『転』 殲争というモノ
次の日、早朝から次々と患者がやってきた。
もともとの基地の住人と、ゲリラを合わせ300名程度しかいないが、それでも大半が何らかの負傷や病気で苦しんでおり、野戦病院さながらの多忙振りであった。実際に治療ができるのは、白木とナルドの二人であり、まだ見習いのザントレイやタシロは二人の医師の手伝いとして、カルテの整理、医薬品の点検と運搬、治療前の簡易的な問診などであった。
その中で、一人サオリだけがのんびりとしていた。
彼女は医療に造詣が深いわけではないし、そもそもの専門が怪我をさせる方である。今回の同行の目的は護衛であり、治療の手伝いをする事ではなかった。それに彼女個人としての仕事もあった。
ネトヘス義兵団の幹部である彼女にとって、MTA部隊の視察はそれなりに意味のある行為である。別に対立している訳ではないが、MTAとネトヘス義兵団は存在するイデオロギーが異なる。そもそもMTA――つまり火星解放戦線は単一の組織ではなく、いくつかの火星独立運動組織同盟というべき存在であった。組織間の思想や目的に於いて温度差があるものの、指導者であるレカル・フォルティーナの卓越したカリスマによって成立をしていたが、彼女が戦死などをすればたちまち瓦解してしまう類の組織であった。
結局の所、ネトヘス義兵団の目的は火星人民一人一人によって、自由と権利を勝ち取る事を目的にした組織である以上、火星の独立を究極の目的として彼らとは手を結べないと同盟を拒んだのである。
他に大きい組織としてはMDIB(Mars Declaration of Independence behaviorism)という地球連合政府との融和政策による長期的な展望による火星独立組織が挙げられるが、彼らは地球連合政府とMTAの橋渡し的な活動をしており、直接、戦火を交えていない。
結局の所、MTAとネトヘス義兵団の二組織が地球連合軍と闘っており、その役割分担はMTAが地球主力部隊と戦い、ネトヘス義兵団は都市部での煽動演説など独立の原動力を創るといった様相を呈していた。結果として、この三つの異なる勢力の活躍で火星は絶大な戦力を擁する地球連合軍と互角以上に戦ってきた訳だが、ここに来て三勢力の足並みが崩れてきたのだ。
理由は高まる厭戦感であった。
もともと統一された組織であるネトヘス義兵団や、同じ思想で集まったMDIBなどとは異なり、幾多もの思惑が存在するMTA内部では上層部への不満をぶつける連中や独自の行動を起こす者が出てくる状況であった。早晩、この戦況に劇的な変化が訪れなければMTAが崩壊するのも時間の問題であろうと予想された。
そういった意味で、サオリにとってはMTAの現場を知る上のは有効であり、必要なことであった。
その時だった。
ボオオオォォォォ――
重々しいが、どこか幻のような轟音が鳴った。
音質から10キロ以上離れている砲撃音だとサオリは判断した。おそらく地球連合軍CAのモールニアの主砲であろう。稲妻の名を冠するだけの事はあり、その主砲の轟音は落雷の如き大音量だ。
しかしそれにも関らず、街の住民に特に不安な様子は見られない。すでにそういった戦火にも慣れっこなのだろう。
「出撃準備をしろ、5分後だ!」
そこに眼帯の男――ツィードが列車から姿を現し、声を張り上げると敏速に反応し兵士たちが手際よく戦闘準備を整え始める。
テントの中から飛び出してきた兵士たちが、それぞれの荷物を抱え隊伍を組んでいる。余程、場馴れしているのだろう。昨日のシュタイナーらの姿も見える。そこへ2機のCAが姿を現す。全高10mの鋼鉄巨人だ。
「火星製CAか、それも相当に使い込んでるわね」
赤茶の迷彩が施された火星環境に特化したCA2機は、アサルトライフルを装備し颯爽と出撃をしていく。それに付き従い、戦闘準備を終えた兵士たちが走っていく。もはや日常と化した戦争なのだと思わせる風景だ。
火星に乾いた風が吹く。
舞い上がった赤い砂塵は、大地の色か、それとも鮮血の色か――
古の戦神の名を持つ火星の地は、新たな歴史の扉を開くために膨大な血を必要としていた。
珍しく風のない夜だった。
夜闇に沈んだ砂漠の上の街で、白木らは焚火を灯し、昼間の戦闘で負傷した兵士らの懸命の治療を続けていた。この時代、ナノマシンを利用した先端技術を使えば大抵の負傷を治癒させる事が可能であったが、それも相応の施設があればの話である。
だが文明から離れた戦場で、そのような治療行為は不可能だ。
CAや戦車の戦闘に、歩兵は補助的な役割しか持たない。その激戦の余波に巻き込まれ負傷する兵士は、決して少なくない。その大半が重傷である。白木は運び込まれた重傷者たちを、瞬時に助かる者と助からない者に判別し、次々に処置をしていく。当年きって21歳の若者であるが、その医療技術、知識は白木一族と言わしめるだけの能力を持っていた。
手術の合間の休憩で、味も素っ気もないクッキーのような栄養食の夕食を終えると、再び治療に専念している。白木爆炎という男は、その名と異なり、それほど意志の強い男ではなかったが、人命が関った時だけは鋼鉄すら貫き通す集中力と覇気を以って治療に当たる。
それも空が青く輝き始める頃には、一段落がついたらしく、血で汚れた無菌手袋を外しながら無菌テントから白木が顔を出す。半日以上もぶっ続けで手術を行っていた為、その顔には疲労の影が強く滲み出ている。
「お疲れ様、何か飲む?」
外で応急処置を行っていたサオリが、白木に気がつき話しかける。
「5人」
「なに?」
「5人、見捨てた。運ばれたとき、すぐに彼らは助からないと思ったよ」
「――そっか」
一言だけ返し、女は黙った。
『アナタがいなければ、もっと死んでいた』なんていう気休めを言うつもりはない。ここは――この惑星は戦場なのだ。何人死のうが、何人殺されようが、それは当然の事態だ。そんな事で一喜一憂するのでは、戦争などできやしない。
彼がしようとしている事は、戦争という行為の対極に位置している。たった一人でどうこうできる問題でない事は、彼自身もよく理解しているだろう。それでも彼は悩み、苦しむ。
崩れるのが決まった砂の城を築く事――それが彼のしようとしている事。それが分かってできる人は少ない。それでも彼は続ける。それが彼の美徳だとサオリは思った。助からないと判断し見捨てた男の目が、彼の脳裏に焼きついているのだろう。すがるようにして見上げた、あの茶色の目。その目が最後に映していたのは、確かに絶望だったことをサオリも認めていた。
彼の仕事は、限られた時間で、最善の結果を出す事。わずかな判断ミスすら許さない冷酷な現実、彼のミスは直接、その者の死という形で具現する。
まるで、出口のない迷宮――
「助けたかったな」
焚火の前まで移動してきた白木は、サオリの横へ腰を落ち着けながら、小さく洩らした本心。周囲が静かでなければ届く事はなかっただろう。
「それは傲慢よ、先生。アナタはアナタのできる事をしただけ。出来ない事をしようとするのは、神の領分だわ」
ぼうっとオレンジ色の揺らめきを見ていた白木が顔を上げ、隣の妻を見やる。
「彼らは殺し殺される為に、鉄火場に立ったのよ。彼らが戦場で死ぬのは真理だわ。――彼らに罪悪は在った、それは事実であり、それをアナタも否定できない。違う?」
「そうだな。でも、俺は救いたかった。助けたかったんだよ」
「それがアナタの一族の使命?」
「そんな大層なものじゃない。それに白木一族に生まれた人間が全員、医者になる訳じゃない。ただ――」
「ただ?」
「人は呪われているんだよ」
「呪われている?」
この宇宙の海を乗り越え、天体すら改造する時勢にそぐわない言葉を口にする青年に、サオリが問い直す。
「原初の罪――人が初めて殺したのは、弟。カインは己の実弟であるアベルを殺した。世界創造を読みあげた聖書にすら、殺人が描かれているんだ」
「旧教だっけ?」
宗教に明るくないサオリの問いに、小さく頷き青年が続ける。
「遺伝子に組み込まれた殺人プログラム、人が人を殺すのは摂理。それは、呪いのように子孫へ伝わっている。人が人である限り、人を殺す事は止められない」
「でも、人には意思があるわ。人を殺すのは、武器じゃない。人を本当に殺すのは、その人を殺そうとする意思。たとえ、そのように創られていても、人は自分の意思で変わることができる。少なくとも私は――遺伝子ではなくて、己の意志で人を殺してきたわ」
「君は強い女性だ。――だけど、人は君ほど強くなれない」
「………………………………」
「たった20年生きてきただけで、どれだけの事が分かったか、俺はそれすら測れない。それでも俺は同族殺しではなく、同族を救っていきたいんだ。それが俺の選択であり、生き方なんだと思う」
静かな声音であったが、そこには揺るぎ無い意思が存在した。それが白木爆炎という男を名医と呼ばせる原動力になっているのだろう。
「人類の呪いを祓うのが、人生目標?」
「そうなるかな」
ずいぶん壮大な目標ね、と嬉しそうにカオリは、青年の肩に頬を乗せる。
「でもその前に、アナタには重大な義務があるのを知ってる?」
囁くような彼女の言葉に、青年の顔が引き攣る。サオリ・イチムラという女性は基本的に人に甘えるという行為をしない女性である事を、白木青年はよく知っていた。そして、彼に対してこういった甘えるような囁きをした時は、彼にとって困難なお願いである事が非常に多い事を経験的に理解していたのだ。
「な、な、な、な、なんでしょうか?」
「私を幸せにする義務」
うふふ、と蕩けるような笑顔で耳元に吐息と共に囁く。
「は、はい! 頑張らせてもらいます!」
「期待してるわ」
年上の妻の言葉に、言葉なく黙り込む年下の夫であった――




