『承』 白木一族
大半が未開地である火星には陸上に12の『オアシス』と呼ばれるドーム型都市が存在している。砂漠の泉とは言い得て妙で、この赤い荒野の大地にて、人間が生きていけるまさにオアシスといった風情の存在だ。
当然、ドーム都市だけに人が住んでいる訳ではない。日々、火星各地で進められる火星開拓作業の拠点はドーム都市ではなく、『シェル』と呼ばれる小さな前線基地のような集落であった。これは火星各地に多数点在しており、砂嵐の影響等もあり、地図には掲載されていない集落であった。合成樹脂による組み立て式住居が、貝のような形をしていた事から呼ばれ始めたのだが、この組み立て式住居が開戦以降、ゲリラの前線基地として使用される事も多く、容易に移動展開可能な事から鎮圧に向かった地球連合軍を苦しめる結果となっていた。
「暗いわね、この集落」
車両の助手席から眺める街の風景を見て、サオリがぼやく。
白木らは、シュタイナーらとの合流地点から、彼らのアジトであるカルボニールという集落へ移動していた。街の居住区は、白い簡易テントが多いが、いくつか工場や通信塔らしき建物も目に入る。それらの間を抜けて、白木一行は街の中心部へ向かっていた。
あの時、シュタイナーは怒り狂い、サオリに銃を向け殺そうとしたが、慌てて周囲の兵士らが止めた。止めた理由は、二つある。一つは医師派遣をするバールストンという自分たちの支援組織との対立を回避する為。そして、もう一つはシュタイナーが殺されるのを防ぐ為であった。
『ネトヘス義兵団』と云えば、火星解放戦線(MTA)に参加していない独立した戦闘団であり、火星独立運動を行う幾多もある組織の中では最古参の分類になる組織であった。もっと簡単に云えば、火星の独立を既に百年以上謳い、様々な武力行使で示威を表明してきた伝統ある過激なテロリスト集団なである。
中でも3名の幹部の名前は、連日テロリストとして報道されていたおかげで、火星の住民ならば、火星自治区の長官の名前よりもよく知っていた。
その中の一人の幹部が、サオリ・イチムラという。
同姓同名という可能性もあるが、神業的な速さで銃を抜き、シュタイナーの額にポイントしている女を見て、兵士らは彼女がホンモノだと確信していた。彼女の|《殲滅者》(ターミネーター)の異名は伊達ではないのだ。
その為か、冷静になったシュタイナーも流石に手を出すのが躊躇われたか、案内役に徹していた。
「どうにもね。MTAが首都を占拠して10ヶ月余り。制宙権が地球にある以上、あちらさんの増援は途絶えず、泥沼化じゃ士気も落ちるよ」
「――火星独立、未だ成らずか」
サオリが無感動に呟く。
白木とサオリの夫婦にとっては、度々繰り返される会話だった。サオリと違って、白木は火星独立にそれほど熱意を傾ける人物ではなく、むしろ諍いをすべきではないという平和主義者であった。とはいえ戦争が起きてしまった以上、それをよくないと咎めるだけではなく、一人でも多くの人を救えるようバールストン財団という非政府医療組織に参加し、こうして各地で治療の日々を送っている。
そもそも白木一族は、火星では名門の呼び声高い医師一族であった。200年前の第一次火星入植時には既に火星医療団の理事の一人として、その名が挙がっており、以来ずっと火星医療の最前線で活躍してきた一族である。その為だけではないだろうが、白木一族総勢58名は火星独立戦争勃発と同時に、バールストン財団の一員として活躍をしていた。
そんな彼だからこそ、門外漢にも拘らず戦況を正確に分析できていた。
目的の場所に着いたらしく、案内の兵士らが車から降りるよう、言ってきた。
「ところで、ダーリン。外周部の仕事なんか、よく請ける気になったわね」
「大した事じゃないよ。ありがちな話でね、この戦争で両親が死んだ兄弟がいてな。兄と弟以外に頼れる人がいなかった彼らは、盗みをして生計を立てていたんだ。でも、ある時、弟が捕まって兄が弟を捕まえた人を殺して、外周部に回されちゃったそうなんだ」
車を降り、歩きながら白木が短く語る。
「そっか、そういう子も外周部にはいるもんね」
オアシスと異なり、俗に外周部と称されるシェルは、その大半が犯罪者や出稼ぎ労働者である。彼らの良識は低く、集落は一種の無法地域とも云っていい場所だ。それもそうだろう。犯罪者を送り込んだ場所で、犯罪を取締っても仕方がない。結果、彼らに指示を出す役人らも、よほどの事がない限り放っておくし、犯罪者たちもその辺りのさじ加減を熟知していた。
無論、集落の中には企業やドーム都市が管理するものもあったが、それはむしろ少数で、その殆どが西部開拓時代の開拓町よろしく、無法者どもの吹き溜まりとなっていたのだ。
そんな場所に、戦時中、好き好んで診察に向かう医師などいるはずもなく、ちょっとした負傷で死亡する人も少なくないという。結局、白木はそういった人を見捨てられず、自ら外周部への派遣を希望したのだった。
そんな夫に苦笑しつつ、サオリは油断なく周囲を見渡した。
こういった善人が長生きできないのが戦場である事を彼女は経験的に知っており、その戦災から最愛の人を護るのが、自身の使命だと彼女は思っていた。
白木は、間もなく|《駅》(ステーション)とも言えない、木製の段に屋根がついただけのプラットフォームに案内された。半ば砂に埋もれた道の上に、側面に赤いラインの走った汚れた列車が停止していた。
当初、火星で計画されていた鉄道計画の名残だろう。
白木は、サオリと3人の同僚に頷き、左右のスライド式ドアが開け放たれたままの列車横の入口をくぐり、中に入っていく。
「砂上列車の実物を見るのは初めてだな」
「現役で走っていたのは百年以上も前だしね。今じゃ、博物館か、砂の下にしかないわ」
ナルドの呟きに、サオリが応じる。
列車の内部は薄暗く、荷物が並び、少々狭かった。壁際から鋭い視線を投げかけてくる幾人もの兵士たちの存在が、彼らにさらに窮屈な印象を与える。何度かスライド式のドアをくぐり抜け、やがて他の車両とは内装が大きく異なる空間に出てきた。
そこには椅子に腰掛けた、眼帯の片目男がいた。黒い、しかし色あせた革の上着を着込んだその男の年齢は30代半ばくらいか。無精ヒゲを生やし、碧い瞳の眼光は鋭い。
「ご苦労」
そう短く労いの言葉を掛け、案内役の兵士を下がらせる。人に命令するのに慣れた、口調であり、またその声音は人を命令に従わせる魔力を持ったかのようなバリトンであった。
「ツィードだ、MTAでの階級は中尉。一応、この基地に滞在する部隊の指揮官とやっている」
話しながら、彼は目に焼き付けようとするかのように、一人一人の顔を見回し、サオリの前で止まる。が、それも一瞬の事で彼は何事もなかったように続ける。
「知ってると思うが、ここは外周部だ。少し前まで、統治責任者の役人もいたが、俺らが滞在するようになって逃げていった。つまり名実共に、無法地帯という訳だ。こんな場所にやって来たお医者先生方には敬意を払うように通達はしておくが、最終的には自分の身は自分で守ってもらう事になる。その事を確認しておいてくれ」
何の感慨もなく言い切る片目男は、釘を刺すように一人一人を見据える。
白木らは改めて、自分らが危険な無法地帯にやって来た事を実感し、その事を胸に刻み付けるのだった。
それから白木らは、ツィードに挨拶を済ませるとさっそく車両に戻り、治療の準備を開始した。無菌テントを展開し、組み立てが必要な機器を組み立てた。白木やナルドはこういった巡回治療は既に慣れたものであったが、タシロやザントレイは初めてとあり、色々と手間取っていたが、それでも日が沈む前には準備を終え、明日に備え早めに寝る事にしたのだった。




