章題2 僕らに何ができたというのだろうか。 Ⅱ
僕と音々が出会ったのは、考えてみれば随分と昔の、一四年前のことだった。
母親の背に隠れた小さな少女は、偵察するようにこちらを伺っている。
僕は母さんの前に立ち、少女が出てくるのを待っている。
何だこの状況……
母さんに連れられてきた、最近近所にできたという公園。ペンキで塗ったような青い空が清々しくて、毒々しい人工の芝生と合わさって目に悪い。
そんな中で、その少女の髪はミルクティのような色で、風にさらさらと揺れていた。細い髪が太陽を反射して輝いている。大きな目がじっとこちらを見つめていて、視線が合うと慌てて母親の服を掴んだ。
作られたような世界で、彼女だけが自然に存在していた。
かわいいな、と思った。
ただ小さな動物に対していうような意味で。
幼いながら人を惹きつける顔立ちも、白い肌も、白いワンピースも。
「……天使みたいだ」
呟くと、母が笑った。
「ほんと、母さんもそう思う。羽が生えて飛んでいっちゃいそうね」
母を振り向くと、愛おしそうに少女を見つめていた。
彼女とあまり似ていない母親は痺れを切らしたのか、彼女に耳打ちをして背中を押す。
少女はそんな母親を振り返り、戸惑いながらぎこちなく頭を下げる。
「ねおんです、しょうちゃろうくん、よろしくおねがいします」
言って、とんでもないことをしでかしたような絶望の色に染まった顔で俯いた少女。
何を、そんなに落ち込むことがあるのだろう。
音々という人工的な光の名前を持つ彼女に、目線を合わせる。
「いいね、それ。僕のことしょうちゃんって呼んで?」
口を滑り出た言葉は、今まで出たことがないくらい柔い。
大きな目に涙を滲ませてこちらを見るその子は、僕が微笑むと、嬉しそうに笑った。
その笑顔は、歪んだ感情など知らず、真っ直ぐに向けられた好意だった。
それからと言うものの、今までの空白の期間を埋めるように僕たちは交流を深めた。
まるで妹ができたような気分だった。
おやつを食べて、悩みを聞いて、ゲームをして。
笑い合った日が幸せだった。
生活の中心が、徐々に音々になっていく。
隣に彼女がいない時も、頭にはいつも音々のことばかり浮かんでいた。
いつの頃だか、暗示のように思うようになっていた。
それは、例えば。
音々が、泣いた時。音々が、傷を作った時。音々が、寂しげな表情をした時。音々が、僕を頼った時。
……僕が、守らなくちゃいけない。僕の天使。僕だけが。
彼女を、愛してあげられる。
とは言っても、その時は父性愛のようなもので、恋愛ではなく。
欲情することもなく、関係を持つことも望まない。
ただ、使命のみで彼女を愛していたわけじゃない。
当たり前だ。年下で、外見も可愛くて、自分に懐いてくれている。そんな子を好きにならないはずがない。
これも、言い訳かもしれない。
自分を正当化して、音々を愛する理由をつけている。
思い出の僕はいつだって清くて純粋なのに、現実の僕はこんなにも穢れていて、醜い。
そうなったきっかけは、きっとその時までの生活のどこかしこにも潜んでいただろう。ただ、僕が「愛」が、違う「愛」に変わってしまう時に。たまたまそれに触れてしまっただけなのだ。
二次性徴の弊害だろう。少なくともその時の僕は思っていた。というより、言い聞かせていた。
妹であるはずの音々の、髪が、唇が、細い手足が、風に揺れるスカートが、無防備に僕のベッドで遊ぶ姿が。
ひどく、僕に熱を与えた。
苦しかった。
普通になれなかった。
同級生たちは下品な、しかし年相応の、性的なコンテンツを喜んで見る。
その中に、七つも歳の離れた小さい女の子を好きになる、なんて内容のものはひとつたりともなかった。
僕は自分が異常なのだと自覚した。
近所に、よく児童公園で鳩に餌をやっているおじさんがいた。
その人は、ただ。パンをちぎっているだけなのに。
至って普通のおじさんなのに。
「ロリコン」
と呼ばれていた。
女の子を見ているのだとか、飴をくれるのは連れ去る目的なのだとか。
友人たちはあることないこと言って、遠巻きに笑っていた。
ゾッとした。
僕だと思った。
あの、名前も知らないおじさんが言われていることは、僕に向かって言われていることなのだと、思った。
普通になりたかった。
ただ普通に、年の近い女の子に恋をして。
ただ普通に、音々と兄妹のように関わりたかった。
辛くて泣いた日は、よく音々が僕を抱きしめた。
それがまた辛くて、その場では涙を止めて。夜、音々が家に帰ってから泣いた。
精一杯普通を演じた。
僕は女の子が好きだ。小さい子じゃなくて、僕と一緒か、少し年上。
音々は妹だ。服が乱れていても、しょうがないなぁとなおしてやるだけ。
女の子には、好意を向ける。音々には、慈愛を向ける。
僕は至って普通の、お兄ちゃんなのだ。
「ねおんが大人になって、しょうちゃんがねおんのこと好きだったら、結婚してね」
僕は、至って普通の、お兄ちゃんなのだ。
「わかった、素敵な大人になったらね」
普通のお兄ちゃんは、あやすような笑顔でそう言う。
普通の、お兄ちゃん。
大丈夫、音々はただ可愛い妹だ。何も感じない。
笑いかけてくれた子に、胸の高鳴りを感じる。
大丈夫だ、僕は至って普通なのだから。
スクロールお疲れ様でした
ちょっと長めかなと思います。頑張りました。
続きも頑張ります。




