Realigi 9 第一部 第四章 青も紫もない世を 第一話 「どこに帰りたいのか」
1
コーラルリーフ王子は変わった。
彼の教育係たちは、ある者は涙を流し、ある者は満面に笑みを浮かべ、そういった。
あの、神仙様がいらっしゃってからだ。
それまでサボりがちだった勉学や剣の稽古などに励むようになり、夜遊びが格段に減った。
彼の遊び仲間や、彼を得意先とする店の者などは、寂しげな顔をしてみせるでもなく、ただ、王子の富や権力を利用できる回数が減ったことに舌打ちし、口を尖らせた。
「俺はフマジメで、えらく世間知らずらしーから、仙人についてもよく知らなかったんだけどね」
たくさんの本を抱え、彼はある昼、貴資室を訪れた。
「いろいろ、揃えてみた」
テーブルの上に詰まれた、仙人関連の本を叩き、彼は得意げに笑った。
「わからねぇなら、学べばいいんだ! 大体のことは、俺の勉学の師とかから聞いたし、俺も自ら、いくつか文献を漁ってみた! 仙人つーのはね」
立てた人差し指を揺らし、コーラルリーフは笑う。
「人々を祝福する、奇跡の存在だ。たとえば、疲れ果てた旅人のために、どこからともなく現れ、何もない場所から出現させた水と食事を、お与えくださった」
テーブルの前のイスに座るビリーヴの斜め後ろに立ち、その背もたれに肘をつき━━頬杖状態で、間近にビリーヴの不思議な瞳を見つめながら、
「神仙てのは、更にすごいぞ! 三つの奇跡━━三つの願いを叶えてくれるっていうんだ!」
ビリーヴは、神仙とされているわりに、自分のことを━━仙人などについて、ほとんど何も知らない。この世界のことについても、よく知らない。
コーラルリーフは、彼から直接それを聞き、知っていた。
ビリーヴは、謎だらけだった。
それが、コーラルリーフの好奇心に━━眠っていた向学心に、火をつけた。
「三つの奇跡?」
「あぁ、平たくいえば、神仙に特別に気に入られた人間は、自分の望みを、三つだけ実現してもらえる。父上はどうも、おまえを神仙だと思っているようだ。だからあんな、スペシャルすぎる扱いをなさるわけだ」
「そんな……オレには、そんな力はない……と思うけど……」
「それがな、おまえのその、柴と青の目! それこそが、神仙の証らしいんだ。神仙てのはね、とっっっても、偉いわけ。それこそ父上が頭を下げるほど……」
ビリーヴから離れ、コーラルリーフは本を一冊手に取る。
「とはいっても、そんな奴にお目にかかることなんで滅多にない。普通の仙人だとてそうだ。なんつっか、伝説上の存在? みたいなもんだ。ほとんど神格化されているようだし━━まぁ、神山にいらっしゃる神様のほうがもちろんクラスが上だろうから、おそらく、その使いだか代理だかなんだろうが━━不思議な瞳を覗き、人と同じような姿をしているが、はっきりいっちゃー、謎だらけなんだな。俺ら人間にとっちゃ、仙人や神仙って奴らは。普段どこで暮らしてるのか、何してるのか、全然わかっちゃーいねー。雲の上に住んでるとか、海の底だか地の底だかに住んでるとか。いろいろ説はあるようだが、実際どうなのかは、誰にもわかりゃしねぇ」
コーラルリーフは、黙って聞いているビリーヴの顔を見る。
「だけど、仙人関連の話は、各地に伝えられている。俺は、おもしろい話を見つけた」
しおりの挟まれたページを開き、コーラルリーフは、それをビリーヴに見せる。
「まゆつばモンだが、記憶を失くした神仙の女の話だ。そいつは、自分が誰だか、どこから来たのか、何をしていたのか━━なぜ、ここへ来たのか、ここにいるのか、どこへ行ったらいいのか、何をしたらいいのかもわからない。━━そいつは、ある村の外れに住む、はぐれ者の男に拾われた。はぐれ者は、どうも、そいつの瞳の色が紫と青なのに、神仙だとわからなかったらしい。━━でまぁ、いろいろあって、神仙は記憶を取り戻して、はぐれ者の願いを叶えてくれるんだな」
「……なんて、願ったんだ?」
「一つ、世界の覇王になりたい。一つ、不老不死になりたい。一つ……」
コーラルリーフは唇を歪めた。
「君と、永遠に一緒にいたい━━」
コーラルは本をビリーヴにほうって、鼻で笑う。
「くせぇ話だろ? はぐれ者は、神仙に惚れちまったんだとよ」
「じゃあ、二人は永遠に結ばれて、ハッピーエンドなんだ?」
本を少し眺めて、ビリーヴは訊いた。
「それがよ。ダメなんだとよ。━━神仙にも、叶えられないことはあるらしい。彼女ははぐれ者を残して、帰ってしまった」
「……そうなんだ」
「でも、その代わりに、はぐれ者の元には、一人の女の赤子が残された。━━二人の子どもらしい」
コーラルリーフは乱暴に自分の髪を掻く。
「ま、むしろ、そんなのはどーでもいいんだ。こんなふうに、仙人に関する話は、この世界にはたくさんある。神山クラスのはそうないようだが。三つの願いまでいかずとも、彼らの力で食事や暖を取れた━━そんな話はドッサリある」
山と積まれた本を顎で示し、コーラルリーフは眼を炒める。
「実際、仙人を言じている奴は大勢いる。ま、俺は別に興味なかったから、どっちでもよかったんだけどな。━━おまえが、現れるまでは」
ビリーヴは彼の紫色の瞳を見上げる。
「もしかしたら、その話の神仙って、おまえと似てるんじゃねーのかと思ったんだ。今は、いろんなことがわからない。三つの奇跡を起こす力もない。━━だけど、もしかしたら忘れているだけで━━……」
「三つの奇跡が使えるかもしれない? だから、オレを厚遇するんだね。……王も━━コーラルも……」
「ん?」
ビリーヴの斜め前のイスに座ったコーラルリーフは、眉を寄せる。
「あぁ……なるほど……」
顎を軽く掻いて、コーラルリーフはあくびをする。
「願いを叶えてもらうのが目当て━━そういうんだ? んー、正直、父上のお考えは俺にはわからない。けど、俺は━━……三つの奇跡なんて、つい最近まで知らなかったし……」
本の積まれたテーブルの端に突っ伏す。
「俺は、別に……」
そのままコーラルリーフは黙ってしまう。
「コーラル?」
「……眠い……。昨夜は微夜で文献を漁っていたし、最近、いろいろ勉強とか稽古とかもやってるから……」
テーブルに突っ伏したまま首を振って、眠そうに彼は言う。
「第一王子は期待され、教育を受ける。第二王子も、第一王子に何かがあった場合を考え、同じように教育を受ける。けど……第三王子くらいになるとさ、わりとどーでもいーっつーかさ、やる気ねーっつーかさ。放任されるっつーか、ほったらかしにされるっつーか、自由なんよ。だから俺は、今まで、遊んでばっかり……」
寝息を立て始め━━しかし彼は、何か聞き取りづらい言葉を呟く。
「けど、おまえを見てると……俺もさ……」
あとはもう、本格的な寝息が聞こえるだけ。
眠るコーラルリーフの赤髪を撫で、ビリーヴは微笑んだ。
テーブルに本を戻し、他の本も数冊開いて戻し、独り言を呟く。
「それでもおまえは、オレよりずっと、頭がいいよ……。オレは、字すら読み書きできない、奴隷で……。せいぜい、オレの時代では横書きが主流だが、この時代では縦書きが主流らしきことくらいしかわからない……」
この時代、肩じられていた仙人などは、自分の時代ではもう、ただの童話。誰も宿じたりはしない、ファンタジーにすぎない。
「オレたちは、いろいろなことを忘れ、信じなくなる……」
ビリーヴは再びコーラルリーフを見て、温かく笑む。
「なぁ。コーラル。いろいろ知りたいんだ、この世界のこと」
幸せそうに、コーラルリーフは眠っている。
2
庭園の隅を竹等で掃いているビリーヴを見つけ、コーラルリーフは笑う。
「また、やってる……」
最初は止めていた侍従たちなども、今では放任している。
「とに、おまえは、おもしれぇよ、ビリーヴ」
三つの願いなんて、どうでもよかった。
ただ、楽しかったのだ。
こいつを見ているのが。
こいつがいるのが。
こいつが来てからの、毎日が。
「おい、ビリーヴ。出かけるぞ」
柴の瞳を細め、輝くようにビリーヴは笑う。
この世界のことを知りたい。
ビリーヴのそんな願いに、自分の知識や、本を読み聞かすこと、それから、ビリーヴを連れ動くことで、コーラルリーフは応えた。
アメシス王都は整然とした石造りの街で、柴の瞳の人々の笑顔で溢れている。しかし、この都にも、スラムだってあるのだ。
「なぜ、王族や貴族に見目がいいのが多いか、わかるか?」
ビリーヴと並んでスラムを歩きながら、コーラルリーフは首を掻く。周りでは近衛や側近たちが、貧民や奴隷たちの視線から王子と神仙をガードしている。
「富や権力で、美しい女だって男だって、好きにできるからだ。━━オレの母上だって、元々田舎の羊飼いだったけど、その器量が父上の目に留まって、第二王妃になったんだ」
右を向けば、紫の瞳の人々がいた。奴隷階級に属さないのに、ボロを着て、飢えて痩せ細り、物欲しそうに、自分たちを見ている。
左を向けば、青の瞳の子どもたちがいた。出されたゴミを漁っている。自分たちのことで精一杯だろうに、その胸に猫を抱き、その猫に、見つけた魚の骨を与えている。たぶん彼らは、その猫と一緒に生きているのだろう。
スラムを抜け出し、コーラルリーフは肩を嫌める。
「満足したか? あれが、この華やいだ都の裏の顔だよ。あんなん見たいなんて、変わってるよ。だけどな……」
表通りに引き返しながら、コーラルリーフは言う。
「貴族には、肥えすぎて見ちゃいられねーのがいる。富み栄えてる証拠かもしんねぇが、俺はダメだ。そういうのはイケてねぇと思う」
コーラルリーフは太ってはいない。適度に引き締まった体躯をしている。
ただ、あのガイコツのコーラルほど、姿勢はよくない。……きっと、ああなってから、自分で姿勢をよくしたのだろう。
「この世は、瞳の色と、持っている金、権力、勲章……そういったものがすべてだ。下賎すぎる奴は、パンの一つだって食えやしねぇ」
この辺りはまだ、石量ではなく、地面が剥き出しだ。先日降った雨が、水たまりを作っている。
ヴァニティ。プライド。
ずっと、自分は下の人間━━成いは人以下だと思っていたビリーヴには、貴族や王族なんて、雲の上の存在だった。
宝石や何かで飾り立て、富や権力を諦示する。そう、力の差は歴然だった。自分には、あの中の一つ━━彼らからしたらなんてことのない石だって、一生━━それこそ盗みでもしなくては、手に入らない。
ヴァニティ。プライド。
そんな感情は、遠い遠い、遠いところにしかなかった。
貴族の屋敷の敷地の隅━━奴隷小屋で飼われ。彼らのために働かされ……。
唯一例外だった彼女は……優しくて……それでも…………
「おまえといるさ、いろんなものが、見えるよな」
水たまりを蹴飛ばし、虹をきらめかせるようにし、コーラルリーフは笑う。
「俺はこれでも王子だから、こんなデコボコ道、普段は歩いたりしないんだぜ?」
馬車だって、馬だって、乗れるのだ。
光輝いた道だけ選んでゆくこともできるし。
闇に包まれない繁華街で騒ぐこともできる。
空を仰ぎ、彼は笑んだ。
赤が紫に変わってゆく。
もうすぐ、宵になる。
「おまえと逢ったのは、宵の海だったな。オレはな、夜も好きだが、夕も好きなんだ」
「━━うわッ⁉︎」
ビリーヴに、横道から走ってきた少年がぶつかった。尻餅をついた少年は、青の瞳に青い服━━奴隷だった。
紙袋を取り落としたらしく、食料品が地面に散らばっている。
「大丈夫か、ビリーヴ? おい、奴隷!」
目を吊り上げるコーラルリーフを手で制し、ビリーヴはまず少年に「平気?」声をかけ、散らばった物を拾い、差し出す。
少年は逃げるように走り去っていった。
「使いか。……子どものころのオレみたいだったな」
嘘くビリーヴを瞳に映し、コーラルリーフは不思議そうに瞬いた。
「仙人てのは、青の瞳にすら、慈悲深いのか……?」
なぜ、自分は過去へ来てしまったのか。
あのとき、《レアリーギ》のダンスホールで不可思議な声がして、レアリーギが光って……
気づいたら、アメシス王宮で……
自分はずっと、このままなのだろうか?
それとも……
自分は、どうしたいのだろう。
ここにいたいのか。
帰りたいのか。
……どこに、帰りたいというのだろう?
《レアリーギ》……?
━━それとも、あの、柴の瞳の奴隷の世界……_?




