Realigi 4 第一部 第二章 幽霊海域 第一話 「人は、等しく尊い者」
1
『海の神よ、この子をどうか抱き留めたまえ』
レアリーギは、自室の鏡台の前に座り、自分の左右色違いの瞳を見つめている。
淡く苦しげに笑んで、彼女は呟く。
「……なぜ、わたくしは捨てられたの……?」
右は、紫。
左は、青。
「なぜ、わたくしは、生きているの……」
夕暮れのデッキに上がると、コーラルが夕日を眺めている。
レアリーギは声をかけようとして、沈黙する。
彼の横に、黄緑色の髪に、柴色の瞳の少年。━━ビリーヴ。
「コーラルは、ビリーヴがお気に召したようですわね……。ビリーヴも……」
彼はいつも、コーラルとばかり一緒にいる。
彼の名を訊き出したのだって、コーラルだ。
少し寂しそうに笑んで、レアリーギはきびすを返した。
「幽霊海域?」
「ああ、そうだ。操舵手の奴らが、いくら舵を回して方角を変えたって、いくら航海したって、岸辺が見えることはない。他の船に出逢うこともない。俺たちがガイコツになってから、ずっとだ……。まるで、世界には海しかなく、在るのは俺たちだけ。━━そう思えるほど。だから、俺たちは名づけたんだ。俺たちのゆけるこの海は、この海域は、幽霊海域。決して、外の世界と繋がることのない、切り離された、まるで霧で包まれ、外の海からは入ることのできない、幻の海域━━。そんなふうに、思えるんだよね……。まあ、実際どうなのかは、わかんないんだけどね」
ありえるはずのないのにありえている、海域。
だから、幽霊海域。
本当は自分たちだって、実在するのか、わからないくらいだから……
ありえない存在。
ありえない船。
……消せない悔恨。
不安な日々。
「だけど、レアとビリーヴは生きている。━━そうに、違いない」
コーラルは、噛み締めるように言った。
「俺は、そう、信じる」
もしもそうでないなら……それも嘘なら、希望が潰えてしまう。不確かなこの海。そこにあるすべてが幻だったとしても━━そう思いそうになってしまっても。
「ていうか、おまえらはマジ生きるしな! だってほら、俺らと違って、お肌スベスベー」
ガイコツに両類を撫でられて、ビリーヴは悲鳴を上げる。……さすがに、そんな簡単にはガイコツには慣れられない。
「や、やめろ……!」
「ハハハ、照れるな照れるな」
「照れてない‼︎」
思わず拳が出た。次の瞬間、コーラルの頭が宙に舞った。
しかし、コーラルの体(の骨)は、ビリーヴのそばに留まったまま。
頭部だけ、デッキの隅に転がっている。
ビリーヴの顔が、瞬時に青ざめる。
「コ、コーラル⁉︎」
「おっと、これはお見苦しい」
コーラルの体が頭に駆け寄り、デェラハンのように頭を抱え、それを元の場所に━━首の骨の上に戻す。
「だだだ、大丈夫なのか、コ、コーラル?」
「ん? 何が??」
ガイコツ生活(?)が長いからか、コーラルは時々ボケる。というか、人間の常識というものを忘れ、自分たちの感覚でものを言うようなところがある。
今も、なぜビリーヴがそんなに怯えたような顔をしているのか、瞬時には理解できなかったらしく、首を傾げ……そして、手を打った。
「あぁ! ごめん、驚いた? 驚いた?」
もしかしたら、わざとやっているのかもしれないが。
「だから、俺さ、仙人もどきガイコツ? だから、死なないの。ちょっとくらいおまえには不思議に思えることも、ここではありえるの! おまえ、もっと頭柔らかくなんない?」
「ちょっとどころではなく、今のはとてつもなく……心臓にクリティカルヒットが来たぞ!」
胸を押さえ、ビリーヴは騒ぐ鼓動を落ち着けようとする。
「やっぱり、おまえら……おかしい」
ビリーヴはおもむろにコーラルに歩み寄ると、両腕で、彼の頭を掴む。
「あ、おい、何すんだ、ビリーヴ!」
「ちゃ、ちゃんと、ついてるのか、コ。コレ……」
自覚はないが、ビリーヴもこの船に来てから、おかしくなり始めているのかもしれない。ビリーヴの知りうる、普通の生きた人間がこのシーンを見たら、ビリーヴもガイコツと同類か、理解不能の存在とされそうだ。
「は、外れない……」
「そんな簡単に外れるか!」
「なら、さっきはなんで、あんな見事にかっとんでったんだ???」
「あんま細かいこと気にするなよな。常識っちゅーモノサシはね、案外役に立たないもんなの! 俺は死んでから━━こーなってから、そう実感したんだよ」
「てゆーか、型霊船とか、幽霊海域とかより、むしろ、ガイコツ船とか、ガイコツ海域のがよくないか、コーラル!」
「うわ、あ、頭引っ張るな、と、取れねーってば! 取ってどーする気だ、おまえは⁉︎ 俺らのネーミングセンスにケチつけてんじゃねーぞ、新入り‼︎」
騒ぎ合う二人を、少し離れた帆柱の陰から、オクトとセシボンが見つめている。
「や、やっぱり、仲良くなってるって! あの二人……ッッ‼︎」
「う、うらやましいぞ……ダディーは」
「……ま、そんなわけだからさ」
センボン作の夕食を摂るビリーヴを見ながら、コーラルが言う。
少し離れたテーブルで、レアリーギも同じ物を食べている。
「おまえの、今後の身の振り方だけどさ……ワリィんだけどさ」
言いづらそうに、コーラルが口にした。
「たぶん、もう、無理なんだ。元いた場所へー━━海や大地へ帰るのは」
「ふーん」
ふっくらとしたブルーベリーパンを頬張りながら、ビリーヴは至福の笑みを浮かべている。こんな物を食べるのは、初めてだった。
「ふーん、って……それだけ?」
「だって、仕方ないんだろ?」
クリームシチェーを口にし、ほっぺたを落としそうな顔をしているビリーヴの姿に眉を竦め、コーラルはレアリーギと目を合わせる。
「……どうせ、オレはき、島から売り離され、新王宮建設のために働かされて、死すべきさだめだったんだ。今さら戻れないって聞かされても、落ち込んだりするものか。というより、ここは、もしかしたらさ」
パラダイスなのかもしれない……。
自分には豪華すぎる食事を見つめ、ビリーヴはふとそう思う。
目を上げれば、恐ろしいガイコツ。
だけど、お綺麗な青の瞳の貴族や何かのほうが、ずっと、腐った心を持った、恐ろしい生き物なのだ。
一方で、こんな食事くらいで相手を借じたら、足元をすくわれる━━そんなふうにも思うけど。
自分の裡に根づいた疑心の種は、そんな簡単には失くなりはしない。
「……でも、いなかったのか? おまえの育った島には、おまえの、大切な━━還りたいと思える人々が」
「まさか」
ビリーヴは即座に嗤い捨てる。
「オレは、ただの奴隷だ」
「けど、いたんだろ? 家族だって、仲間だって」
「親は、オレが物心つく前に死んだ。仲間は……紫の瞳の奴らは、いたけど……」
ビリーヴはかぶりを振る。
「いろいろ、彼らの存在には助けられもしたけど……けど……」
淡く笑む。
「オレは、ただの、奴隷だ」
戻りたいとは、思わない。
コーラルはしばらく黙っていたが、やがてまた、口を開く。
「なら、おまえが、青の瞳の人間になれるのなら━━おまえは、再び元いた場所へ、帰りたいというのか?」
「…………なれる、のか?」
ビリーヴは瞳を揺らし、コーラルを見る。期待をするような、だけど、怯えたような目をして。
「おまえや、おまえらの、不思議な力で━━、オレの、この柴の睡は……青く、変化できるのか?」
「たとえそうだとしても━━」
コーラルは冷たく切り捨てる。
「やらない。他の奴らにも、やらせない」
「な……⁉︎」
「俺は、バカだった。生前、とてもバカだった。……何もわかってなかった。死んでから、━━いや、あいつに逢ってからやっと、わかってきたんだ……」
コーラルは右人差し指で、自分の眼窩を差す。
「こんなものに、一体、なんの意味がある?」
そこに、在りし日の彼の姿が見えた気がして、ビリーヴは息を呑む。極々短い瞬間。その顔立ちも、瞳の色も、捉えられるほどではなかったが。
「意味、ねぇじゃねぇか? そんなもので、なぜ、差別したり、されたりしなくてはならない? 言ってしまえば、外見なんて、体なんて、魂を入れるための、器みてぇなもんだ。なのに、なぜ、そんなものに囚われなければならない? 大切なのはさ、中身のほうなんじゃない?」
ビリーヴの拳が小刻みにえる。瞳を狭め、唇を歪め、コーラルを睨む。
「だってさ、こうなっちまえばさぁ、俺ら、ガイコツなんてさ、もう、関係ねーじゃねーか! 眼球なんて、もう、俺らにはないんだよ。たとえ、差別しょうとしても、ないもので差別したりなんか、できないんだ」
ビリーヴは瞬間、レアリーギを見た。
思い出したのだ、あの、悪夢を。
「そうだよ。無意味なんだよ。俺らは、俺は━━生前、なんもわかっちゃいなかった! 器だって、同じようなもんさ! そんなんで、それだけで、なぜ、わかるんだ? 相手のことが。目に見えない、ハートが。瞳の色やなんかで、なぜ、相手を虐げたり、素晴らしいと爽め称えたりできるんだ? ━━ちっぽけだったんだ、狭くてカタくて、俺の頭もハートも、未熟だったんだ」
だから、もしかしたら、未熟すぎる自分が大きくなるには、こんな、ガイコツにまでなって、人の生を遥か越えた時を過ごす必要があったのかもしれないけど。
「ここには差別なんてない。役割はあるが、不当な差別などないはずだ。━━そう心がけている。人は、生まれた時から等しく尊い者。それが、この船の心だ」




