何でも握るとは言ったけど
寿司を握って20年。道は険しく、日々修行の毎日で、懸命に腕を磨いてきたが、まだまだ満足などできない。
自分で言うのも悲しいがお世辞にも店は繁盛しているとは言えない。
でも別に気にしていない。俺はただ来てくれたお客さんに喜んでもらえるよう真摯に向き合うだけだ。
ピカピカに磨かれたカウンター。
まるで宝石のように様々なネタが並ぶショーケース。
お客さんが望むものをいつでも握れる準備はできている。
ガラガラッ。
ドアを開けてお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「こ、こんにちは。また、来てしまいました……」
女性が入り口に立って、少し恥ずかしそうにはにかんでいる。ふんわりとした印象の穏やかで可愛らしい女性だ。
彼女はうちの常連だ。週に数回は来てくれる。
「いつもありがとうございます。どうぞ入ってください」
促すと、彼女は迷うことなくカウンター席の真ん中に座った。彼女はいつもそこに座る。
俺はさっと、おしぼりとお茶を差し出す。
彼女はお茶を一口啜ると、チラッと俺のことを見て、目が合うと慌てて目を逸らし、顔を赤らめる。
彼女はいつも俺が寿司を握っている時には、熱い視線でじっと俺のことを見つめている。
寿司の技術を磨くことばかりに熱中し、女性経験もほとんどない俺だってそこまであからさまに向けられた好意に気づけないほど鈍感ではない。
彼女が来ると俺もどきどきする。この気持ちをどう扱ったらいいのかもわからない。
でも俺はプロだ。浮ついた気持ちで仕事をするわけにはいかない。
「何を握りましょうか?」
彼女は真っ赤な顔で目を大きくし、何かを言いあぐねて俯く。
えっ、何注文する気なの? 俺は改めてショーケースに並ぶネタに目を走らせるが、言いにくい名前のネタなどない。
いつもとは少し様子の違う彼女に俺も戸惑う。
俺は彼女が注文するまでじっと待つ。
「何でも……いいんですか?」
俯いたままか細い声で彼女は言う。
「もちろんです。何でもおっしゃってください」
俺は優しく声をかける。彼女が喜んでくれるよう、俺は心を込めて彼女が注文するものを握るだけだ。
意を決したかのように彼女は顔を上げ、俺の目をまっすぐ見る。彼女の顔がさらに赤くなる。
「じゃあ、手を握ってくれませんか?」
予想外の注文に一瞬理解が追いつかなかった。
えっ? 何て?
てをにぎってほしい? てって何だ?
そんなネタ……。
あっ、そうか! 手を握ってほしいってことか!
……ええっ!?
意味を察して改めて彼女を見ると、恥ずかしそうにギュッと目を閉じて私の返答を待っている。
どうやら冗談ではないらしい。まいったな。
俺も何だか顔が熱くなってきた。彼女は女性として素敵だと思う。それに、こんなに積極的にアプローチされるとくらっときてしまう。
でも俺はプロだ。今は仕事中で彼女は客だ。
俺はプロとして真剣に彼女の注文に答えないといけない。
俺はぱちんと両手で自分の頬を叩いて浮ついた気持ちを追い出し、気を引き締めて言う。
何でも握ると言った以上、二言はない。
「わかりました。ですが、飲食業なのでまずは手洗いをお願いできますか?」
このシチュエーションにおいて、情緒のかけらもないセリフだろう。
彼女はきょとんとしている。
ああ、彼女に嫌われてしまったにちがいない。でも、それならそれでしょうがない。俺はプロとしての仕事をするのみ。
「お、お、お手洗いお借りします!」
彼女は、手洗い場に駆け込んで行った。
どうやら満足してもらえるらしい。




