第3章:共通点
浴室を出ると、背中に貼りついていた息苦しさが少しだけ和らいだ。
リビングは、整えられた生活の匂いで満ちていた。芳香剤の甘さ、洗剤の強さ、乾いた布の柔らかさ。暮らしが“ちゃんとしている”ほど、最後の瞬間にそこだけが浮く。
三上が短く言う。
「少し収穫ありましたね」
村瀬が頷く。
「――綾瀬さんに送ります」
連がスマホを取り出し、親指で画面を滑らせた。連絡先の一覧の中から、迷いなく一つを叩く。
呼び出し音が二回。すぐに繋がった。
「……連?」
受話口の向こうは、部屋の音がした。
機械が呼吸する低い唸り。指が机を叩く乾いたリズム。氷が一度だけ鳴って、すぐ静かになる。
夜の静けさじゃなくて、“仕事の静けさ”。世界の裏側をめくっている音だ。
「現場です、綾瀬さん。いま——」
「判ってる」
玲花が遮った。
遮り方が乱暴じゃないのが、逆に怖い。最初から“そこ”にいたみたいに言う。
「新宿の件、三軒茶屋の件、村瀬さんが内々に追ってるのも含めて、時系列と接点をまとめた。今、そっちに送った」
連のスマホが震えた。
画面に流れ込むのは、淡い色分けされた一覧と、短い注釈。事件名じゃない。所轄名でもない。
——「公的には自殺」「死因のズレ」「対面相談」「直前通話」。
玲花の分類は、現場の匂いと同じくらい生々しい。
三上が思わず息を飲んだ。
「……これ、警察の内偵資料より整理されてる」
「凄いでしょ。いくらでも褒め称えて良いわよ」
玲花の声は軽い。
美桜が口を挟む。
「で、結論は?」
美桜が食い気味に言った。
「もう美桜ちゃんは、せっかちなんだから」
玲花は一拍置いた。
「浴室で死んだ後藤さんは都の自殺相談窓口に電話をしている」
村瀬が低く言う。
「それは警察も把握している。」
「あせらないの。記録を調べると、被害者全員が過去にも電話をしている」
玲花が淡々と返す。
「それも判っている。念のため電話を受けた人間を調べたが、バラバラで共通点はなかった」
村瀬が低く言う。
連が画面を見下ろしながら言った。
「じゃあ、これはどうかな。皆、カウンセリングで同じ所へ行っている」
村瀬が眉を寄せる。
「同じ所って、どこだ」
玲花はそこで初めて、名前を出した。
「心の灯り」
村瀬が短く息を吐く。診療記録は守秘義務で警察も容易にはアクセスできない。ありとあらゆるデータベースにアクセスできる綾瀬の凄さだ。そして、合法活動をする警察の限界でもある。
村瀬が続けて聞く。
「カウンセラーは?」
村瀬が腕を組んだ。
「河野雄介。心の灯りの代表ね。」
玲花が、名刺の写真を送ってきた。
白い紙。丁寧な文字。飾り気はない。飾り気がないから、まっすぐ“正しそう”に見える。
村瀬の声が低く響いた。
「医者が相談者を殺して、何の得がある」
「得で動くとは限らない」
玲花は言い切らない。
「今は、行ける場所が見えたことが大事かな」
玲花はそこで、少しだけ間を置いた。
電話越しでも分かる。頭の中で、次の手順を並べている。
「で。私が欲しいのは、ネットに出てこない話」
美桜が即座に突っ込む。
「私たちの出番ね」
「そう。あなたたちの仕事」
玲花が淡々と言う。
「住所と連絡先、送った」
「分かりました」
通話が切れた。
村瀬が玄関の方へ顎をしゃくる。
「今日は遅い。明日だな」
「そうですね」
三上がメモ帳を閉じ、美桜が肩の紐を直す。連は浴室の扉を一瞬だけ見て、視線を切った。
見返される気がして、すぐに視線を外す。
四人は部屋を出た。廊下の冷たさが頬に触れ、階段を降りる足音が静かに揃う。
救いを名乗る場所へ。——“心の灯り”へ。




