『起』 テラツー戦役
咎人らの鎮魂歌
赤い大地を疾駆する装甲車両を、吹き荒れる赤茶けた砂塵を含んだ風が隠していた。この火星の大地では砂嵐は珍しくない。惑星改造によって人類が生存可能な星になったとはいえ、気象を完全に制御できる訳でもなく、たびたび砂嵐が発生するのだ。気象が安定した都市部を除けば、火星の大地の8割以上が強風吹き荒れる荒野という訳である。
装甲車両は目的地へ到着し停車した。ちょうど風が止み、その赤茶色の迷彩色をした装甲車両が顕わになる。M7対地雷装甲人員輸送車、火星企業グラシアクラフト社がライセンス生産した踏破性の高い装甲車両である。だが、これは兵員乗車部分が改造された医療車両タイプらしい。
その車両へ、10名ばかりの兵士が駆け寄っていく。彼らの表情はいずれも面白くなさそうであった。彼らの与えられた任務は、このポイントへやって来る医療要員を、彼らの拠点まで護衛し案内することであった。
火星独立戦争――後世にどう伝えられるかは不明だが、少なくとも火星首都ティーグを押さえた火星解放戦線(MTA)を中心に蜂起した独立運動組織は、各地で反乱鎮圧部隊である地球連合軍と戦火を交えていた。昨年9月から始まった戦争も、既に10ヶ月が経ち、火星の何処彼処も厭戦ムードが漂っていた。その為か、武装盗賊団的な組織も各地で暴れ始めており、火星解放戦線はそれらの鎮圧にも奔走していた。
その中で奇特にも敵味方関係なく治療行為を行う非政府組織(NPO)も存在しており、この車両もその組織から派遣されたものだった。
赤い大地に停車した装甲車両の側面ハッチが上にスライドし、そこから青年が顔を出した。彼は銃を持った兵士らに一瞬怯えたような視線を向けたが、諦めたかのように溜息を吐いてタラップを降りてくる。
「はじめまして、医療支援団体から派遣されました白木です」
よれよれの白衣を纏った青年は、弱々しい笑みを浮かべて挨拶をした。そして、そこへ車両よりもう一つの影が地面に降りてきた。
「へぇ、女もいるか。綺麗なネエチャンも一緒ってのは悪かねぇな」
迎えの兵士たちは挨拶する青年を相手にせず、下品な笑みを浮かべ女に注目した。年齢は20代半ばだろうか、身体にぴったりあった黒いボディスーツが見事なプロポーションを際立たせている。腰には銃の収まったホルスター、気の強そうな顔には周りを囲む兵士らを見ても特に表情を動かさない。この年齢でいくつのも修羅場を潜り抜けたような、静かな凄みを持った女性のようだ。
その下品な声から女を護るように、青年が兵士と女の間に割ってはいる。すると剣呑な雰囲気を隠そうともせず、兵士たちが青年を睨む。自分の行動に自身で驚いてる様子の青年は、それでも落ち着いた声で責任者は誰かと問う。
「すまんね、センセイ。俺が小隊の責任者のルーン・シュタイナーだ」
上背はないが体格のいい中年の男が、ダミ声で応じる。その周囲には、いかにも子分といった風情の兵士がニタニタと哂っている。青年――白木は到底、こいつらとはウマが合わないだろうな、と心中で顔をしかめる。
車両の後方スペースからも3名ほど白衣を纏った男が降りてきた。いずれも若く頼りなさそうな印象を受ける痩身の若者たちだ。白木と名乗った男にしても20歳を超えるかどうかだが、新たに顔を出した若者たちは明らかに十代のあどけない顔をしている。
だが、そいつらに注意を向ける兵士らは少ない。躊躇いながらも歩み寄ってくる若者たちを、10人の兵士たちは冷笑で迎える。その中でシュタイナーだけは3名の若者たちの前に移動する。
「外周部へようこそ、前途有望なる青年諸君」
漆黒の刻印の刻まれた左手を差し出したシュタイナーは、外周部と俗に呼ばれる囚人開拓地の名を口にした。
手の甲に刻まれた刻印は、彼が火星の大地にて重大な罪を犯した証。
地球や月であれば犯罪者は刑務所へ収容されるが、火星やコロニーなどはそういった余剰な人間を養っていくほど余裕がある世界ではなかった。かといって、犯罪者を全て死罪に処するといった事もできず、どうするか、という議論が沸いたとき提案されたのが俗に『開拓刑』と呼ばれる、新天地の開拓要員として懲役刑を与えるといったものであった。そもそも火星やコロニーに初めに入植した人々は、有能な科学者や技術者であり、おいそれと危険な作業に従事させ事故などで失うには、あまりにも惜しい人材であった。そこへ犯罪者という殺しても死なない、ふてぶてしい連中を送り込み、危険域での作業を行わせたのだ。
結果、彼らは開拓を急ぎたい地球連合政府のお歴々らには歓迎されたが、火星やコロニーでは疎まれる存在として受け入れられた。それでも入植者たちにとって、彼ら犯罪者が労働力として貴重であった事実は変えようもなかったのだが。
ただ一点、懸念された事は犯罪者たちの都市部への流入による治安の悪化である。彼ら犯罪者とて永遠に危険な開拓地に置いて置く訳にもいかず、定められた懲役年数が終えれば社会復帰する権利を有していた。だが、仮にも重犯罪者である。再び、何かしらの事件を犯す可能性は非常に高かった。結果、地球連合政府は既に当時確立されていた医療用ナノマシンを改造し、左手に特殊な刻印を浮かび上がらせる事にした。これは人体に影響はなかったが、発信機としても作用しており、さらに犯罪者たちの履歴データを含む云わばIDのような効力を有していた。
実はこの刻印を刻むナノマシンは端末一つで脳死に至らしめるプログラムが仕込まれており、管理システムが定期的に犯罪者を減らす為に殺している、などの噂もあったが、もちろん、そういった非人道的な効能はないと公式に発表されている。
だがその噂はある種の抑止力として一定の効果を持っているのは事実であり、この噂は地球連合政府が意図的に流したのではないか、などと巷では言われていた。
ともあれ懲役を終えた犯罪者は5年間ほど刻印の左手と付き合うしかなく、都市部では殆ど職に在りつけず、結局、外周部と呼ばれる開拓最前線に帰ってくるのが常であった。
要するに少なくともシュタイナーは、刻印を刻まれるような犯罪者であり、正義感溢れる義勇兵ではないのは間違いないのである。
「歓迎、ありがとうございます。私は白木医師と共に医療赤十字団体から派遣されましたナルドです、それとこっちの背の大きいのがザントレイ医師、小柄な方がタシロ医師です」
とりあえず、シュタイナーから歓迎の言葉を受けた3名の若者は一瞬ためらったものの、すぐに微笑を浮かべ真ん中に立つ若者が己らを紹介し挨拶をした。
「オレはシュタイナーだ、でコイツらはオレの部下だ。さぁ、案内は任せてくれ。それとお嬢さんはこっちだぜ」
シュタイナーは、顎で白木らに車に戻るようジェスチャーをしながら、大股で女に近づき、強引に手首を掴み引き寄せる。女は僅かに眉を顰めたが、とりあえず大人しくシュタイナーに従い、兵士らの方へ歩いていく。
「シュタイナーさん、なぜ彼女だけ別なんですか?」
白木がそれを見咎め、声を掛ける。シュタイナーはそれに女の腕を掴んだまま、振り返り、嘲笑する。
「センセイ、同性にはできん相談に彼女に乗ってもらいたいんですよ」
「アンタ、真逆!」
そこに至ってようやく彼らの真意に気がついた白木が声を荒げる。
シュタイナーは悪びれる風もなく肩を竦めると、大きな口の端を吊り上げて、いやらしい笑みを浮かべた。周囲で兵士らもそれに倣っている。
「好きでやってんだろ? いいじゃねぇかよ、なぁセンセイ」
「そうそう、こんな細腕じゃロクな仕事できんだろうからな」
「よかったら、金を払ってもいいぜ、なぁ?」
「ギャハハハハハハハ!」
大声で笑う連中に怯える3人を尻目に、白木が一歩前に足を踏み出す。
「違う、そんなんじゃない! うちのカミさんは――」
白木が白皙の頬を晩秋の柿の如く真っ赤に染め、叫ぶ。
対して、女はシュタイナーの手首を掴みながら、冷たく言い放った。
「自己紹介がまだだったわね。私はネトヘス義兵団のサオリ・イチムラだ」
女―サオリが軽く手を捻ると、かなりの巨体といえるシュタイナーの身体が体勢を崩し、顔面から砂地に突っ込んだ。さらにそこに容赦なく、サオリが後頭部を軍靴で踏みつけ、凄艶な笑みを浮かべる。
「それとね、私に触っていいのはダーリンだけよ。以後、気をつけなさい」
周囲の兵士に睨みをたっぷり五秒ほど効かした彼女は、その美脚をシュタイナーの後頭部からどけると澄ました顔で白木の首に腕を絡める。
ぶぼっと砂地に埋まった顔を持ち上げたシュタイナーは、怒りも顕わに彼らを見やる。
「また、やっちまった」
周囲の人々が立ち尽くす中、一人、白木だけが天を仰ぐのだった。




