛乱防止策をいくつも打ってくるだろう。そうなっては次に独立の機会が巡ってくるのは百年以上先の事となるだろう。ようやく自分たちが降りる事の出来ない賭け事に乗ってしまっている事に気づく。
兵士たちはうなだれ、考える。
命を賭けて戦う事と、このままいつ命を落としてもおかしくない日々を続けていくことの意味を。ただ理不尽な日々を続けていくことが、果たして生きているといえるのか。何もしなければ変わることのない日々の連続が。それでも、忠実に仕事をこなしてさえいれば、長生きはできるかもしれない。いつか地球政府が考えを変えるかもしれない。
重い沈黙が広がる。
そこへ透明感のある声が響く。
「――確かに放っておいても、いつかは誰かが何とかしてくれるのかもしれない。でも、他人が起こした風で、我々は新たな場所へ飛んで行けるのか?」
綺麗で、穏やかで、勇壮な声音――人々を奮い立たせる英雄英傑の声音であった。
声の主を捜して視線を動かす皆の目に、長身の女の姿が映る。サオリ・イチムラであった。
「地球政府が、あるいは他の権力を持つ人々が。他人が、何とかしてくれるかもしれない。だがそれは、いつまでもないかもしれない。もうすでに百年近い間、火星は地球に搾取されている。地球と対等な立場にある者は、それは地球生まれの者でしかない。生粋の火星生まれの人間に地球人は対等の立場であろうとはしないだろう。何より誰かが何とかしてくれたとき、我々は――我々の後の世代は、生きていくだけの力を残しているだろうか。命令通りに動くことだけが、身体に染み付いた子孫たちが」
まるで母親が子どもを諭すように、優しく語りかけ、穏やかに皆の顔を見渡す。その女神のように白く美しい顔を向けられた兵士たちの胸に去来するものは何か。そう思いを巡らす白木であったが、一方で己の妻の扇動者として才を再確認させられる。
そういう女なのだ。
彼女の演説を最後に、彼らは徐々にその場を去っていく。
会議の時間は終ったのだった。
結局、彼らが選んだのは戦う事であった。それも徹底的に、攻撃的に、壊滅的に、相手を叩き潰すという選択だった。MTAの義勇兵がサオリの演説から数日間でネトヘス義兵団の部隊に変わってしまったらしいと、白木は思った。彼女は迷う者を先導する先天的な魅力を備えた人物であり、彼女自身も己の特性をよく理解していた。|《殲滅者》(ターミネーター)の名は伊達ではない。彼女は、敵対するあらゆる存在を駆逐し、破壊し、殲滅する。そして多くの人間をその殲闘に巻き込む、破壊の女神なのだ。
カルボニールのMTAの義兵120名は、サオリ・イチムラの指揮下で地球連合政府の拠点のひとつを奇襲する事になった。サオリは強制しなかったが、自発的に彼らが戦って死ぬ事を選択するように、巧みに話を誘導していった事を白木は気がついていた。何度か、口を挟もうとした白木であったが、それを自身の驕りだと知っていた彼にはできなかった。
白木一族は、火星にあって特権階級といっていい存在だ。地球政府とはいえ、ぞんざいな扱いは決してしない。己が白木の姓に生まれた以上、虐げられてきた人々に闘うな、というのはあまりにも安易過ぎた。己が出来る事は、犠牲者をできるだけ少なくする事。流れる血を少しでも少なくする事でしかなかった。それが、当時の白木爆炎の選択であった。
集落カルボニールでは、任務を与えられた兵士たちが勢い良く飛び出していっている。
彼らが襲撃を企てているのは、ドーム型都市ガリレオ郊外に駐屯する大部隊の基地であった。この付近で最大戦力を保持する基地であり、周辺のゲリラに睨みを効かせている部隊でもある。
もちろんCA2機と歩兵だけの部隊で、この基地を占領する事はできないが、それでも機能に大打撃を与える事ができると、サオリは作戦を立案したのである。当初は難色を示したツィードであったが、何か思うところがあるらしく、お前に任せる、との一言でサオリに全てを一任していた。
「いい? この作戦はスピードが命よ。全員、己の役目をもう一度、頭に叩き込んでちょうだい」
サオリの声に、兵士らが力強く頷き、臨時作戦本部となったテントから出て行く。
「調子はどうだい?」
そこに白木が顔を出す。複雑な感情が混ざった顔をしてるだろうな、自身思っていたが、こればかりはどうしようもない。それを知ってか、サオリも小さく微笑を浮かべてみせる。
「なんとかね。でも、勝利する確信はあるわ」
「わかってるさ――君が指揮するんだ、負けるなんて思ってない。それよりCAに乗るって聞いたけど?」
「ええ、それがとんだじゃじゃ馬でね。今回の作戦の要だし、私が乗る事にしたわ」
「大丈夫なのか?」
白木の言葉に、その妻は苦笑する。
「心配してくれる人がいるんだもの。大丈夫よ、私は」
「――何か、俺にも出来る事はあるか?」
「祈ってて、私たちの無事を」
そう云って、サオリは軽く白木に口付けをし、テントを出て行った。
(銃を持つ以外に、君には選択はないのか、サオリ?)
妻の背を見送る白木は一人小さく呟くのだった。
この戦いの詳細を、白木爆炎は多くは知らない。
ドーム型都市ガリレオ基地を巡る攻防戦は、サオリ率いるMTA部隊により基地側が大打撃を被り、終戦まで殆ど機能をしなくなった事だけを、白木は聞いていた。そして、その大勝利から1ヵ月後、地球連合政府が火星独立を認める発表をした。ただそれはサオリらの活躍で情勢が変わった訳ではないだろう。火星独立勢力は、もはやあと1ヶ月も戦えば、その力を失う事は地球側にも理解できた筈だ。
だが、地球は火星の独立を認めた。
そう、あらかじめ決まっていたシナリオのように――
己の意思で火星の住民たちは立ち上がり、銃を取り、独立の為に戦ってきた。
だが、それは本当の独立につながるのだろうか。
そんな思いが白木の胸に去来する。
火星解放戦線の代表であるレカル・フォルティーナによる、火星独立憲章を高らかに発表される中、白木は月が2つ浮かぶ火星の空を見上げる。
彼が一番初めに看取った少年兵の事を思い出す。
野戦病院に担ぎ込まれた金髪の少年は、額から血を流しながら自分を見上げていた。浅い呼吸のなか、砂を握りしめて、少年は声を絞り出して、こう言った。
「ま……だ、仲間、に……彼らに、長生き、し…ろって、伝え、て」
血と砂に汚れた顔に微笑を浮かべ、少年は目を閉ざした。血の匂いが混ざった火星の風が、少年の金髪を撫でていった。その時の想いを言葉にする術を、白木は持っていなかった。
怒りでもあり、哀しみでもあり、憎悪でもあり、憐憫でもあり、悔しさでもあり、諦めでもあり――ただ、ただ一つ分かったのは、二度と、こんな思いをしたくないという事であった。
名前も告げず逝ってしまった少年は、この独立宣言をどう思うだろうか。
「よぉ、センセイ。終わっちまったな」
疲れた笑みを浮かべ声を掛けてきたのは、ルーン・シュタイナーだった。当初こそ、仲が悪かった彼だが、この1ヶ月の戦争で共に戦い抜いてきた戦友として、白木らと接するようになっていた。
「そうだな、終ったんだな」
周囲を見渡せば、大半の者が涙をこぼしていた。
「オーリンも、グレンも、サイも、ディックも、サンクも……みんな、死んじまった。結局よ、昔馴染みで生き残ったのは俺だけさ」
白木は何も応えない。
シュタイナー自身、白木の返答を期待していないだろう。
ただ、聞いて欲しいのだ。己の想いを。
「俺達は強盗だった。自慢できる職業じゃねぇが、結局、搾取される側が生きるには必要な事だった。こんな左手に紋様入れられちゃ、行く所もねぇしよ。最後に、外周部に辿り着いた。俺たちは真面目じゃなかったかもしれねぇが、働いたぜ、しっかりよぉ。だけど、俺らたちの左手の紋様はなかなか消えねぇ。外周部以外に、もう居場所がねぇって気がついたのは、けっこう早かったと思う」
レカル・フォルティーナの独立宣言が終り、改めて終戦の通達が放送されている。もう、戦争は終ったのだと。
「俺たちが戦争に参加したのは、結局、自由になりたかったからなんだ。地球から独立すりゃ、このふざけた左手の紋様ともオサラバだ。別に独立云々なんざ知ったこっちゃなかったが、あん時はチャンスだと思っちまったんだ。自由の為に、なんてガラじゃねぇが、本気で思っていたんだぜ」
乾いた風が吹いた。
「なのによ、死んじまったんだ。――あいつらは、俺の本当の家族だったんだよ、先生」
自由を――独立を手にした彼らの目に映るのは、荒涼とした砂漠の稜線と、戦車の残骸、そして仲間の遺体であった。一緒に、自由を謳歌したかった仲間たち――果たして、自由を手にした意味なんてあるのだろうか。
白木は訳も分からず、声を出して泣いた。
その涙が意味する事は分からない。
「真の独立は、これから、我々が創り上げていくものだ。多くの同胞たちが命を賭けた独立の意味を、我々が創り上げるのだ。この困難を乗り越えた我々ならば、何だってできるはずだ。この赤い大地に緑を植える事も、新たな発見をする事も、新たな人類の可能性を切り開く事も!!」
高台に上った女が力強く声を上げると、悲しみにくれていた者たちが顔を上げた。
「――行こう。まずは町に連絡して独立を報告しよう。そして犠牲者を弔い――我々の、新しい時代を始めよう」
妻の――サオリの声は風にかき消される事なく、白木の心に鮮明に刻印された。
かくして人類史上初の、地球外国家の樹立は成立した。
知られる事なく死んでいった多くの命を糧に生まれた、この独立はどのような意味を持つのだろうか。
それを人類が知るには、しばしの年月が必要であった――




