章題2 僕らに何ができたというのだろうか。Ⅳ
自分の部屋で目を覚ますと、そこでは僕と同じくらいの年齢の姿の音々が、寝転んで僕の漫画を読んでいる。
床に広がるミルクティー色の髪が、甘ったるくて、溶けてしまいそうだった。
彼女はいつだって一国の姫だった。それは六・五畳の小さな国で、彼女の玉座は僕のベッド。
従者は僕一人で、その国には彼女と僕しかいないけれど。
目覚めた僕に気がついた彼女は、僕に向かって微笑んだ。
「……音々?」
声をかけるけれど、彼女は何も言わずに僕を見つめる。
「音々」
もう一度名前を呼ぶと、音々は僕に寄ってきて僕を抱きしめた。
「音々、どうしたの?」
何も言わない音々は、いつもそうするように僕の背中を優しく叩いて。
「大丈夫だよ、しょうちゃん。音々がいるから」
そう、甘く囁いた。
夢を、見たらしかった。
冷房の効いた部屋で、夢と同じように目覚める。
鈍く青い光が満ちた部屋で、夢で音々がいた場所の光だけが、鮮明だった。
自分が救われたいがための、自分勝手な夢だった。
冷たい涙が頬を伝っていて、なぜ自分が泣いているのか分からなかった。
夏休み最終日。
今日もいつも通り音々が家に遊びに来た。
もう頭は痛くなくて、静かな平穏がある。
ゲームをしながら、取り止めのないことを考えては思考を放棄した。
姫はいつも通り僕のベッドを占領し、漫画を読んでいる。
ページが捲れる音と、ゲーム機のボタンを押す音、クーラーの作動音、そして二人の息の音。
邪魔をするものなど何もない、二人だけの王国がそこにあった。
永遠に続けばいいのに。切実に願った。
音々がいれば僕は何もいらない。
「しょうちゃん、これつまんないよ。何で買ったの?」
ベッドから少しぶすくれたような声がかかる。
彼女が読んでいるのは、僕が買った王道の冒険ファンタジーの漫画だ。
「んー、音々が好きかなって思ったから?」
本のことはどうでも良かった。音々がつまらないというなら今後そのシリーズを買わないだけだ。
「ごめん」
気に病んだ様子の音々に、僕は笑いかけた。
「いや、別にいいよ。続き買わないだけだし」
口をむぎゅむぎゅさせ始めた音々を、かわいいなぁと思いゲームに戻る。
少しの間静かな時間が続き、音々がベッドから溶けてきた。
そして僕の隣に寝そべり、ゲームの画面を興味がなさそうに見つめる。
やがて飽きたのか僕を見始めた。
じ、と観察されるのはすごく居心地が悪くて、音々の鼻を摘んで邪魔をする。
「見過ぎ」
それに驚いた音々が笑って僕の手をつねる。
「やったな〜?」
僕は音々をこしょばし、音々は変顔で僕を笑わせる。
ダメだ、と思った。
距離が近くて、多分、耐えられそうにない。
そう思うと途端に笑いは消え失せて、音々に問いかけていた。
「音々は今でも僕のこと好き?」
心臓が変な音を立てていた。
ここで、「何言ってるの?いつの話?」とさえ、音々が言ってくれれば。
僕はきっと、この変な感情も捨てられる。
「なんでそんなこと聞くの?」
音々は、きょとんとした顔で首を傾げた。
ただ、答えが欲しくて重ねて聞く。
「好き?」
血の気が引いて指先が痙攣する。
音々が、口を開く。
「ずっと好きだよ」
泣いてしまいたかった。
僕は、音々を愛していた。
どれだけの障害があろうと、音々といられるならいいと思った。
どこまでも自由な姫を、自分だけのものにして、どこにも行けないようにしたかった。
愛していると、音々に言って、抱きしめて。泣きたかった。
それができないことに、また泣きたくなった。
音々とキスをした。
愛しているから、愛することができなかった。
悲しくて、笑った。
愛している。僕は音々を、愛している。
愛は、自覚してしまうと溢れて止まらないことを知った、十八歳の夏終わり。
それからしばらく、電池が切れたような日々を送った。
二日前に付き合った彼女には謝って別れてもらった。
大事な人がいると言ったら、最後にキスしてと言われたので軽く触れるキスをした。
かすかに、鈴の音がしたのは気のせいだったのかもしれない。
そう、思っていたのに。
音々が僕の家を訪ねることはなかった。
音々の家に行っても、会いたがってないからと優しく追い返され、通学路で見かけることも無くなった。
感情は、溢れた後はただ虚しく枯れていくだけと知った。
「……そうだよな」
音々が、僕を好きでいてくれるなんてそんな奇跡みたいなこと、あるわけがないんだ。
割り切ると、苦しくも、嬉しくもなかった。
ただ、甘やかな。流れていく日々を淡々と過ごした。
勉強はできる方だったから、身の丈にあった大学にそこそこの苦労で入学し、適当なゼミとサークルに入った。
流れるままに、女の子とも遊んだ。
全部、体が自動で動いていく。
感情はまだ、あの日に囚われたままで。
ずっと胸の奥にミルクティーの匂いが染み付いていた。
成長した彼女と、出会うまでは。
-茜差す- Encounterに続く。
スクロールお疲れ様でした
やっと再会まで来ました
お待たせしてすみません。
章太郎SIDEでは特に、息苦しくなる場面が多かったと思います。
お付き合いありがとうございます




